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ほんとうの価値は、すでに“ある”。〜密教とご自愛の交差点で

こんにちは。ピアノ講師、メンタルコーチのOne Heartです。


今週も、読みにきてくださってありがとうございます。
スキやコメント、新しくフォローしてくださった方、
そしてメンバーシップに加わってくださった方や、
有料note・マガジンを購入してくださった方にも、心から感謝します。


忙しい日々のなかに、
自分を取り戻す、ご自愛の時間が生まれますように。


今回のnoteは、マガジン『“密”なる自己対話』のひとつとしてお届けします。


“外”に答えを探す前に、そっと“内側”に耳を澄ませてみる・・・。
そんな小さな自己対話の時間になれば、うれしいです。


°⌖꙳✧˖°


自己肯定感の時代、それでも苦しいのはなぜ?

「自己肯定感を高めよう」
「もっと自分を好きになろう」
そんな言葉を、よく見かけるようになりました。


SNSでも本屋さんでも、「自己肯定感アップ」が合言葉のように並びます。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
むしろ、それだけ多くの人が「自分を肯定できずにいる」という、社会の声のあらわれなのだと思います。


ただ・・・
がんばって「自分を好きになろう」と努力しているのに、
思ったように満たされない、楽になれない、
そんな人もまた、少なくないのではないでしょうか。


心のどこかで
「これで本当にいいのかな・・・」
「結局、むりやり自分を肯定しようとしてるだけかも」
と感じている人もいるかもしれません。

 

わたし自身、そうでした。


「こんな自分でいい」と言い聞かせても、
根っこのところでは「もっとがんばらなきゃ」という声が、いつも聞こえていました。


たぶんそれは、
「今の自分を認めよう」と思っても、
“自分の本当の価値”に、どこかで確信が持てていなかったから。


つまり・・・
“肯定”の前に、“価値”を思い出していなかったのです。

 

自己肯定感は、たしかに心を軽くしてくれます。
でもそれは、自分の中にある“確かな価値”に触れたとき
初めて“深く根づくもの”になるのではないでしょうか。


°⌖꙳✧˖°

 

ご自愛とは、「価値を思い出す」行為である

「ご自愛ください」という言葉は、もともとは手紙の結びなどに使われてきた、少しあらたまった表現でした。
けれど近年では、この言葉がふたたび脚光を浴びるようになっています。


それは、時代の疲れが、静かに顔を出し始めたからかもしれません。
「休んでもいい」「無理しなくていい」という言葉が、
いろんな場所で聞かれるようになったことも、その流れのひとつだと思います。


でも・・・、
ただ休めば満たされるわけでもなく、
好きなものを取り入れても、ふとした瞬間に虚しさが顔を出す。
それが現代の“ご自愛ブーム”の、もうひとつの顔でもあります。


わたし自身、30代の頃が、
「自分に自信がない人間だった時期のピーク」だったように思います。


他人の言葉にいちいち傷ついて、
自分を「小さくて、頼りない存在」だと決めつけていました。


軸がなくて、ブレブレで、
人に意見を伝えることもできず、心の中ではいつも言葉を飲み込んでいました。


そして何より、人と比べては落ち込んでいました。


誰かの活躍を見ては、自分の遅さに焦り、
誰かの明るさに触れては、自分の地味さを責めていたように思います。


「ご自愛」なんて言葉とは、まるで無縁だったあの頃・・・
でも、あの時のわたしにも、たしかに“宝”はあった。


それに気づけるようになったのは、
少しずつ「自分に戻る旅」を続けてきたからかもしれません。

 

「自分を大切にする」とは、どういうことなのか?


それは、
“壊れた自分”を修正することでも、
“足りない自分”に何かを加えることでもない

と、わたしは思います。

 

むしろ、「戻る」行為に近い。
つまり・・・
もともと自分の中にあった“価値”や“光”を、思い出すこと。


「ちゃんとある」ことを、忘れていただけなのかもしれない。
だから、
ご自愛とは、“取り戻す”ための静かな時間なんです。

 

たとえば、ジャーナリングで
「今日、うれしかったこと」を書いてみるたり、
自然の中で深呼吸する時間を持ってみたり。
そのどれもが、内側にあるものに触れ直す“儀式”のようなもの


そこには、誰かの評価も、何かの成果も、必要ありません。

 

