見出し画像

多様性の押し付け

はじめに

昨今では国境を越える行き来が普通となりました。最近はコロナでその辺りも制限されていますが、、、国境を越えると言葉や文化も異なります。それらの違いをどう受け入れるかということが課題になることもあります。それを受け入れることで多様性が生まれるとよく言われます。違いを受け入れ、認めることで多様性が生まれるのは確かだと思います。しかし、世間でよく使われる「多様性の尊重」という言葉には違和感を覚えます。今回はよく使われる多様性の尊重がいかに胡散臭いものかについて書き、本当の多様性とは何かについて書いていきたいと思います。

多様性の尊重は単一性の強制

多様性とは様々な文化や価値観等が存在することです。英語でdiversityと言い、このまま使われることもあります。この定義自体に不思議な点も何もありません。つまり、多様性とは存在している状態のことで、異なった価値観や文化を受け入れることではありません。言い方を変えれば、様々な価値観が混在して、まとまりがなくても多様性は成立します。多様性の尊重がいかにいかがわしいものなのかをタバコを使って説明したいと思います。
みなさんはタバコを吸いますか?僕は吸いません。そして、タバコは嫌いです。これだけを見れば、タバコを吸う人をこき下ろすのかと思われるかもしれませんが、そんなことはしません。そんなことをしたら、多様性が尊重されません。それに、僕の友達や会社の人でタバコを吸う人もいますし。タバコを吸わない僕からして、タバコを吸う人はいつも肩身の狭い思いをしているように思えます。喫煙が禁止されている場所は別として、タバコを吸っていい場所でも吸いにくそうにしています。
ここからが本題です。タバコを吸う人と吸わない人がいます。そして、その場所での喫煙は認められています。タバコを吸う人はもちろん20歳以上と仮定しましょう。タバコを吸う人からすると喫煙は生活の一部となっていて、吸わない人からすると非日常的で避けたいものになっていると思います。ここで吸うことと吸わないことという価値観が存在しています。複数の価値観が存在しているので多様性が成立しています。
問題はここからです。タバコを吸おうとしている人にここで吸うなと一方的に禁止したとします。相手は吸いたいのに対して、こっちは吸ってほしくない。両者の価値観が衝突しています。さらに、ここで多様性の尊重という言葉を使うと喫煙者への喫煙を禁じることを意味することが多いです。いやいやいや、多様性が尊重されていないじゃないですか。単一の価値観を一方的に押し付けているじゃないですか。多様性を尊重するのであれば、相手の意図も汲み取る必要がありますし、何より喫煙が認められているのであれば、吸っても問題ないですよね?タバコの煙をわざと相手に掛けるようなことをすれば、吸うなと言っても問題はありませんし、マナー違反だと思います。マナー違反に対して、我慢する必要はありません。
つまり、多様性の尊重はどちらか片方が一方的に価値観を押し付け、それまで虐げられてきたとされている側の価値観が一方的に押し通されることが多いです。これは多様性の尊重ではなく、単一性の強制で、正反対のことが起きています。こういう言葉を使う人は単一的な見方で白黒はっきりつけたがります。そして、厄介なのが、違う価値観を受け入れず排除しようと攻撃してきます。多様性の尊重もくそもありませんね。

本当の多様性の尊重とは

多様性の尊重は決められたルールの枠からはみ出さないようにお互いが尊重し合うことであって、一方的に押し付けるものではありません。お互いの価値観は憲法の言う公共の福祉に反しない限り尊重されます。価値観が衝突する際はどちらかが制限され、無制限に保障されるものではありません。弱者の価値観や少数者の価値観を尊重するという意味で多様性の価値観という言葉が使われますが、それが行き過ぎて、押し付ける形になっています。新しい価値観に理解を示すことが多様性の尊重であって、その価値観を押し付けることは尊重ではなく、強制です。
その地方にはその地方のルールに、日本では日本のルールで、アメリカではアメリカのルールでとその国や地域でのルールに従うのが常識です。郷に入っては郷に従えというようにその土地へ行く以上、そのルールを受け入れる義務が、行く側にあると思います。にもかかわらず、自分たちの価値観を押し付けようとするのは変な話です。日本人がアメリカに行って、日本人の多い地域での銃の販売・使用を禁止しろと言うに等しいです。おそらく、そんなことを言えば、メディアでは日本人はなんて横暴なと報道するでしょう。
しかし、日本でその逆のことが起ころうとしています。外国人の多い地域でその地域の風習ではなく、その外国人たちの風習を公式に認めさせようとする動きがあります。個々人でその風習に従うのは構いませんが、元からいる住民を巻き込まないでほしいと思います。その外国人に彼らの国の風習を一切、認めないと言っているのではなく、他の人を巻き込む権利がどこにあるのかと言いたいわけです。その地域に住んでいる以上、ベースはその地域や国のルールになります。それを一切排除して自分たちのルールを最優先させろと言うのはおかしな話です。
ここに多様性なんて一切ないですよね。これを多様性の尊重と呼ぶのであれば、言葉の意味を知らないか単なる狼藉者と言わざるを得ません。これの何が問題かと言うと、外から持ってきたルールを強制しようとしている点です。
我々が外国に行けば現地のルールに従いますが、他者に影響を与えない範囲で日本の風習を持ち出すことはあると思います。自分たちが生活する範囲で相手に強制しない範囲であれば、自分たちの風習を持ち出すことは悪いことではありません。それをお互いが理解することこそが、多様性の尊重です。例えばですが、日本にいるイスラム教徒にアルコールや豚の入った料理を出さないように配慮することは多様性の尊重ですが、彼らが我々にアルコールや豚の入った料理を食うなと言うのはおかしな話です。尊重とは任意であって、強制ではありません。尊重という言葉を使って、押し付けるようなことがあってはいけません。尊重の意義が失われます。

最後に

様々な国や地域の人だけでなく、同じ日本人であっても価値観が異なることはよくなります。相手の価値観を理解することが多様性の尊重です。自分が納得している場合は別ですが、相手の意見を100%受け入れることは多様性の尊重ではないです。相手の価値観を一切排除せずに耳を傾けることで、多様性は尊重されると思います。お互いの価値観がぶつかった時は本人同士で解決するか、ルールに従って決めるかしかありません。確かに、少数者の意見は確かに尊重されにくいです。だからと言って、それが標準であるかのように押し付けるのは間違っていると思います。少数者の意見が知られることで受け入れられるという意味で広く伝えることは大切ですが、過激になって押し付けてはいけません。尊重とはあくまで任意の範囲で行われることであって強制することではありません。尊重を強制すると、尊重の本来の意義が失われてしまいます。本来の意味を尊重しないといけませんね。


いいなと思ったら応援しよう!