殉死 / 司馬遼太郎 (1967)
司馬遼太郎の著作はたくさん読んだが、どれも時間を忘れるほどのめり込んでしまう。「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「最後の将軍」「関ヶ原」「峠」が特に好き。長いので長期休暇でないと読めないのが難点。
そう言えば社会人1年目の夏休みにイタリアへ一人旅に行ったのだが、「竜馬がゆく」を持参してしまったがために、ベニスの素晴らしい景色と幕末の京都が結びついてしまい、なんだか損した気分になったのを思い出したw
殉死という本がある。小説というよりは評論と言った感じの内容で、日露戦争の英雄・乃木希典陸軍大将が明治天皇崩御の後に殉死するまでを描いている。司馬遼太郎は乃木愚将論を広めた人なので、乃木の能力に対して手厳しいのだかそれはともかくとして、第2章の思想の話が凄く面白い。
自分を自分の精神の演者たらしめ、それ以外の行動はとらない、という考え方は明治以前までうけつがれてきたごく特殊な思想のひとつであった。希典はその系譜の未端にいた。いわゆる陽明学派というものであり、江戸幕府はこれを危険思想とし、それを異学とし、学ぶことをよろこばなかった。
この思想は江戸期の官学である朱子学のように物事に客観的態度をとり、ときに主観をもあわせつつ物事を合理的に格物致知してゆこうという立場のものではない。陽明学派にあってはおのれが是と感じ真実と信じたことこそ絶対真理であり、それをそのようにおのれが知った以上、精神に火を点じなければならず、行動をおこさねばならず、行動をおこすことによって思想は完結するのである。行動が思想の属性か思想が行動の属性かはべつとして行動をともなわぬ思想というものを極度に卑しめるものであった。いわば秩序の支配者にとってはおそるべき思想であり、学問というよりも宗教であることのほうがややちかい。
これを読んだ当時(確か大学1年だった)、ロッキンオンっていう音楽雑誌を愛読してたので、「陽明学って要はパンクってことだな」と合点したのを覚えている。
陽明学派の人を列挙すると、乃木希典の他にも、大石蔵之介、大塩平八郎、河井継之助、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛などなど、ほとんどが非業の死を遂げているわけで、このへんもパンクロッカーと同じだな、と。
上の引用箇所の太字のところ、こんな風に生きられたらカッコいいな、とも思うけど、自分の仕事ぶりを観察するとどう見ても朱子学的ムーブしかしてないなぁ。。それでもこのぶっ飛んだ陽明学的な人たちが世界を変える可能性があるのも事実なので、そんな人が近くに居たら、この人は何を考えているかを理解すべく努力しようと思えた。
なんだか、風呂敷広げ人と畳み人の話と似てる気がするなw
