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「au」3G技術「CDMA2000」採用を米クアルコムが強要し米国は内政干渉をして強引に採用させる

4.カメラケータイとJ-PHONEの逆襲

(1)ドコモのiモードが与えた衝撃

ドコモのパケット通信技術は非常に優れた技術で、すぐにiモードに追いつけないと判断。J-PHONEは別の選択肢も探る。

その頃、J-PHONEに端末を供給していたシャープは携帯電話開発からの撤退を検討していた。
J-PHONEはシャープ撤退は勿体無いと「端末の共同開発」を打診。

「通信業界後発組のJ-PHONE+端末売上下位のシャープ」。

通常、携帯電話端末の開発は通信キャリアが仕様を決め、メーカーが仕様通りに端末の開発を進めるキャリア主導だった。

しかしJ-PHONEはキャリア+メーカー共同開発を提案した。

(2)J-PHONEとシャープの共同開発秘話

J-PHONEとシャープは共同開発端末としてカメラ付き携帯電話の開発を急ぐ。共同開発とする事でシャープのアイデアも取り込み端末の開発が可能となる。

カメラの搭載にあたり、何度も失敗を繰り返す。
カメラを起動すると、内部からの電波の干渉でカメラにノイズが発生したり基盤に不具合を起こしたり開発はかなり難航したという。

そしてJ-PHONE+シャープ2社共同開発の世界初カメラ付きケータイは2000年11月に発売される。

出典:ITmediaホームページ

世界初のカメラ付きケータイJ-SH04。
社内からはカメラ付きは売れないとカメラ無しのJ-SH04Bもある。
実はJ-PHONEとシャープがカメラ付きケータイを発売する前に、他社からもカメラをコンセプトとしたケータイが発売されるされていた。

※実はシャープ製のカメラ付きケータイが発売される前に世界初のカメラ内蔵PHSが、当時DDIポケットから1999年9月に発売されていた。

京セラ製のVP-210液晶側にカメラを配置し、TV電話に主軸を置いたカメラは液晶側にカメラが設置されており、写真や動画をメールで送信もできた。
しかし、PHSであることが影響したのか、自撮り用の前面のカメラが影響したのかあまり人気がでなかった。
そしてとても筐体が大きかった。

出典:Mobile Timeホームページ

もし、これらの端末が外付けカメラじゃなかったら。ラポッシェがもしカラー液晶だったなら。
ツーカーの歴史は変わっていたかもしれない。

(3)世界初カメラ付きケータイJ-SH04大ヒット

携帯電話一台で写真を撮影しメールで送信できる電話機。
初めは社内からカメラ付きケータイなど売れないと反対意見も依然多かった。
そのため、J-SH04Bというカメラのみを外した機種も同時に発売するが、カメラ付きのJ-SH04が圧倒的に売上を伸ばした。

発売後、「写メール」「写メ」の愛称で若者を中心に大人気となり、シェアで先行するauを猛追することになる。
一時は業界2位のauを抜き、J-PHONEが業界2位に躍り出る(1ヶ月間のみ)。

そして、「メールのJ-PHONE」と言われる程、写メールは成功し、他社もカメラ付きケータイの開発を急ぎ、様々なメーカーから続々とカメラ付き携帯電話が発売されることとなった。

5.cdmaOneという第2.5世代の選択

(1)米Qualcommが生んだ新しい通信規格

DDIセルラーとIDOは、アメリカの通信機器・半導体メーカー「Qualcomm」が開発した「cdmaOne方式(第2.5世代)」に切り替える事を決めた。

cdmaOne方式はPDC方式より後に開発されたので通話音質が高く、しかも3GサービスのCDMA2000方式へ移行しやすいなどのメリットがあった。

同じPDC方式を用いていてはNTTドコモと差異化ができず勝ち目がないと判断したことからDDIセルラーとIDOはcdmaOne方式の採用に至り、合併しKDDIになった後もそのままcdmaOne方式からCDMA2000方式へと移行している。

出典:Qualcommホームページ

米国Qualcommが開発した通信方式で、2.5世代のcdmaOne。

1991年に規格が策定されたPDC方式に比べ、cdmaOneは1995年に策定された技術のため、PDCに比べ技術的な優位性があった。

優位性として、高い通話品質・高速なデータ通信・安定した通信品質を特徴とし、cdmaOneは第3世代(3G)の基本技術であるCDMA技術を利用している事から、cdmaOneは2.5世代と呼ばれる。

