【人生の状況#17】行動は”What”よりも、”Why”で動く。One Heart流 「さとり」の探求。
こんにちは。
ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。
さて、今日は有料マガジン『ご自愛の哲学 〜“差取り”のすすめ〜』の内容になります。
前回のnoteはこちら。
今回、引用したご著書はこちら。
✧˙⁎⋆エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」
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1. 行動は「なにを」するかよりも、「なぜするか」の方が大切。
現存する中でかなり古く、かつ美しい精神の教えに、「バガヴァット・ギーター」(ヒンドゥー教の聖典のひとつ)と呼ばれるものがあります。
この教えは、行動の結果に執着しないことを、カルマ・ヨガと名づけ、「神にささげる行動」と表現しています。
「いま」から逃れようとするあがきがなくなると、「在ること」の喜びが、行動すべてにあふれはじめます。
わたしたちが意識を「いま」に向けると、「心の平安」「自分が存在する」「自分がぴったりと静止している」と感じます。
すると、もう未来に満足感や達成を求めたりはしません。
未来に「さとり」を求めたりしません。
物事の結果に執着しなくなります。
失敗も成功も、「わたしは在る」というたしかさを、おびやかしたりしません。
あなたはついに、「人生の状況」の奥に存在する、「人生」を見出したのです。
行動の結果を追い求めると、いつまでも「終わり」がありません。
結果ばかりにこだわると、その結果にならなければ・・・というネガティブな思いが原動力となってしまい、たとえ達成したとしても、なんだかすっきりしないし、また次・・・と、どんどん結果に執着していきます。
プロセスさえも、ムシをして、ただその結果を得るための行動になる。
それはきっと、過去に起こった自分の失敗のリベンジだったり、誰かに勝ちたい、という気持ちだったり、嫉妬や自分の価値を上げるための行動になってしまうのです。
もともと、そんなことでわたしたちの「価値」は上がったり下がったりしないし、他人との比較も、どちらが上とか下とかない。
『存在』としては、常に対等だから。
行動の動機が、周りの”何か”とくっついてしまっている時、それはいつも、「外側次第」になってくるのです。
自分がしたいからする!
好きだからやる!
こういった動機は、自分にブレがありません。
結果がどうであれ、やったことに意味があるのです。
たとえば、いいね!がたくさん欲しくて何かを発信している場合。
いいね!がたくさんないと、モチベーションが上がらない、やる気が起きない。
反対に、いいね!がたくさんついたら、がんばって発信する。
これを行っていると、いつもいつも、いいね!の数ばかり気にした行動になってしまうし、続けていればいいね!は必ず増えていきます。
どこまでいっても、そこに幸せや達成感は生まれないのです。
たとえ、いいね!が少なくても、全然いいね!がつかなくても、自分の発信する内容に誇りを持ち、自分がしたいからやり、自分のためにやる。
こういった行動は、たとえ今、結果がともなっていなくても、だんだんとよい方向に向かっていくのです。
「さとり」に関しても、さとることに焦点が当たってしまうと、「さとる」ことがゴールになってしまいます。
さとったら、何かそこにご褒美があるのではないか。
たしかに、”ご褒美”的なものは感じられるかもしれませんが、そこは、ゴールではありません。
ゴールにばかりこだわっていると、「いま」がおきざりになってしまうので、心地悪くなります。
「いまに在る」この状態が一番パワフル。
何をしていなくても、「いま、ここ」に心地よさを感じていられれば、それだけでパワフルなのです。
先ほどの引用文の中で書いていますが、美しい精神の教えに、「バガヴァット・ギーター」(ヒンドゥー教の聖典のひとつ)と呼ばれるものがあります。
(わたしも好きな本です)
この教えは、行動の結果に執着しないことを、カルマ・ヨガと名づけ、「神にささげる行動」と表現しています。
「いま」から逃れようとするもがきがなくなると、「在ること」の喜びが、行動すべてにあふれはじめます。
わたしたちが意識を「いま」に向けると、「心の平安」「存在する自己」「静寂」を感じます。
すると、未来に満足感や達成感を求めたりはしないのです。
毎瞬、毎瞬のプロセスが大事なのです。
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ご自愛の哲学 〜“差取り”のすすめ〜
ご自愛の哲学 〜“差取り”のすすめ〜 このマガジンは、「責めない・比べない・争わない」という“差取り”の視点を通して、 日々の中にある「ほ…
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