幼児教育は知識ではなく”学ぶ習慣”への投資だった
こまいたけも小学3年生になり、夏休み真っ最中です。
最近は学校の宿題も以前より少なくなってきたように感じます。
とはいえ我が家では、学校の宿題に加えてZ会にも取り組んでいるので、夏休みでもそれなりの学習量があります。
親からすると「嫌がらないかな」と思うところですが、本人は意外なほど楽しそうです。
もちろん「今日は面倒だな」と言う日もありますが、勉強そのものを嫌がることはほとんどありません。
私は、この「勉強が嫌じゃない」という感覚こそが何より大切なのではないかと思っています。
そして、その土台になったのは、2歳頃から約2年間続けた幼児教育だったと感じています。
幼児教育で学んだのは漢字ではない
当時通っていた幼児教育では、算数や国語の基礎を専門の先生が教えてくれました。
でも、内容は決して簡単ではありません。
中高生でも読めないような漢字が出てくる本を読んだり、世界中の国旗を次々と覚えたり。
「こんな小さな子に本当にできるの?」と思うような内容ばかりでした。
ところが子どもの吸収力は驚くほどすごい。
そして何より驚いたのは、楽しそうだったことです。
新しい言葉を知る。
新しいことを覚える。
「もっと知りたい。」
そんな知的好奇心を刺激するように、先生は次々と言葉や知識のシャワーを浴びせてくれました。
私たちは幼稚園に入るまで、その環境を続けました。
「そんな小さいうちから意味あるの?」
当時、親からこんなことを言われたことがあります。
「そんな小さいうちから塾みたいなところへ行って意味あるの?」
その気持ちもよく分かります。
でも私は「意味はあった」と思っています。
そのとき、親とこんな会話をしました。
「じゃあ私は小さい頃どんな子だった?」
「お父さんが新聞を読んでいる横で、『この字は何て読むの?』ってよく聞いてたよ。」
「そのときどうしてた?」
「楽しそうだから答えてた。」
「今は新聞を取る家庭も減ったし、共働きでゆっくり答える時間も少なくなった。だから、その役割を幼児教育にお願いしたんだよ。」
すると親も、
「あぁ、そうか。」
と納得していました。
私はたまたま学ぶことが好きな子だったのかもしれません。
でも、その好奇心を受け止めてくれる大人がいたからこそ、「学ぶことは楽しい」という成功体験を積み重ねられたのだと思います。
月1万円で買ったのは「勉強」ではない
今は共働き家庭も増えました。
子どもの「なんで?」「これ何?」に毎回付き合ってあげたい。
そう思っていても、現実には時間が足りないこともあります。
我が家では、その時間を月1万円ほどで補っていた感覚です。
「でも、お金がかかるじゃない。」
そう思う方もいるでしょう。
その気持ちはよく分かります。
でも私は大学時代に塾講師のアルバイトをしていて、ずっと感じていたことがあります。
それは、
小さい頃から学ぶ習慣がある子とない子では、その後の伸び方がかなり違う。
ということです。
小学生の頃から学校以外でも勉強する習慣がある子は、中学生で塾に入っても自然と勉強に入っていけます。
一方で、中学生になって初めて塾へ来た子は、すでに「勉強は嫌なもの」というイメージを持っていることが少なくありませんでした。
もちろん全員ではありません。
個人差はあります。
それでも、傾向としては確かに感じていました。
だから私は、
中学生になってから毎月1万円以上かけて「勉強嫌い」と戦うより、
幼少期に数年間だけ月1万円かけて、「学ぶことが自然」という習慣を育てる方が、結果的にはコスパが高いのではないかと思っています。
これはあくまで我が家の経験と、塾講師時代の経験を合わせた一つの考えです。
正解は家庭によって違います。
でも少なくとも、親から私へ、私からこまいたけへと続いてきた経験を見る限り、「学ぶことが好き」という土台は早いうちにつくる価値があると感じています。
子どもだけじゃない。「今が一番若い」
私は幼児教育で身につく一番大きなものは、知識ではなく習慣だと思っています。
そして、それは子どもだけの話ではありません。
私たち大人も同じです。
何かを始めるのに遅すぎることはありません。
よく言われるように、「今が一番若い」。
だから私は、noteを書くことを続けています。
人生のログを残し、自分の経験や知見、家族との思い出を積み重ねていく。
それもまた、自分自身への小さな初期投資なのかもしれません。
数年後に振り返ったとき、「あのとき始めてよかった」と思えるように。
今日もまた、一つ記事を書いてみようと思います。
