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苦しみの正体は、“意味をつけること”だった。

こんにちは。ピアノ講師、メンタルコーチの One Heart です。


朝、目が覚めたら雨が降っていた。
「うわ、やだな。傘持ってくのめんどうだし、髪も広がるし・・・」
そんなふうに思った瞬間、今日という一日がちょっとだけ重たく感じたりします。


また、ある日ふとSNSを見たら、仲よしグループで飲み会をしている写真がアップされていて、
「ん・・・わたし、誘われてないかも?」と、胸の奥が少しザワつく。


ほかにも、好きな人にLINEを送って、なかなか返事がこないとき。
最初は「忙しいのかな?」と思っていたのに、
時間が経つにつれて、「もしかして嫌われた?」「何か悪いこと言ったかな」と、不安が膨らんでいく・・・。


こうしたできごとって、きっと誰にでもあります。
そして、そのたびにわたしたちは、「これはこういうことなんじゃないか」と、自分なりの“意味”をつけて受け止めようとしています。


だけど、ちょっと立ち止まって考えてみてほしいのです。
「雨が降っている」
「自分が写っていない飲み会の写真が投稿された」
「LINEの返事が来ていない」


・・・これらは、ただの“できごと”です。
そこに「めんどうだ」「嫌われたかも」「のけものにされた」という意味をつけたのは、
実は“自分の思考”だったりします。


もちろん、それが悪いというわけではありません。
意味をつけることで安心したり、納得したりするのも、自然な心の動きです。


でもその“意味づけ”が、自分を苦しめたり、誰かとの間に壁をつくったりしていることもあるのです。


このnoteでは、「意味づけ」というわたしたちの思考のクセについて、
脳のしくみにも触れながら、少しだけ生きやすくなるヒントをお届けしたいと思います☺️


✧✧✧


脳は“意味”で安心しようとする

「いやいや、そんなの“考えすぎ”だよ」と頭ではわかっていても、
なぜわたしたちは、あらゆるできごとに“意味”をつけてしまうのでしょうか?


それは、脳のしくみに理由があります。


脳は、「あいまいな状態」や「不確かなもの」をとても苦手とする器官です。


たとえば、「好きな人からの返信が遅い」というできごとが起きたとき、
脳は“この状況をどう理解したらいいか”をすぐに判断したがります。


なぜかというと、「不確か=危険」だと感じてしまうからです。


わたしたちの脳は、何万年も前の“原始時代のしくみ”を今もそのまま使っています。


その頃の人間にとって、「この草むらに何かいるかもしれない・・・」という曖昧さは、命にかかわる大問題でした。


だからこそ、脳は「意味づけ(=パターン認識)」によって不安を減らし、
“わかった気になること”←ここ大事、で、安心しようとするのです。


返信が来ない → 嫌われたのかも。
飲み会にいない → のけものにされた?
雨が降る → 今日は嫌なことが起きそう。


こうして、脳は常に「理由」や「ストーリー」を探し、
それらしい“意味”をくっつけて、あいまいなまま放置しないように動いています。
この働きは、いわば“脳の防衛本能”。
悪者ではありません。


でも、ここにひとつ問題があります。


それは、その意味づけが「真実」とは限らないということです。


むしろ、わたしたちが自動的に行っている意味づけの多くは、
過去の経験や、幼い頃から刷り込まれてきた価値観、
さらには社会的なイメージやSNSの情報などに強く影響されています。


