私がいわてグルージャ盛岡を見始めたきっかけ
2025年Jリーグ再昇格を目指してJFL(ジャパンフットボールリーグ)でプレーしているいわてグルージャ盛岡について、現社長が新たにファンになった人がどういうきっかけで見るようになったかを知りたいとおっしゃっていたようなので、以下に私の場合を書いてみます。
始まりは2004年
NPO法人「Jリーグチームを盛岡に作る会」が当時東北社会人リーグ2部に所属するヴィラノーバ盛岡を母体にグルージャ盛岡を立ち上げたのが2004年、もう20年以上前のことです。
当時、盛岡で働いていた私は、このニュースを新聞やテレビ報道で知り、一も二もなく会員(当時はNPOなので、ファンクラブではなくNPOの会員)になりました。もともと、東京で学生時代を過ごし、特定のクラブを応援するというわけではなかったものの、JリーグやJFL(当時は川崎フロンターレやFC東京、サガン鳥栖などのクラブの前身で構成されるリーグでした)の試合は良く見ていたので、地元である盛岡市にJリーグを目指すクラブができたと聞いて関わらないという選択肢はありません。
「Jリーグクラブ=町おこし」という時代
当時は1993年のJリーグ開幕から約10年、まだその余韻が残っていたころです。アントラーズで一躍知名度が上がり、「町おこし」に成功した鹿嶋市のように、各地にJリーグを目指すクラブが設立され、東北でも福島ユナイテッド、ブラウブリッツ秋田、それ以外の地域でも、ロアッソ熊本、ファジアーノ岡山、レノファ山口、YSCC横浜(の前身)など、市民クラブあるいは企業クラブとして設立されながらJリーグを目指すクラブが増えていました。今ではにわかに信じがたいことだと思いますが、当時は、「Jリーグクラブさえ作れば町おこしになる」と素朴に信じられ、体制はともかくJリーグを目指すと言えば注目が集まるという傾向もあったように思います。
グルージャの場合も、当初は「Jリーグクラブを通じた町おこし」としての性格が強く、NPOの初代理事長は、自分はサッカーは全く知らない(野球は熱心にプレーされていたようです)が、町おこしのためにグルージャを設立したとインタビューで明言するほどでした。
実は当時の私は、「Jリーグクラブを通じた町おこし」に関してはあまり肯定的ではなく、当時からあったJリーグ規格のスタジアム建設を求める署名にも、「まずはきちんと競技成績を上げることが重要だ」と考えて参加していません。Jリーグに昇格した2014年以降は逆にスタジアム整備をすべきだと考えており、2016年の岩手国体できちんと整備してほしかったのですが、それについてはまた別の機会で。
紆余曲折
東北社会人リーグ2部からは1年で昇格したものの、その後はしばらく苦難の時代が続きます。私は自ら車を運転して、にかほ、仙台、塩竈などアウェー各地に積極的に遠征していましたが、東北社会人リーグ1部にはTDK秋田(後のブラウブリッツ秋田)がいたため、優勝すら決して簡単なことではありません(当時のTDK秋田は企業クラブでありながら上位リーグを目指すクラブの優勝を阻む存在で「東北の門番」と言われていました)。また、たとえ優勝したとしても地域決勝大会(今の全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)で上位に入れないと、上のカテゴリーを目指す選手が大量に流出し、大幅に選手が入れ替わって翌年一からやり直しというのを何年も繰り返していました。選手が入れ替わればやりたいサッカーを実現できなくなるかもしれませんし、資金力にも限界があるため、今年昇格しなかったら来年クラブはないかもしれないと毎年本気で思っていました。地域決勝大会の時期が来ると具合が悪くなり、今でも「地域決勝」という文字を見ただけでめまいがします。他地域における当時のライバルにはロアッソ熊本(当時はロッソ熊本)や松本山雅、ファジアーノ岡山などがいました。
しばらくしてTDK秋田がJFLに昇格した後も、今度は福島ユナイテッドが力をつけます。当時の福島との死闘はいくつも記憶に残っていますが、具体的なシチュエーションはだいぶ忘れてしまったものの、後に同クラブの監督になる時崎悠に決められたミドルシュートだけは鮮烈に覚えています。
また、この間、クラブ経営権を巡る争い(その後NPO法人から株式会社への体制変更)、取引先との未払いなどもあり、クラブ存続の危機は一度や二度ではなかったと思います。当然ながらクラブの将来に対して懐疑的な見方を持つ人もいて、個人的には一番辛い時期でした。
「まさか」のJ3参入