(2)DDI・IDOがcdmaOneを採用する決断

DDIセルラーグループ各社は1998年7月からcdmaOne方式での通信サービスを順次スタート。
日本移動通信(IDO)も1999年4月からサービスをスタートし全国ネットワークとしてcdmaOneが本格的にスタート。

(3)PDC方式からの決別と日本独自方式の終焉

cdmaOneのスタートと引き換えに他社に先駆けPDC方式サービスは新機種の発売や新サービスが開始されないなど、サービス終了に向け事業縮小を続ける。
そして2003年3月31日をもって、KDDIは第2世代通信サービスPDC方式を終了させた。

その後ソフトバンク(旧J-PHONE)、ツーカーグループ、NTTドコモのPDC方式利用者の減少により順次PDC方式である日本が開発した通信方式は終わりを迎えることとなった。

6.3G通信規格の選択を巡る業界再編

(1)ドコモとJ-PHONEはW-CDMAを選んだ

ドコモは次世代通信としてW-CDMAの採用を決定する。

ー全国統一ブランドJ-PHONE誕生ー
1999年、デジタルホングループデジタルツーカーグループ全国統一ブランドとしてJ-PHONEブランドに統合。

出典:ケータイWatchホームページ

J-PHONEも3G通信規格にW-CDMAを採用する事を決める。

ー業界二位KDDI誕生ー
DDIセルラー各社は「株式会社エーユー」に社名変更。
そして2000年、「DDI+KDD+IDO」3社が合併。
株式会社KDDIとなり、その後株式会社エーユーもKDDIに吸収し、固定電話と移動通信を取り扱う総合通信企業となった。

出典:KDDIホームページ
出典:トヨタ自動車ホームページ
出典:トヨタ自動車ホームページ

(2)KDDIが次世代通信を決定する裏側

ドコモ・J-PHONEは次世代通信(3G)をW-CDMAに決めた。
KDDI(au)の次世代通信3GサービスはCDMA2000方式を採用する日本唯一の会社となった。

出典:ケータイWatchホームページ

しかし、KDDIは初めからCDMA2000方式を採用すると決めていたわけでは無い。
次世代通信として世界での普及が見込まれるW-CDMAの採用にほぼ傾いていた。
ではなぜ、結果的にCDMA2000方式を採用することになったのだろう。

(3)Qualcommの圧力と政治的妥協の舞台裏

W-CDMAの採用に異を唱えたのが米国Qualcommだった。
当時3G通信方式を巡り、激しい争いが起きていた。

争いを繰り広げていたのは、日本・欧州を中心としたW-CDMA陣営と、米国を中心としたCDMA2000陣営である。
中でもQualcommはCDMA2000陣営の中心的存在だった。

もしKDDIがW-CDMA方式を採用すれば、CDMA2000陣営は日本での足場を失うことになる。

Qualcomm自身が日本の通信キャリアとして3Gの電波免許割り当てを受けられる様にアメリカが日本に内政干渉をする。
KDDIに揺さぶりをかけてCDMA2000方式の採用を迫ったのである。

ただ、KDDIにもデメリットだけではなくメリットもあった。cdmaOneからW-CDMAへ移行するにはエリアを1から作り直す必要がある。

実際PDC方式からW-CDMA方式に移行したドコモ・ボーダフォンは3GサービスFOMA・Vodafone Global Standard!(のちのVodafone 3G)のエリア展開に時間がかかった。

しかし、cdmaOneとCDMA2000ではエリアの下位互換があった。そのためスムーズな次世代通信への移行が可能という、他社が苦しむことになる次世代通信への移行に苦しむことがなく、利用者の電波に対する不満も少なかった。

こういったことから最終的にはKDDIが折れる形で3G通信規格についてはCDMA2000方式を採用する事で決着するが、KDDIにとってもデメリットだけでなく、他社より有利に次世代通信に移行することに成功するのだった。

KDDIは3Gの(当時としては)高速な通信速度を生かしたサービスを次々と展開。スマートフォンが普及する以前の2000年代前半から中盤にかけて、auはCDMA2000方式の恩恵によって人気を獲得し、契約数を伸ばすことができたのである。

だがスマートフォンの登場によって端末開発の効率化、グローバル化が進み、世界的に多く採用されているW-CDMA方式のみに対応したスマートフォンを開発するメーカーが増えた。
そうしたことから、CDMA2000方式を採用しているキャリアが少ないためauが、一転して不利になってしまった。

