ツーカー全史:消えた第4のキャリア、ツーカーが遺した革新と失敗の教訓
【4122文字】
●かつて存在した“第4の携帯キャリア”
「ツーカー」を覚えている人は、もう少ないだろう。
1990年代から2000年代初頭にかけて、価格の安さなどで一定の存在感を見せた“第4の携帯キャリア”ツーカーは、ドコモ、au、J-PHONE(デジタルホン)と並び通信会社として他社と競争し独自の道を歩んでいく。
ツーカーが変化を求められるきっかけとなったのは主要株主である日産自動車の経営不振による。
経営の立て直しのため、日産リバイバルプランがカルロスゴーン氏により発表された。
そして、主要株主の日産自動車はツーカーを手放し、共同主要株主のDDIが日産自動車のツーカー株を引き取る事により、大きく流れが変わっていく。
ツーカーは、DDIに引き取られたが、直後に予定されていたKDD、IDOと3社で合併しKDDIとなるが、全国サービスを行うauがあった。この事がauと競合するツーカーの運命を大きく変えていく事になる。
そして、ツーカーはその名を2000年代後半には姿を消し、今ではある意味で伝説の通信事業者となっている。
なぜツーカーは消えたのか?なぜ3Gに移行しなかったのか?
そこには、通信行政、端末戦略、料金政策、資金繰りといった多くの要素が複雑に絡んでいた。
この記事では、ツーカーの誕生から終焉までを技術的背景とともに詳しく紐解き、「ツーカーを今振り返る必事でユーザーのニーズは多様である事、現在第4のキャリアとして奮闘している楽天モバイル」を簡単に振り返る。
携帯電話が“話す道具”から“ライフスタイルを変えるデバイス”へと進化する時代の中で、ツーカーが果たした役割とその限界を、改めて探っていく。
1.ツーカー誕生からの歴史
ツーカー誕生の歴史のきっかけとなったとなったのは、1985年の通信自由化まで遡る。
通信自由化以後は、携帯電話市場への新規参入が活発化。
ツーカーグループは1992年頃から姿を現し始める。
ツーカーグループの母体となったのは、自動車メーカーである日産自動車であった。

一次参入の日本移動通信(IDO)の主要株主がトヨタ自動車であったように、同じ目的で日産自動車も携帯電話・自動車電話へ参入する。

通信自由化前から参入している電電公社(のちのNTTドコモ)。

次に通信自由化後、一次参入組はアナログ方式800MHz帯が割り当てられる。
①日本高速通信/トヨタ自動車等が主体の日本移動通信(IDO)
②京セラ/三菱商事などが主体のDDIグループ(DDIセルラー)

そして当時の郵政省は近い将来の需要増に応えられなくなる事を避ける為、二次参入はデジタル方式1.5GHz帯が割り当てが決まる。
そして、新規二次参入の第三勢力として1990年台半ばまでに
①日本テレコム主体のデジタルホングループ
②日産自動車/DDI主体のツーカーグループ
(関西はDDIセルラー関西が参入済みでDDIは資本参加せず)
③日本テレコム/日産自動車主体のデジタルツーカーグループ
④NTTドコモのシティフォン(関東・東海・関西のみ)
の3グループが参入した。
デジタルホン・ツーカーは人口が多い関東・東海・関西を営業エリアとしていた為、2社で競争する形になったが、それ以外の地域では採算が取れるか不明な為、日本テレコム・日産自動車両社で共同運営のデジタルツーカーを作る事になった。
-ツーカーセルラーのCIについて-
ツーカーセルラー東京・東海のCI(ロゴ)資料
ツーカーホン関西については見つけられなかった。
ーデジタルツーカーの名称とCIー
デジタルホン+ツーカー=デジタルツーカーの名称となり
CI(コーポレートアイデンティティ/ロゴマーク)もデジタルホンのDとツーカーのTu-Kaを合わせたものになった。
・デジタルツーカー北海道発足資料


デジタルツーカーのエリアを利用(ローミング)して通信。
デジタルツーカー利用者はデジタルホン・ツーカーエリアでは
どちらかのエリアを選んで通信(ローミング)する設定になっていた。
2.明確なニッチ戦略を選んだツーカー
1990年代~2000年代の日本の携帯電話市場は、世界的に見ても極めて稀なレベルで発展を遂げる。
多くのキャリア及びメーカーは多機能化や世界初の新機能の搭載へと、積極的に乗り出していた時期だと言える。
そんな中、ツーカーホン関西は日本初のプリペイド携帯電話を発売する。そして一定の需要の掘り起こしに成功する。

そして、システムを共通化していたデジタルホン・ツーカー・デジタルツーカーは名前は違えど、同じようなサービスで連携し、他社と競争していた。

-J-PHONE-
・スカイウォーカー(メール)
・スカイウェブ(メールで簡単な情報を取得可能)
・スカイメロディ(着信メロディ配信サービス)

-デジタルツーカー-
・スカイワープ(メール)
・スカイウェブ(メールで簡単な情報を取得可能)
・スカイメロディ(着信メロディ配信サービス)

-ツーカー-
・スカイメッセージ(メール)
・スカイウェブ(メールで簡単な情報を取得可能)
・スカイメロディ(着信メロディ配信サービス)
しかし携帯電話事業のツーカーは、カルロスゴーンによる日産自動車の再建、日産リバイバルプランに巻き込まれる形で撤退を余儀なくされる。

日産リバイバルプランにより、デジタルツーカーグループ株とツーカーグループ株は全て日本テレコムに譲渡されることが決まったが、DDIが直前になりツーカーグループ株の譲渡を求めた為、ツーカーグループを除く、デジタルホン・デジタルツーカーはJ-PHONEとして一社化していくことになる。
しかし、ツーカーグループのみが、東名阪で孤立してしまう事になった。
・日産自動車、携帯・自動車電話事業会社の株式を譲渡資料

