【鎧を脱ぐ日々】第7話:理想のフォトアルバムと「大いなる意志」。〜理系失格の僕が見つけた凪の日常〜
病室の窓越しに、遠くの街並みを眺めている。
かつてぼくは、あの喧騒の真っ只中にいた。
30年間、技術と論理の最前線に身を置き、組織の一員として、また1人の専門家として、社会の仕組みを支える難問に挑み続けてきた。
期待される成果を出し、揺るぎないロジックを組み上げる。
その世界で生き抜くために、ぼくはいつしか「役割」という名の、分厚く冷たい鎧をまとうようになっていた。
役割を演じ続けた、30年間
ぼくにとって、与えられた役割を完璧に演じることは、社会における生存戦略そのものだった。
ビジネスの現場でも、組織のリーダーとしても、ぼくは常に「頼れる大人」の仮面を被り、周囲の期待に応え続けることこそが正解だと信じていた。
繊細で揺らぎやすかった父を見て育ったぼくにとって、理想の大人とは、1寸の隙もない強固なシステムのように、常に安定していることだった。
同僚や後輩、友人たちに対しても、常に「相談に乗る側」でありたいと願い、自分の悩みは胸の奥に仕舞い込むのが当たり前だと思っていた。
周囲からは「コミュニケーション能力が高い」と重宝され、あらゆる問題をスマートに処理してきた。
しかしその裏側で、ぼくは自分自身の「理想のフォトアルバム」を、義務と役割という色褪せた写真で埋め尽くしていたのだ。
「上質世界」というアルバム
ウィリアム・グラッサー博士が提唱した「選択理論心理学」によれば、ぼくたちの心には「上質世界(クオリティ・ワールド)」というアルバムが存在する。
そこには、自分を幸せにしてくれる最高のイメージだけが貼られているという。
かつてのぼくのアルバムに並んでいたのは、「正解を導き出すエンジニア」や 「隙を見せない指導者」といった、役割を演じきっているぼくの肖像ばかりだった。
専門職というレールの上で、多くの優秀な同僚たちに気後れしながらも、器用さで立ち回る自分。
本当は、心からその理系の世界を楽しみ、呼吸するように理解していたわけではなかった。
その違和感を抱えたまま、ぼくは30年間、期待される役割という名の、孤独な戦いを続けていた。
強制終了と、母の聖書
ある日突然降ってきた「指定難病罹患」という強制終了は、ぼくからその「役割」を奪い去った。
1人で立つことができない。
その絶望の淵で、ぼくのシステムはかつてないほど激しいエラーを吐き出した。
しかし、自由を奪われたサンクチュアリで、ぼくは1節の古い言葉に出会う。
敬虔なクリスチャンであった亡き母が大切にしていた、聖書の1節だ。
「人の心には多くの計らいがある、 主の御旨のみが実現する」
長い間、自らの「計らい」と「役割」で未来をコントロールしようとしてきたぼくにとって、それは衝撃的な解放の宣告だった。
かつて稲盛和夫さんが人生の絶対法則として語った「大いなる意志」。
村上和雄さんが説いた「サムシング・グレート」。
論理の限界まで思考を巡らせた先人たちが、最後に行き着いたのは、
自らの力を手放し、巨大な愛の奔流に身を委ねるという境地だった。
戦略的サレンダー
ぼくは、この病室で「戦略的サレンダー=降参」を決意した。
役割という鎧を脱ぎ捨て、不完全なままの自分を晒し、他者に甘える。
それは敗北ではない。
自分の小さなロジックを超えた、宇宙の大きな仕組みに、システムを明け渡すという、極めて理にかなった決断だった。
「助けてほしい」と口にした瞬間、ぼくの心には、これまでにないほど深く穏やかな 「凪」が訪れた。
論理では説明できない。
理系の専門家としては、失格かもしれない。
だが、その凪の中にこそ、ぼくが探し求めていた真実があった。
新しいフォトアルバム
退院の日は、まだ少し先のことになりそうだ。
しかし、ぼくの内側にある「上質世界」のアルバムは、すでに全く新しい写真へと貼り替えられている。
そこには、不得意な自分を笑って許せる、素顔のぼくがいる。
誰かに支えられ、笑顔で甘える、生身のぼくがいる。
演じることをやめたぼくは今、大いなる意志の導きを確信しながら、病室の静寂を楽しんでいる。
枠の外側に広がる世界は、驚くほど軽やかで、優しい。
かつて戦場だった日常へ戻るその日まで、ぼくはこの凪を抱きしめながら、 新しい自分を書き換えていく。
あなたは今、どんな「役割の鎧」を脱ぎたいですか?
追伸: 昨日、妻が面会に来てくれました。
第6話の追伸でも書いた通り、僕はこれまで、新しい挑戦について彼女に一言も話せていませんでした。心のどこかで「反対されるのではないか」「余計な心配をかけるのではないか」という、かつての「責任」という名の鎧が、口を重くさせていたのです。
「戦略的サレンダー」を経た今、不思議なほど軽やかな気分で、彼女に切り出すことができました。
「実は、やりたいことがあるんだ」「どう思う?」
僕の問いに、彼女は少しだけ微笑んで、迷いなく答えてくれました。
「いいと思うよ。これからは、好きなことやっていこう」
その一言で、僕の中に残っていた最後の鎧が、音を立てて崩れ落ちた気がします。30年間、独りよがりに背負ってきた「正解」は、彼女にとっては必要のないものだったのかもしれません。
将来がどう展開していくのか、今の僕にも全くわかりません。エンジニアとして積み上げてきた予測モデルも、高度な分析技術も、全く役に立ちません(笑)。
すべては「大いなる意志」に、完全にお任せ状態です。でも、わからないからこそ、この先の人生がどう転ぶのか、今は楽しみで仕方がありません。
不器用な僕の歩みを、今日もお読みいただきありがとうございました。また次のお話でお会いできるのを楽しみにしています。
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