自己肯定感を高めるより前に・・・、
まず「わたしの中には、価値がある」と思い出すこと。
それが、ほんとうの意味での“ご自愛”だと感じています。


°⌖꙳✧˖°


「自宝を知らず、狂迷を覚ち謂えり」


空海さんのことばに、こんな一節があります。

「自宝を知らず、狂迷を覚ち謂(い)えり」

一見すると難しく感じるかもしれませんが、これはとても深く、そしてわたしたちの日常にもつながるメッセージです。

 

言葉を分けてみると・・・

  • 「自宝」とは、「自分の中にある宝」。

  • 「狂迷」とは、「迷いの中にいる状態」。

  • 「覚ち謂えり」とは、「それを悟りだと勘違いしてしまっている」。


つまりこの言葉は、こう語りかけているのです。

「自分の中にある本当の価値に気づかず、
迷ったままでいることを“悟り”だと思い込んでいる」

 

これは、現代にもそのまま当てはまると感じます。


わたしたちは、「もっと頑張らなきゃ」「理想の自分にならなきゃ」と、
つい“今の自分”を否定し、外のどこかに答えを探してしまいがちです。


けれど・・・
もし、本当はすでに「宝」を持っていたのだとしたら?


もし、その宝を見ようとしないまま、
「これが正解」「これが覚(さと)り」と、自分を追い込んでいたとしたら?

 

空海がこの言葉に込めたのは、“気づかないことこそ、最大の迷い”という教えだったのかもしれません。


そしてもう一つ・・・、
この言葉には、こんなやさしい含みも感じられます。

「あなたの中には、もともと宝があるんだよ」
「気づけばいいだけなんだよ」
「だから、外に探しに行かなくてもいい」

 

以前、わたし自身にも、こんなことがありました。


一日中バタバタとあわただしく過ごしたある日、
夜になって、ふとTodoリストを見返してみたら、
書いていた項目がすべて終わっていたんです。


「これでよかった」・・・そう思えた瞬間、
胸の奥が、じんわりあたたかくなるような感覚がありました。


誰に見せるわけでもなく、
誰に認められたわけでもないけれど、
“わたしなりの納得”が、たしかにそこにあった。


それはたぶん、空海さんのいう「自宝」・・・
自分の中にすでにある価値に、ふと触れた時間だったのだと思います。

 

ここで、空海さんの言葉から、あなたへ質問をしますね。

「わたしは、自分の中の宝に気づいているだろうか?」
「いま追いかけている“正しさ”は、本当にわたしの答えだろうか?」

すぐに答えられなくても大丈夫。


Yes or Noで答えてみてもいいかもしれませんね。
自分を追い込まず、心を楽にしてやってみてくださいね。


°⌖꙳✧˖°


自己肯定感と自己価値〜ちがいと、つながり

「自分を肯定すること」と「自分の価値に気づくこと」は、似ているようで、少し違います。


どちらも心の土台をつくる、大切な感覚。
でも、それぞれに役割があり、深まり方にも違いがあります。

 

自己肯定感とは?

それは・・・
「どんな自分でも、ここにいていい」と感じられる、土台の安心感


たとえ失敗しても、
誰かに認められなくても、
「わたしはわたしでいい」と、自分にOKが出せる状態です。


つまり、評価されていなくても、揺るがない「存在の肯定」
「できる/できない」とは関係のない、“ありのまま”の自分への信頼感です。

 

自己価値とは?

一方で、自己価値は・・・
「わたしには意味がある」「わたしの存在には役割がある」という感覚。


自分がこれまで歩んできたこと、感じてきたこと、
あるいは、誰かにかけた言葉や、やさしさ。
そうしたすべてが、自分という存在に「意味」を与えてくれている


そしてそれに気づいたとき、はじめて
「わたしって、価値があるんだ」と感じられるのです。

 

どちらが先でもかまいません。
でも、片方だけでは、やっぱり心もアンバランスになります。

 

たとえば・・・
自己肯定感だけが先にあっても、
「わたしはこれでいいんだ」と思いながら、
どこか空虚で、手ごたえのなさに揺れることがあるかもしれません。


逆に、自己価値だけを求めすぎると、
「役に立たなきゃ」「意味ある自分でいなきゃ」と、
気づかないうちに、がんばりすぎてしまう。

 

だからこそ、どちらも必要で、
そして、どちらも本来は・・・“自分の中にすでにあるもの”なんです。

 

空海さんのいう「自宝」は、
この両方に通じています。


それは、
「わたしの中には宝がある」と知る、静かな価値の実感であり、
「だから、何があっても、わたしはここにいていい」と思える、根っこの安心でもある。

 

宝は、育てるものではなく、思い出すもの。


そして、思い出せば思い出すほど、
その輝きは日常の中で、少しずつ確かになっていきます。

 

