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みいちゃんと山田さん、アニメ化潰しについての私見

僕は、障害持ち(障害手帳持ち)で鬱(2024年秋に寛解)とASDですから、障害者目線で語れますが、

障害者と一括りに出来るほど単純なものでは無く、その様態も程度も千差万別です。

障害と、その環境、周りの対応の仕方だってみんな違います。

感じ方だって違います。

どんな形であっても問題提起をして世間に知ってもらいたい人もいれば、

頼むからそっとしておいてくれ、と言う人もいます。

したがって、僕は障害者全体の代弁者にはなれません。

自分の目の届く範囲しか解りませんので、一つの意見として、お読み頂ければ幸いです。

因みに、僕は62歳(もうすぐ63歳)の漫画家です。つまり、表現する側の人間でもあります。


最初に結論を言うと、批判は全然して良いですが、
規制しろ、アニメ化を潰せ、と言う、表現封殺のアクションを起こすのは、僕には理解できません。

障害者差別を助長する、と言う主張があるのですが、その作品があるから差別いじめが生じるのでは無く、障害者差別といじめがある現状があるから、この作品が存在するのです。順番が逆です。

確かに、悪い事に悪い事がどんどん重なって、救いが無いという、カリカチュアライズされた部分があるとは思いますが、それは、漫画なりの表現として、許容範囲です。と言うか、クラスで「ちょっと変わった子」に対する無視、仲間はずれ、は実際にありますし、障害者支援施設で、何も言わないのを良い事に、職員が性的暴行を加えた、なんてニュース、幾つもあるでしょう。多くの人は、問題の深刻さを軽く見過ぎです。現実への理解度が低いから、こんな酷い事があるわけ無い、なんて考えてしまうのでしょう。



僕、みいちゃんの事が理解できる所があって。あと、ニナちゃんも。身に覚えがあるんです。そして、周りにいる人たちのネガティブな対応も、解るんですよ。

僕なんか、漫画を描く事を取り除いたら、ただの社会不適合者ですから。一杯人に迷惑かけて、一杯怒られました。サラリーマン時代、本当に職場のお荷物でした。糞味噌に言われても、本当の事だから、反論できませんよ。
そして、僕は別の障害持ちの親族がいるんです。だからイライラした事もありますよ。俺に近寄るな、と思う事もありますよ。

この作品を、皆露悪的に過ぎると言うんですけど、僕はちっともそう思いません。それを言ったら、世の中、人を人とも思わない鬼畜が虫けらの様に惨殺しまくる漫画だって幾つもありますよ。凄惨な暴力を正当化する任侠ヤンキー漫画だって沢山あります。

現状を世間に分かって貰うきっかけになるなら、表現内容が実態から少しずれていたとしても、無いよりマシだと思います。

問題を世間から隔離する事は、ただの問題先送りにしかなら無いと思うからです。

敢えて波風を立てる事で、無論、デメリットもあるでしょうが、メリットもあるかも知れません。その可能性の方を、僕は重視します。

例えば、学校内いじめの問題に置き換えてみましょう。障害関係なく。

この事を学校がつまびらかにしたら、その内容をマネするバカが現れて、いじめが増える、

だから、この学校ではいじめは無い、と言う事にするからな。みんな黙ってろ。余計な事言うな。

と言う態度を取ったら、皆さんそれを肯定しますか?

それと、本質的には変わらないのです。


ある人が、「この作品を受け入れるほど国民の理解力は成熟していない」と言いました。

では問います。

時間が経てば、勝手に成熟するんですか?問題を先送りしつづけていたら、成熟なんて未来永劫、やってきません。

差別もいじめもある、その現状を大半の健常者はよく理解していない、この状態が延々続くのです。そのことが、障害者にとって、良い事だと思いますか?


またある人は、障害を見世物にして金儲けしている、と非難します。

プロは、描いてお金を貰う。出版社はコンテンツを売って利益をうる。それは当たり前の事であって、障害や差別の時だけ、ボランティア以外は認めない、それは無理筋だし、お金をかけなければ世間に広まらない。勿論、程度問題、と言う話はあるでしょうけれども。

日テレの24時間テレビ、あれ、何故続いているか。芸能人はチャリティーだからノーギャラなのかも知れませんが、昨今のテレビ局界隈のニュースを見れば、決して利益度外視の慈善事業をしているわけじゃ無いのは解るでしょう。一定の視聴率が見込めるから、スポンサーが付きやすいから、続いているんです。あれこそ、感動ポルノ、障害者を見世物にしている、と、憤っている当事者もいる訳です。可哀想、と言う感情は、自分より下に見ている事と同義なのです。


作品の内容が間違っている、正しくない、と言うのなら、解決法は簡単です。正しい情報、間違っていない情報を積極的に発信して、上書きすれば良いのです。どうしてそうしないで、「潰してしまえ」と言う発想にしかならないのでしょうか?不思議です。


電車に乗っていると、時々、扉付近で、何かよくわからない事をブツブツ言っている人を見かけます。その人の周りには空間が出来て、みんな距離を取ります。その人は単に、「頭で考えている事と、実際に声に出している事の境界線が曖昧なだけ」なのです。突然、刃物出して振り回すわけじゃありません。なのに、みんな引いていく。目を背けて、まるで彼など存在していないかの様に振る舞う。気持ち悪いから。これって、立派な差別行為なんですけど、解ってます?車内にあれだけ人がいたら、人権派の人がいてもおかしくない筈なんですけどね。

そういう人が、差別反対なんて喧しいのは、片腹痛いと思ってしまうのです。この偽善者共め、と。SNSに良くある、「こいつを叩いていいのなら、乗っかってしまえ」という集団リンチの匂いがプンプンします。


もし、仕事で障害者問題の話が舞い込んできたら、やりますよ。
僕なりの解釈で。勿論、取材にだって行きますよ。今知り合いに、知的障害ある子がいるので、この夏に会いに行きます。

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