つまり、「いまここで実際に起きていること」よりも、
“自分の頭の中でつくられたストーリー”に反応していることが、とても多いのです。


だから、気づかないうちに疲れたり、落ち込んだり、
誰かを誤解したまま距離をとってしまったりする。


この脳のクセに気づくことが、
“意味づけの手放し”の第一歩です。


✧✧✧


苦しみの正体は、“意味をつけること”だった

では、意味をつけてしまう脳のクセに気づいたあと、
わたしたちは何に気をつけたらいいのでしょうか。


まず見ておきたいのが、
意味づけが引き起こす“二次的な苦しみ”の存在です。


たとえば、こんな場面を想像してみましょう。


📱返信が来ないときに・・・

好きな人からLINEの返事がこない。
すると脳は「嫌われたかも」「変なこと言っちゃった?」と意味をつける。

不安が生まれ、そわそわする。
なかには「もうわたしなんてダメなんだ・・・」と、どんどん落ち込んでしまう人もいます。

でも実際は、
・ただ忙しかっただけかもしれない
・返事を考え中かもしれない
・電波が悪かった、のかもしれない

つまり「返信が来ない」というできごとそのものに、感情を引き起こす力はないのです。
でも、そこに“意味”がついた瞬間、心が揺れ始める。


🚶他人の行動への意味づけも・・・

たとえば、同僚があいさつを返してくれなかった。
すると、「無視された」「嫌われてる?」という意味をつけたくなる。

でももしかしたら、
・聞こえていなかっただけかもしれない
・疲れていて気づかなかっただけかもしれない

実際、あとから普通に話しかけられて「あれ?気のせいだった?」なんてこともありますよね。

こうした日常のなかで、
わたしたちはできごとそのものではなく、「意味づけ」に反応して苦しんでいることが本当に多いのです。


しかも、その意味づけはたいてい、
・過去の経験(同じように無視された記憶)
・親や先生から言われた価値観
・SNSなどで植えつけられた理想像


・・・といった「今この瞬間」とはまったく関係のない情報から引っ張り出されています。


さらに怖いのは、
この“意味づけのクセ”が蓄積されることで、
やがて「セルフイメージ」にまで影響するという点です。


たとえば、

  • ミスした → 怒られた → 「わたしはダメな人間なんだ」

  • 忘れ物をした → 注意された → 「わたしはいつも迷惑をかける人だ」

・・・というように、「事実」から「自分の存在価値」へと話が飛躍してしまうのです。


そしてこの「わたしはこういう人間だ」という意味づけが強まっていくと、
本当はそんなことないのに、自分を責める思考が自動的に働くようになってしまいます。


この構造を知るだけでも、
「いま苦しくなってるのは、“意味”のせいかもしれない」
と気づけるようになります。


すると少しだけ、自分の感情を外側から見つめることができる。
それは、小さなご自愛のはじまり・・・ともいえます。


✧✧✧


「意味をつけない」って、無関心とは違う

「じゃあ、意味づけしないって、どういうことなんだろう?」


そう思った方もいるかもしれません。
嫌われたかも?と感じないようにしたり、
気にしないふりをしたり、何も感じないようにすることなの?


でも、それはちょっと違います。


“意味をつけない”というのは、鈍感になることでも、感情を押し殺すことでもありません。


むしろ、自分の中で起こった反応にやさしく気づいてあげること。
そして、「あ、今、何かの“意味”をつけようとしてたな」と気づくこと。
それが“意味づけをしない”という在り方のはじまりです。


たとえば・・・さっきのLINEの返信が来ないケース。


「嫌われたのかな」「何かまずいこと言ったかな」と思ったら、
「うん、そう思っちゃうよね。ちょっと不安だよね」と、まずその気持ちに寄り添ってみる。


そして、こう問いかけてみます。

それって本当?
「返信がない」=「嫌われている」って、言いきれるかな?