°⌖꙳✧˖°


わたしの中の“宝”に気づく、小さな実践

〜静かに、自分を取り戻す「自宝ジャーナリング」


「すでに持っている宝に、ただ気づけばいい」
そう言われても、忙しい日常の中では、なかなか実感できないものです。


目の前のToDoに追われたり、
誰かの期待に応えようとがんばったり、
あるいは、SNSの世界に飲み込まれてしまったり・・・。


そんなとき、わたしたちはつい、「外」に正解を探してしまいます。
でも、ほんとうの答えは、やっぱり「内側」にある。
それに気づかせてくれるのが、小さな自己対話の時間です。

 

そのひとつの方法が、「自宝ジャーナリング」(勝手に名づけた、笑)です。


これは特別なスキルがいらない、
“ただ、書いて、気づいて、ほっとする”ためのやさしい実践。


「自分の中の宝に、そっと光をあてていく」ような、静かな時間です。

 

たとえば、こんな問いを、ノートに書いてみてください。

✍️ 自宝ジャーナリングの問い

  • 今日一日の中で、「わたし、よくやったな」と思えることは?

  • 最近、ふと心がゆるんだ瞬間は?

  • 誰にも言ってないけれど、自分で「えらい」と思ったことって?

  • 子どものころ、夢中になっていたことは? そこに今も続いている“宝”はある?


書いてみるとわかるのですが、
これらの問いは、“ないもの探し”ではなく、“あるもの探し”につながっています。


そして書きながら、こんな気づきが生まれるかもしれません。

「ちゃんと、わたしの中にあった」
「自分の価値って、目立たなくても、確かに存在してた」
「誰にも見えていなかったけど、わたしはずっと、宝を持っていたんだ」

 

そのとき、心のどこかが、ふっとほどけます。
焦りや、自己否定や、孤独感が、少しずつ溶けていきます。


そしてその感覚こそが、
「自己肯定感」や「自己価値」が、頭ではなく“体感”として芽生えていく瞬間なんです。

 

わたし自身、いろんな実践を重ねてきたけれど、
どんなメソッドよりも、この「自分の内側と対話する時間」が、
わたしを根っこから支えてくれました。

 

あなたの中にも、かならず「宝」があります。


それは、誰かと比べて測れるものではなくて、
あなたにしかわからない、かけがえのないものです。


その宝に、気づくための静かな時間。
それが「ご自愛」であり、
それを導くのが、「自宝ジャーナリング」なのだと思います。

 

今日、ノートを開くその行為は・・・
「外に探すのをやめて、内に戻る」という、小さな決意かもしれません。


そしてその一歩こそが、
“密なる自己対話”のはじまりなのです。


°⌖꙳✧˖°


あとがき〜「宝」と出会う、静かな旅へ。

宝は、きっと、日常のどこにでもある。
自分の中に、もうすでにある。
だけど、気づくにはちょっとした静けさと、ひとすじの光が必要で・・・
それが、ノートとペンだったりします。

 

さあ、あなたもノートとペンを持って、
“自分の中の宝”に出会う旅を、わたしと一緒に始めてみませんか?

 

わたしが運営しているメンバーシップでは、
月初めに1回、“ゴール(目標)ワーク”を、毎週1回、“週いちジャーナリング”のワークをお届けしています。
今月のテーマは「2025年後半戦!いまこそ、“やりたい”に向かうとき」です。


前半をふり返り、これからの半年をどう進むか・・・。
「やりたいこと」に向き合い、言語化していくワークをお届けしています。自分の本音を見つめ直して、“進む方向”をしっかり定めたい方におすすめの内容です。


7月は全5回の配信を予定しており、
次回(第2回)は、7月9日(水)に配信予定です。


また、ご参加いただいた方は、
過去のジャーナリング記事もすべてご覧いただけます。
1回目からゆっくり取り組めるので、今からでもしっかり受け取っていただけます。

 

忙しい日々の中で、ふと立ち止まる時間を。
誰かの声ではなく、自分の声に耳を澄ませる時間を。
そんな“密なる自己対話”のひとときを、ぜひご一緒できたらうれしいです。

 

メンバーシップの詳細はこちら


今週も、おつかれさまでした。
あなたの中にある「すでにある価値」が、
来週も、あなたを支えてくれますように。


今日も“愛”あふれる一日をお過ごし下さいませ。



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ピアノ講師×ご自愛コーチ One Heart すてきな記事だな、と感じていただけたらぜひ!サポートをよろしくお願いします。これからも有益な記事を書いていきます。