【感情の痛み#08】なんで、わたしだけ苦しいの?〜感情の痛みと“決めつけ”の関係
こんにちは、ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。
今回は、有料マガジン『ご自愛の哲学 〜“差取り”のすすめ〜』の中から、特別に全文公開でお届けします。
テーマは「感情の痛みは、自分でつくっている」・・・。
もしかすると、ちょっとドキッとするタイトルかもしれません。
けれどこの記事は、
「なんでこんなに苦しいんだろう?」
「自分って、こんなにも弱かったっけ?」
そう感じたことのある方にこそ、読んでいただきたい内容です。
その前に少しだけ、「さとり」という言葉について、お話しさせてください。
「さとり」って、むずかしいもの?
「さとり」と聞くと、なんだかスピリチュアルっぽくて怪しい・・・
宗教や修行を連想して、「自分には関係ない」と思ってしまう方もいるかもしれません。
でも実は、「さとり」とは“気づき”のこと。
仏教では、さとり=「菩提(ぼだい)」とも訳されます。
迷いの中から抜け出し、物事の本質に気づくこと・・・そんな意味があります。
とはいえ、そんなに堅苦しく考えなくても大丈夫。
「いま、ちょっとザワザワしてるな」
「わたし、また比べて苦しくなってるかも」
こうして自分の状態に“気づく”瞬間こそが、さとりの始まりなんです。
わたしたちは、本当はもう“さとっている”?
「いまが苦しい」
「なんとなく不安」
「心が重い」
それ、実は“正常な自分”の感覚じゃないのかもしれません。
本来のわたしたちは、
「足りないものなんて、何もない」
「いま、ここにあるものをそのまま受けとる」
そんなシンプルな状態に戻れる存在です。
だけど・・・
いつのまにか「ちゃんとしなきゃ」
「もっと頑張らなきゃ」
そんな思考のクセに支配されて、気づけば苦しくなっている。
その状態から抜け出すカギが、「気づくこと=さとり」なのです。
「さとる」と、どうなるの?
ちょっとだけ、さとりの恩恵を並べてみますね。
生きるのが楽になる
背負っていた責任や義務から解放される
起きていることに右往左往しなくなる
ネガティブな感情が減っていく
他人の言葉や態度に振り回されにくくなる
自分の内側に、静かな場所があると気づく
ちょっとよさそうですよね、笑。
でも、さとりって“人生のゴール”ではなくて、
実は“日々の中で何度でも出会えるもの”なんです。
ふとしたときに戻ってくる静けさ。
ほんの数秒でも、それを感じられたら・・・
きっとあなたの内側は、もうさとりの入口にいるのだと思います。
そんなわたしたちが、なぜ苦しむのか?
ここからが、今日の本題です。
本来、静かで軽やかな存在であるはずのわたしたちが、
なぜ、こんなにも感情に振り回されてしまうのか?
そして、
その「感情の痛み」を作り出しているのは、
もしかしたら“思考”のクセや決めつけなのかもしれないとしたら・・・?
そんな視点で、これからの本文をお届けします。
焦らず、かみしめながら、ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。
°⌖꙳✧˖°
「あの人、すごいな…」と感じたその瞬間、わたしの内側にあったもの
「すごいなあ」
身近な人が昇進したり、夢を叶えている姿を見たとき、そんなふうに思ったこと、きっと誰にでもあると思います。
本当は心から祝福したいのに、ふと湧いてくる感情。
「わたしは、何をしているんだろう」
「このままでいいのかな」
そんな、ちょっとザワザワする気持ち。
「わたしって、ちっちゃいな・・・」
そう思って、そんな自分を責めてしまったことはありませんか?
