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電子データの「重さ」は、世界を壊すのかー見えない情報が、社会と人間の心に積もっていく時代に


前書き――データは軽い。だからこそ、重くなった

電子データには、ほとんど重さがありません。

少なくとも、私たちが日常で感じ取れるような意味での質量はありません。メールを一通送ったところで、机の上に何かが増えるわけではない。写真を何百枚保存しても、スマートフォンが物理的にずっしり重くなるわけではない。SNSに投稿しても、部屋に紙が散らばるわけではない。AIに文章を生成してもらっても、その言葉は画面の中に現れるだけです。

だから私たちは、データをとても気軽に扱ってきました。文章を保存し、写真を撮り、動画をアップし、メールを送り、チャットを重ね、クラウドに何でも置いておく。必要かどうかを深く考える前に、とりあえず残す。読むかどうかわからない資料も保存する。見返すかわからない写真も残す。誰に届くかわからない言葉も投稿する。

電子データは軽い。だからこそ増え続けました。

しかし、ここで一度考えてみたいのです。データそのものが軽いとしても、それを生み出し、運び、保存し、処理し、表示し、反応し続ける社会は、本当に軽くなったのでしょうか。私たちの心は、以前よりも身軽になったのでしょうか。

むしろ逆ではないか、という感覚があります。

便利になったはずなのに、どこか疲れている。情報が増えたはずなのに、何を信じればよいのかわからなくなる。人とつながりやすくなったはずなのに、かえって孤独や比較や苛立ちが増えている。発信の自由が広がったはずなのに、言葉を受け取る側も、発する側も、以前より神経質になっている。

データは軽いはずなのに、私たちは重くなっている。

この矛盾こそ、現代社会が抱えている大きな闇の一つではないかと思います。

ここでデジタル技術そのものを否定したいわけではありません。遠く離れた人とつながれること、個人が自分の考えを発信できること、小さな組織でも情報を届けられること、学びの機会が広がったこと、AIによって思考や表現の補助が受けられること。これらは間違いなく、現代に生きる私たちが得た大きな恩恵です。

ただ、恩恵があるからこそ、その裏側にある負荷も見なければならないと思うのです。便利さの陰で、電力が使われ、サーバーが増え、半導体が必要とされ、電子機器が廃棄され、人間の注意力が奪われ、感情が刺激され、社会の信頼が少しずつ削られている。そうした現実を見ないまま、「デジタルは便利だからよい」と言い切ってしまうのは、あまりにも浅い見方ではないでしょうか。

この記事では、電子データの爆発的な増加が、社会と人間にどのような「重さ」をもたらしているのかを考えてみたいと思います。扱うのは、単なるストレージ容量や電力消費の話だけではありません。メールの信頼性、SNSの感情汚染、AIによる言葉の大量生成、情報リテラシーの格差、そして人間の心がどのように削られていくのかという問題まで含めて考えます。

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