一度立ち止まって、事実と解釈を分けてみる。
ただ「返信がない」という事実だけを見てみると、そこに“感情の揺れ”はありません。


不安を生むのは、「きっとこうだ」と自分がつけた意味だったことに気づくのです。


このとき、「意味をつけない」は「意味を“否定する”」ことではありません。


意味をつけたくなる気持ちも、その裏にある不安も、ちゃんと認めた上で、
その意味に「乗っからない」ことが大事なのです。


そのままの意味を握りしめたままだと、
わたしたちはその物語の中に入り込み、感情に巻き込まれてしまいます。


でも、意味づけを一歩引いて見ることができたら、
「ただのできごと」として、それを“今ここ”に戻すことができます。


わたしたちの心は、いつも未来や過去へと旅をしがちです。
「これってどういうこと?」「この先どうなる?」
「前にもこうだったから、きっとまた・・・」


でも、“意味をつけずに眺める”という視点は、
そんな思考の旅を一度お休みさせてくれます。

起きたできごとを、ただできごととして見る。
解釈は、いったん保留にする。
感じた気持ちは否定せず、そのまま味わう。

それだけで、心はずいぶんと静かになります。
まるで、水面に広がった波が、すこしずつおさまっていくように。


意味づけを手放すことは、何もかも無関心になることではありません。
むしろ、自分にも相手にも、“ラベル”を貼らずにまっすぐ向き合えるということ。


それはとても、やさしい在り方です。


書くことで、「意味のクセ」に気づく

ではここからは、
実際に「意味づけ」に気づくための方法として、
ジャーナリング(思考の書き出し)を使ってみましょう。


ジャーナリングのいいところは、
ぐるぐるしがちな思考を“いったん外に出せる”ことです。


思考の中に入り込んでいるときって、自分が意味づけしていることにすら気づきにくいもの。


でも、言葉にして書いてみると「あれ、これって本当かな?」と冷静に見つめられるようになります。


たとえば、こんなふうに・・・。

Q1. 今、何があって、どんな意味をつけようとしていた?

「友達からLINEの返信がない」というできごとがあったとします。
すると、「何か気に障ること言ったかな?」「嫌われたかも・・・」という思考が浮かびますよね。

ここで書き出してみます。

  • できごと:返信が来ない

  • 意味づけ:「わたしは嫌われた」「距離を置かれている」

・・・と書くことで、「あ、自分で“そうかもしれない”と思ってたんだな」と気づけるのです。


Q2. その意味づけは、どこから来たもの?

次に、その「意味」の背景を探ってみます。

  • 「過去にも返信が遅かった人に嫌われた経験があるから」

  • 「自分は人から嫌われやすいと思い込んでいる」

  • 「ちゃんとした人はすぐ返信をくれるべき、という価値観がある」

ここで、自分の中にある“前提”や“思い込み”に気づけると、
その意味づけが「真実」ではなく「自分の中の物語」だったことが見えてきます。


Q3. 意味をつけずに、できごとだけを見たらどうなる?

最後に、「意味のラベルをはずした状態」で、ただの事実だけを見てみます。

  • 事実:まだ返信が来ていない。それだけ。

ここに「嫌われた」も「無視された」もありません。
事実は、ただそれだけなのです。

この瞬間、少しだけ心が軽くなった感覚があるかもしれません。
それが、意味づけから自由になる第一歩です。


このワークは、1回やればすべてが変わるような即効性はありません。
でも、「気づく → 書く →手放す」を何度かくり返していくことで、
意味づけのクセが少しずつ緩んでいきます。


それは、自分を守るためにつけてきた意味を、
「もう、大丈夫だよ」と手放していくプロセスでもあるのです。


起きたことは、起きたこと。
そこに意味をつけるかどうかは、いつでも自分が選べる。

そう思えるようになると、人生の景色が少しずつ変わっていきます。


✧✧✧


「意味がない世界」は、やさしい。自由。怖くない。

「意味がない」って、冷たく感じる言葉かもしれません。


でもそれは、“どこにも敵がいない”ということ。
誰かを悪者にしなくていい。
自分を責めなくていい。


ただ起きたことを、起きたこととして見てみる。
そのままの自分の気持ちに寄り添ってあげる。
それだけで、わたしたちの内側には、やさしいスペースが生まれます。


「このできごとに、意味はあるのかな」
「もしかして、わたしが意味をつけていただけかも」


そんなふうに少しずつ、自分の反応に気づけるようになると、
思考に振り回される時間が、すこし減っていきます。


そして、自分のことも、他人のことも、
ちょっとだけフラットに眺められるようになっていく。


それは、ご自愛の入り口でもあり、
“差を取る”という生き方そのものなのかもしれません。



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どちらも、すぐに変わらなくて大丈夫。
少しずつ、自分の思考に「やさしい目」を向けるところから、一緒に始めてみませんか?


あなたが、意味をつけて苦しくなってしまうとき。
それは、ほんとうは「感じたままの気持ち」を大切にしているから、かもしれません。


すぐに手放せなくてもいいし、いきなりポジティブにならなくても大丈夫。


ただ、いまの自分に「そう思っちゃったよね」とやさしく声をかけてあげられたら、
それだけでも、もう十分“ご自愛”です。


今日も愛あふれる一日をお過ごしくださいませ。


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