でも、このときわたしたちは、自分でも気づかないうちに「あること」をしてしまっているんです。
それは・・・
“決めつけ”。
苦しみの正体は、「思考」がつくり出している
わたしたちの苦しみの多くは、実は「事実」ではなく、
“思考”というフィルターを通して見ている世界の中にあります。
たとえば、誰かの成功を見たときに湧く「自分は劣っている」という思い。
これって、“現実”ではなく、「そう思考が判断した」だけなんですよね。
エックハルト・トールさんはその著書の中で、こう語っています。
わたしたちは必要のない苦しみを、自分から背負っている。
思考は、いまこの瞬間を嫌っている。
だからいつも、過去か未来に逃げようとするのです。
出典:エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」より(Amazonリンクはこちら)
わたしたちが苦しくなるのは、「いま、ここ」をありのまま受け取らず、
「もっとこうでなければ」「前はこうだった」「将来が不安だ」と、
思考によって“あるべき姿”を押しつけているから。
つまり・・・
苦しみをつくっているのは、外のできごとではなく「自分の思考」なんです。
決めつけは、自分を縛るレッテル
たとえばこんな言葉が、心の中に浮かんでくることがあります。
「私は才能がないから」
「どうせまた失敗する」
「みんなに嫌われたらどうしよう」
このような“決めつけ”は、意識していないだけで、わたしたちの中で日常的に起きています。
無意識のうちに「わたし=こういう人間」と思い込むことで、
本当は見えているはずの選択肢を、自分で見えなくしている。
そしてその“レッテル”のほとんどは、過去の誰か・・・
親、先生、テレビ、社会・・・
そんな「外からの情報」によって刷り込まれたものなのです。
苦しみの雪だるま、「ペインボディ」とは?
感情の痛みが積み重なっていくと、
それはやがて「ペインボディ(Pain-body)」という“感情のかたまり”になる・・・
そうトールさんは述べています。
「ペインボディが生き延びるには“痛み”が必要。
その栄養は、痛み以外にはない」
わたしたちは、過去に傷ついた経験や感情の痛みを、心だけでなく身体にもためこんでいます。
たとえば、ある言葉を聞いたときに急に体がこわばったり、
なんでもないできごとで涙が出たり、
身体が重くなるような感覚になるのも、
過去に感じた痛みが、今もどこかに残っている証拠かもしれません。
でも、そのペインボディに“自分が飲み込まれている”ことに、なかなか気づけないんです。
なぜなら、わたしたちはそれを「これがわたしなんだ」と思い込んでしまうから。
「あるがまま」を受け入れるということ
「あるがまま」とは、ただそのままを受け止めること。
たとえば、花は咲くときに「もう咲いていいのかな?」と迷ったり、
他の花を見て焦ったりはしませんよね。
自分のタイミングで、ただ静かに咲くだけ。
わたしたちも、本来はそれでいいはずなのです。
でも思考は、「もっと早く咲かなきゃ」「あの人はもう咲いている」と騒ぎ立てる。
そうやって“比較”を生み、“焦り”をつくり出すのです。
思考を「観察」してみる
苦しみの正体が思考だとしたら・・・
それに気づくことが、解放の第一歩です。
たとえば、心がザワザワしたときにこう問いかけてみてください。
「いま、わたしはどんな“決めつけ”をしている?」
答えが出なくても大丈夫。
ただ、自分の思考を見つめるだけで、わたしたちは“本当の自分”のほうに近づいていけます。
“本当の自分”とは、思考でも、感情でもなく、
それらをただ見つめている「静かな意識」です。
苦しみを“つくっていた”ことに気づいたとき
感情に飲み込まれていたとき、
わたしは「自分=この痛みそのもの」だと信じ込んでいました。
でも、本当は違ったんです。
わたしは、「痛みを感じていたけれど、それに気づくことができた存在」でした。
つまり、痛みは「わたしの一部」ではあるけれど、すべてではない。
この気づきがあるだけで、心は少しずつ軽くなっていきます。
最後に:静かな“いま”に戻ってくる
心がざわついたとき、
誰かと比べて苦しくなったとき、
「また、思考がわたしを急かしてるな」と、気づいてあげてください。
そして、自分にこう声をかけてみてください。
「いまのわたしに、そっと戻ってこよう」
思考がどれだけさわいでいても、
“いま、この瞬間”にだけ、ほんとうの平安があること。
それを、わたしたちは本当は知っているはずだから。
✧˙⁎⋆振り返りnote
過去記事で「エゴ」をテーマにたくさん記事を書いています。
その中のひとつ。「いま、この瞬間」を嫌うエゴは、過去や未来にいきたがります。
そんな「いま」から逃げるエゴの存在を知っていくことで、「いま、この瞬間」にいられる時間が長くなっていく。
✧˙⁎⋆もうひとつ。
「エゴ」とは、まさに”個性”のこと。
この世界に81億人の人がいたら、81億通りの「エゴ」がある、ということです。
それぞれが違う存在だからこそ成り立っている世界だということが腹の底からわかると、なんだか生きるのも悪くないなーと思いませんか?
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。
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ご自愛の哲学 〜“差取り”のすすめ〜 このマガジンは、「責めない・比べない・争わない」という“差取り”の視点を通して、 日々の中にある「ほ…
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