そして、その不調の原因はQualcommにあるとQualcomm元社長がTwitterで見つける。そして下の言葉を残す。

つい二年前頃までは飛ぶ鳥を落とす勢いだったKDDI(au)に最近何となく元気がありません。私は、その原因は、「安定性」をモットーにするドコモに対抗する為の最大のウリだった「安さ」や「若者の支持」のお株をソフトバンクに奪われたのと、自家製の「KCPプラス」に拘ってアンドロイド機の導入が遅れたことだと思っています。

しかし、KDDIの中には、なんと、「現在の苦境は、第三世代への移行に当たって、WCDMAではなくCDMA2000をクアルコムに『押し付けられた』からだ」と考えている人達がいるようなのです。(最近のTwitterで私はこの事を知りました。)

また、しばらく前に、私は、日本の公正取引委員会が、「日本のメーカーは、不利な条件でクアルコムとのCDMAのライセンス契約を結ばざるを得ない状況に追い込まれた為に、国際競争力を失った」として、クアルコムに排除命令を出していることを知り、驚愕しました。

さて、第三世代への移行に当たってKDDIがWCDMAではなくCDMA2000を選んだ経緯については、私自身が大いに関与した事でもあるので、少し昔話をしてみたいと思います。

世界の携帯通信がアナログ(第一世代)からデジタル(第二世代)へと移行するに際し、第一世代が規格の乱立で使いにくかった欧州各国は、早い時点で結束してGSMという統一規格を作り、これを世界に売り込みました。米国は、この「GSM」と、それに似て非なる「米国版のTDMA」、及び全く新しい技術である「CDMA」の三つの規格を競わせる政策を取りました。

日本は、ドコモが開発したPDCというシステム(これもGSMと似て非なるもの)を統一標準として導入。韓国は、シンクタンクのETRIに米国のクアルコムと共同開発体制を組ませ、CDMAを統一基準として導入しました。

さて、問題は日本です。他の地域では、メーカーが開発したシステムを各通信事業者に売り込むのが普通なのに対し、日本では、競争相手であるドコモが開発したPDCというシステムを、他の事業者も使わなければならなかったのですから、これでは「ドコモ圧勝の図式」があらかじめ出来ていたのと同じ事です。

果たして、ドコモは、NEC、パナソニック、富士通、三菱電機の所謂ファミリー4社に、定期的にシステム設計の深部に隠されている情報を提供、これを生かした新機能を織り込んだ新モデルの開発を促しました。

東芝、ソニー、京セラ、シャープ(当時はまだ後発)、三洋、カシオ、日立、デンソー等のメーカーは、6ヵ月後にやっと同じ情報がもらえて、後追いで同じ様なものを開発するわけですから、これらのメーカーの製品を使うしかないDDI、IDO、デジフォン(その後のJフォン)ツーカー等の「ドコモと競合する各事業者」は、圧倒的に不利な戦いを強いられた事になります。

遂に、たまりかねたDDIが、アナログ時代のTACSで関係の深かったMotorolaの勧めを受け入れて、CDMA(第二世代版)の導入を決め、IDOも同調して、ここに、曲りなりにもまともな競争体制が出来上がりました。

私は、「PDCは勿論、WCDMA技術も自社内に十分蓄積してきたドコモは、当然『PDCとWCDMAのデュアルモードチップ』をNECなどに作らせ、それを自社のみで使う事にするだろう」と推測したのです。(実際には、何故かドコモはその路線を取らず、その為、WCDMAは2年間あまり普及しなかったのですが…。)

ここで私は、やむなく一大決断を行い、「ドコモ圧勝の図式を回避する為、KDDIがやらないのであればクアルコム自身が通信事業者になる」と宣言、「60MHz(片道)の帯域を三社で分け合う」という暗黙の了承が出来ていた総務省と三社を慌てさせました。

アゴラ言論プラットフォーム「したたかさ」と「言い訳症候群」松本 徹三

4Gの普及が進み、auはCDMA方式を早々に終了し、4G/LTEのみに対応させた。そうすることで、4Gに対応している端末を海外から輸入し、利用することができた。

こうして、長い1Gから4Gまでのケータイ戦争による強制的にもう一つの規格を運営させられたり、2Gの通信方式を途中で変更したり、3Gの採用技術で脅される事もなく現在は問題なく通信サービスを提供している。


終わり


◯参考サイト

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