幸せとは何か?ハートで感じる。
こんにちは。
ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。
2024年12月3日、加筆修正しました。
ここのところ、さっきまで晴天だったのに天気が急変して夕立のようなザザ降りの雨になる日が多い。
そして、それと同時に遠くから鳴り響くカミナリの音。
仕事柄なのか、繊細さん(HSP)だからなのか(おそらくHSPだからだと思う)、カミナリのような轟音は本当にニガテで・・・。
子どもの頃の思い出。
カミナリが怖くなった体験があり、それがトラウマとなってしまったのです。
(学校帰りに鳴り出したカミナリがあまりにも怖くて、知らない人の家のガレージで雨宿りさせてもらった記憶が何度か・・・その節はありがとうございました、笑)
ほんと、笑い話にならないくらい、私にとってはコワイ体験で・・・、
カミナリが自分に落ちるんじゃないかと、本当に怖かったのです。
(まぁ、落ちなかったけど)
じゃ、家の中なら安心か・・・と言えばそうでもなくて・・・、
昔、2件隣のテレビ(アンテナかもしれない)にカミナリが落ちて、焦げ臭いにおいがして一時ご近所が騒然となった・・・という経験をしたり、とカミナリにまつわるエピソードは笑い話になりません!
数年前までは、カミナリが鳴りだすと、わたしは犬みたいに毛布を頭からかぶってしばしカミナリが去るのを待っていました。
これは以前の話で・・・、今はだいぶ平気になりました。
できごと、ものごとの反応を観察できるようになってから、
カミナリへの恐怖心もだいぶ和らいできました。
「観察するってすごいな」と、あれだけニガテだったカミナリに対する恐怖心でさえ、少しスルーできている自分をまた俯瞰的にみることができています。
この話が、誰かの”安心”になれたら、うれしいです。
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さて今日は、「幸せ」とは何か??
そんなお話です。
「幸せになる」なんて言葉がありますが、
”幸せ”は、「なる」ものではありません。
勝手に内側からわいてくるものです。
それも、ふたつの側面があって。
ひとつは、外側のできごとや他人の言動によってわいてくる「幸せ感」。
これは、あっという間に通り過ぎていきます。
つかのま、です。
すぐにまた、「幸せ感」を追い求めるようになり、
「いま、わたしは”幸せ”ではない」という状態をつくりだします。
試験に受かった時
昇進が決まった時
臨時収入が入った時
好きな人と一緒にいる時など・・・。
外側の「何か」に依存している「幸せ感」は、持続しないのです。

一方、内側に常に”在る”「幸せ感」は、
外側のできごとや他人の言動に左右されません。
「わたしは満たされている」という、
”足るを知る”感覚。
それこそが、真の「幸せ感」なのです。
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「自分らしく生きる」とよく耳にしますが、他人の顔色をうかがったり、社会のルールに合わせたりしていると、とても窮屈で縛られているような感覚になることがあります。
それでも、まわりに合わせず自分勝手に生きればいい、と単純に割り切ることは難しいものです。
大切なのは、外側のできごとや他人の言動、社会のルールを受け入れつつ、自分の軸もしっかり持ちながら生きること。
それが自分の内側にある光を輝かせ、ほんとうの意味で「自分らしさ」を表現できる生き方なんだと思います。
自分を満たすためには、外の世界にあるいろいろなものや、自分がやりたいと思うことを通じて、自分自身を表現することが大切です。
好きなことや大切にしたいものに囲まれた生活をしていると、自然と心の器が満たされていく感覚になりますよね。
そうすると自然に「ああ、幸せだなぁ」と感じられるようになるのです。
そして、こうした”満たす”という行為は、努力や頑張りではなく、”楽しむ”ことが大切だと思います。
「満たされない何か」を埋めようと追い求めると、その幸せは一時的なものになりがち。
一方で、ただ純粋に楽しむというスタンスで向き合うと、その時間そのものに感謝の気持ちが生まれ、気づけばまわりのすべてが愛おしく思えてくるものです。
究極的には、「ご自愛」に始まり、「ご自愛」に終わるのだと思います。
自分を大切にし、心を満たすこと。
そこから幸せの連鎖が生まれ、やがてまわりにも優しさが広がっていくのです。
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✧˙⁎⋆振り返りnote。
「ご自愛」について☟
他人の目が気になり、本音が言えない。そんな経験は誰にでもあるはず。
でも、実はウソをついた自分自身にも気づいていて、そんな自分を責めたりしてしまうんですよね、わたしたちって。
✧˙⁎⋆至らない部分をオッケーするという内容で書いています☟
ダメな部分って、みんなダメって否定してしまうところがあって、そんな自分をまたダメって、ダメの堂々巡りをしてしまうんですよね。
至らないところも自分の一部分であることをまずは認め、受け入れる。
そして、そんな自分にオッケーをする。
トレーニングで、できるようになっていきます。
自分という唯一無二の存在を無条件で受け入れると、不思議なことに、まわりのすべての人やもの、そしてできごとに対して、自然と感謝の気持ちが湧き上がってきます。
それは自分を条件なしに受け入れることができたからこそ、生まれる思いなんだと思うのです。
いつも静かに寄り添い、変わることなく自分を見守り続けてくれている・・・その大切な存在(ほんとうの自分)に気づかないなんて、もったいない気がしませんか?
私たちの内側には、そんな存在が確かに”在る”んです。
ただ、それに気づくのは簡単ではありません。
でも、誰の中にもその存在は穏やかに見守っています。
その存在に気づいた時、湧き上がる感謝の気持ちは、どんなものにも縛られることのない、自由で純粋な感謝です。
自分自身に感謝できるようになると、不思議と目に映る世界が変わります。
自分を愛し、受け入れられるようになった瞬間、他人の中にも同じ光を見つけられるようになるから。
「自分=他人」
そう感じられるようになれば、自然とまわりの人にも感謝が広がっていきます。
そんな世界に生きられたら、とてもすてきだと思いませんか?
それを「きれいごと」や「夢物語」で終わらせる必要はありません。
なぜなら、わたしたちはもともと”純粋”な存在だから。
その純粋さに気づき、そっと寄り添うことで、感謝に満ちた世界がすぐそこに広がっていくのです。
今日も感謝であふれた一日になりますように。
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