そんなわけで、ファンクラブには入り続けていたものの、クラブとは少し距離を置く時期がしばらく続きます。そこに飛び込んできたのが2013年地域リーグ決勝大会優勝のニュースです。なんと、あまりの苦しさに地域リーグ決勝大会をチェックするのをやめているうちに、鳴尾監督率いるグルージャが、あの何度立ち向かっても乗り越えられなかった地域リーグ決勝大会で優勝したのです!この瞬間を現地で迎えられなかったことは後悔してもしきれませんが、もし現地にいたらあまりの感激で気を失っていたかもしれません。
また、2014年のJ3リーグ発足に際し、地域リーグ決勝大会で上位に入ることを条件に参入が内定していたというニュースもこのとき知りました。あの夢のJリーグに、こんな形で参加できるようになるとは、今年いっぱいでクラブが解散するかもしれないと重い気持ちで毎年シーズンの終わりを迎えていた10年前の自分は想像だにしていませんでした。
J3参入で感じた力不足
こんなわけで、地域リーグ体制から(JFLを飛ばして)一気にJ3に参入したグルージャですが、鳴尾監督の選手特性を極限まで生かしたサッカーにより、初年度は5位という好成績を収めます。ホーム開幕戦であるJリーグU22選抜との試合でもいわぎんスタジアム(当時は盛岡南球技場)史上2位の3,048人もの観衆がつめかけます。試合後のインタビューで、高瀬兄(高瀬証)が「いつもこんなに入ってくれれば嬉しいのですが…」と言っていて笑いを取っていたのが思い出されます。この日は直前に大雪が降って試合開催も危ぶまれていましたが、ボランティアの雪かきなどもあり、熱気に包まれながら無事終わりました。
当時の戦術は、ロングボールをFWの土井(いわゆる土井ちゃんではなくニャンチュウと呼ばれていた土井良太)めがけて蹴り、土井がファールスレスレで競り合いに勝ち、それを高瀬兄(高瀬証)などが待つサイドに散らしてクロスを上げ、それをまた土井が決めるという非常に単純かつ強力なもので、相手が対応できるようになるまではかなり有効で、シーズン序盤は首位にもなりました。しかし、相手が組織的に守るようになり、土井の競り合いも封じられると全く対応ができなくなります。地域リーグでは極限まで練度を高めれば勝てましたが、FC町田ゼルビアやツエーゲン金沢のように個人能力が高く組織的にプレーするチームにはこの戦い方は全く通用しませんでした(当時の選手も全く同じことを言っていたように思います)。
勝つためには個人能力を高めなければいけない、しかし、そのためには良い選手を集めなければいけない、しかし、地域リーグからJリーグに参入したばかりで資金力に劣るグルージャにはそれは難しい、ということで、競技力を高めるためには経営資源を競技力向上に集中させなければいけず、なかなかファンサービスやファン拡大に資源を振り分けられない、というグルージャ特有の問題の原点はここにあったのかもしれません。
Jリーグからの退会(降格)が決まった2024年シーズン末に、ある方が、グルージャは「JFLを経験しなかったツケを払っている」「すぐにJリーグに上がらず(一つ下のカテゴリーである)JFLを経験していればよかったのに」というような発言をされました。その発言には事実誤認も多分に含まれており、個人的には受け入れがたいものでしたが、これは常に「背伸び」をし続けることを強いられ、長年J3に在籍し、J2昇格経験もある名門クラブでありながら行政とのコミュニケーションが円滑だとは言えず、観客数も伸びないといういわてグルージャ盛岡というクラブが抱えている特性の一面を捉えていると言えなくもありません。
その後から現在へ
初年度以降は、くさびのパスが特徴的で、ベガルタ仙台に5-2で勝利するなど鮮烈な印象を残しながら1シーズンで退任した神川監督時代や、J2に昇格するものの1年で降格した第1次NOVA時代、「勝てば客は入る」「いわぎんスタジアムは最低のスタジアム」と言い放ち、経営資源を一気に競技力に集中させながら、どういうサッカーをしたいか見えないまま、シーズン2度の監督交代を経てJリーグ退会が決まった秋田社長時代など、いろいろな思い出があります。
JFLに在籍する2025年シーズンがどのような終わりを迎えるかわかりませんが、これまで述べてきたような経験をした私が最後に言いたいことは、「どんな形であってもクラブがあることが一番重要だ」ということです。今のフロントは、これまで足りなかった地域密着やファン層拡大に積極的に取り組んでいると思いますし、それは個人的にはとても嬉しいことですが、一番重要なのは、その入れ物となるクラブが存続した上で、これを継続していくことだと思います。形は変わっても、そのために応援を続けたいと思いますし、同じように感じる人が増え、ビッグブルズやシーウェイブスなど、他のクラブも含めて週末にプロスポーツを楽しむことが日常になったとき、それが本来の「町おこし」が実現した姿なのかもしれません。