ツーカーグループは市場の流れに逆行するかのように、明確なニッチ戦略を打ち出し、「最新機能は不要、シンプルに通話ができれば良い」と考えるユーザー層に照準を合わせ、分かりやすく低価格な料金プランで差別化を図る。
そして、当時としては珍しいツーカーとJ-PHONE間でメールができたり、初期のサービスはほぼ同じだった。
しかし、ツーカーがKDDIグループになった事で、J-PHONEのSMS、やスカイメロディなどはそのまま利用でき、iモードの対抗サービスとしてはKDDIグループのEZWebを利用できるなど、珍しい仕様だった。


3.「3Gへ移行しない」ツーカーの決断
ツーカーの歴史を理解する上で欠かせないのが、2Gから3Gへの技術的な大転換である。
ツーカーが採用していた通信方式は第2世代(2G)のデジタルPDC方式の通信規格だった。
ツーカーの混乱時に登場したのが「3G(第3世代移動通信システム)」である。
3Gは、国際電気通信連合(ITU)によって標準化が進められ、「世界中で同じ端末が使えること」を目指した国際規格だった。

3Gは技術的に、W-CDMAやcdma2000といった通信方式が採用され、2GのPDC方式とは比較にならないほどの高速・大容量通信を実現した。
この技術革新は、携帯電話を単なる「通話の道具」から、インターネット接続、音楽配信、動画視聴といった「データ通信を楽しむ端末」へと変貌させる、まさに技術的な転換点だった。
2000年代に入ると主要キャリアは3Gの展開を強化。
NTTドコモは2001年、世界に先駆けて3Gサービ「FOMA」を開始し、技術力を世界にアピールした。

一方ツーカーは「3Gへ移行しない」という決断を行う。
理由としてはいくつかある。
①ツーカーの営業エリアが東名阪に限られていた
②ツーカーの資金的な問題
③ツーカーの親会社KDDIが手掛けるauと競合する
④総務省が3G免許人を同一地域で3としたこと
総務省が1999年に同一地域での免許人数を「最大3」とする方針を正式決定したことが決定的となり、ツーカーは3Gの通信事業者となることを断念する。

これによって既存大手3グループ(NTTドコモ・KDDI・J-PHONE)が優位となる構造ができあがってしまった。
つまり、全国ネットワークを持たないツーカーが新たにライセンスを獲得することは現実的ではなかった。
他社から3Gネットワークを借り受け、ツーカーグループの存続も検討されたが実現しなかった。
3Gへの移行を見送ったことは、最新技術を搭載した端末開発の競争から脱落することを意味した。

他社がまだ主力機種に2G端末に力を入れていた時のツーカー端末。
その後、他社がカメラ機能やデザイン性を競い合う中、ツーカーが提供できるのは旧世代の技術に基づいたシンプルな端末のみ。
消費者の心を掴む「キラー端末」を生み出すことができず、端末ラインナップの魅力は次第に薄れていった。
ツーカー加入者のピーク数は4,041,800加入。
そこから加入者数をドンドン落としていく事になる。
2005年KDDIは、完全子会社となっていたツーカーグループ3社(ツーカーセルラー東京、ツーカーセルラー東海、ツーカーホン関西)を吸収合併することを発表。


その後、2006年6月30日にはツーカーの新規加入受付が終了し、サービスは2008年3月31日をもって完全に終了した。
ツーカーサービス終了後、KDDIが有する1.5GHzの周波数帯域は3G携帯電話サービスの逼迫(混雑)緩和用として転用された。
その後、一部の基地局設備跡地は2009年以降、UQコミュニケーションズのモバイルWiMAX、もしくはauの4GLTEの基地局設備設置スペースへ転用されている。

4.ツーカーが私たちに遺した「選択肢」
ツーカーは、技術革新という波に逆らい、独自の哲学を貫いたキャリアだった。
「通話ができれば十分」と考えるユーザーに寄り添い、「多機能化競争から降りる」という勇気ある決断を下したことで、多くの支持を集めた。

液晶すら持たず、固定電話の子機よりさらにシンプルに通話のみに特化させた「ツーカーS」。
予想外の売れ行きで、3Gに移行していたドコモ、auも似た端末を発売する。

3G免許を得られないという制度的な不利や、端末メーカーとの連携力の差など、構造的な弱点も抱えていた。
そして、通信の主役が“話す”から“使う”へと移り変わる中で、ツーカーは話す事に力を入れ、シンプルさに特化した。
しかし市場の変化に応じきれず、静かに幕を閉じた。
ツーカーの歴史は、「すべてのユーザーが最新を望んでいるわけではない」という原則を、今の通信業界に問い直す鏡でもある。
現代のスマホ社会において、あえてシンプルであることを選ぶ事に私たちはどれだけの価値を感じるだろうか。
ツーカー消滅後、第4のキャリアとして、イーモバイルが新規参入を果たすが数年で最終的にソフトバンク子会社となってしまった。
そして、現在楽天モバイルが第4のキャリアとして切磋琢磨している。
ツーカーが他社との競争に切磋琢磨していた時と現在は状況が違う。しかし、楽天モバイルが他の大手3キャリアに比べて苦戦している様子は伝わってくる。
そして定期的にKDDIが楽天モバイルを買収するというようなニュースも目にする。
楽天モバイルが第二のツーカーにならず、2008年以降に10年程度続いたキャリアの料金横並びに戻らず、キャリアの競争が続く事を切に願う。


