見出し画像

“正しく育てる”を手放したら、親子がちょっと楽になった話


おはようございます。
春の空気がやわらかくなってくると、子どもとの時間が、少しだけ違って見えてくることがあります。

今日は「子育てって、こうするべき!」という気持ちを手放してみたら、親子でふっと楽になれた…そんなお話をしてみたいと思います。


「正しく育てたい」が止まらなかったあの頃

子どもが生まれてから、ずっと心のどこかにありました。「ちゃんと育てなきゃ」「失敗しちゃいけない」っていう気持ち。

栄養バランスのとれたご飯を作る。
生活リズムを整える。
友だちと仲良くできるようにする。
発達に合った声かけをする。

気づけば、毎日“ちゃんと”ばかり気にしていた気がします。

どこかで「私が間違えたら、この子が困るかもしれない」っていう不安があって。それを埋めるように、必死に正しさを集めていました。


「また言ってる〜!」の裏側

ある日の朝。出かける支度の時間です。

「早く歯みがきしなさい」
「ランドセル、ちゃんと閉めて」
「まだ髪の毛ぐちゃぐちゃだよ!」

そんなふうに立て続けに声をかけていたら、娘がムスッとしてこう言いました。

「も〜、ママっていつも“○○しなさい”ばっかり!」

口をとがらせて、腕を組んで。その言葉は、ちょっとした反抗というよりも、どこか寂しさまじりに聞こえました。

その瞬間、ハッとしたんです。
あれ、私って今、娘に“ちゃんと”しか伝えてないかもしれない。

「やってないこと」ばかり見て、「やってること」には気づけてなかったんじゃないかな。


“できてる親”より、“育っていける親”になりたい

その夜、お風呂で湯船に浸かりながらふと思いました。

子どもにとって「なんでも正しいことを教えてくれる親」って、ほんとうに必要なんだろうか?

それよりも「一緒に悩んだり、笑ったり、失敗したりできる親」だったらどうだろう。

「さっきは怒りすぎちゃったね」
「ママもちょっと疲れてたかも」
「このやり方、合わなかったね。今度どうしようか?」

そうやって完璧じゃないまま一緒に考える関係のほうが、ずっと安心できる気がしました。


「わかんないけどしんどい」にも寄り添いたい

翌週、娘が学校から帰ってきて、玄関でしばらく靴のまま立ち尽くしていました。ランドセルを下ろすでもなく、ただぼーっとしてる。

「ただいま、は?」と咄嗟に言いかけて、はっとして、代わりにこう言いました。

「今日、疲れた?」

すると娘は、靴を脱ぎながら言いました。
「うーん…疲れたのかな? わかんないけど、なんかしんどい」

ああ、これか、って思いました。

「子どもの気持ちは、必ずしも“理由付き”じゃない」
「ちゃんと説明できることばかりじゃない」

なのに私はいつも「どうしたの?」「何があったの?」って、言葉で“原因”を引き出そうとしてた気がします。

でも本当は「わかんないけどしんどい」に寄り添ってほしい日もあるんですよね。


“正しさ”の代わりに、笑える余白を

それから私は「完璧な育児」をやめてみることにしました。

レトルトのカレーの日は、あえて「ママ、今日レトルトカレーシェフ〜」と名乗って登場。お風呂をサボった日は、「うん、週末はそんな日もあっていいよね。ってことで」なんて冗談でごまかす。

すると、子どももなんだか楽しそうになってきて。「じゃあ私もレトルトシェフ助手やる!」とか言ってくれる。

正しさを追いかけていたときは、“楽しむ”という感覚をどこかに置いてきていた気がします。

でも、ちょっと笑える余白を残すだけで、家の空気がぐっと軽くなったんです。


子どもは、“一緒にいられる安心”で育つ

縄跳びの練習でうまく跳べなかった日のこと。
娘がベランダでひとり黙々と跳んでいて、でもぜんぜん続かなくて。

「やっぱり無理だし!」って言いながら、なわとびを投げました。

昔の私だったら、「あきらめないの!」って言ってたと思います。でもその日は、近くに座ってこう言いました。

「いっぱい頑張ったね。」

それだけでした。

しばらくして娘が「もう一回だけやってみる」と言って、6回跳べたあと、こっちを見て笑いました。

できる・できないよりも「誰かが見ていてくれる」「そばにいてくれる」っていう安心が、次の一歩を生むんだなと感じた瞬間でした。


「育てる」って、そばにいることなんだと思う

子育てって、「育てる」というより“その子のそばにい続けること”なのかもしれません。

正解を教えることでも、
いつも完璧でいることでもなくて。

「今日はうまくいかなかったね」って一緒に反省したり、「まあまあよかったんじゃない?」って笑い合ったり。そんな積み重ねが、自己肯定感を育てていくんだと思います。


たぶん。。。

みんな最初は「ちゃんと育てなきゃ」って、うんじゃないかな。

でも、その“ちゃんと”が苦しくなるときがあるなら、それは“今の自分たちに合っていないサイン”かもしれません。

大丈夫。子どもは正しい育児じゃなくても、ちゃんと育っていきます。

むしろ笑って失敗できる親と一緒にいたほうが、「うまくいかなくても、またやればいい」って思えるようになる気がします。

今日も、ちょっとだけラクをして、ちょっとだけ笑えたら。それが、きっとちょうどいい。

よかったら、また「まあまあだった今日」の話を、読みに来てくださいね。

それでは、また。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集