石ころ
ヤスさん主催の「放課後ライティング倶楽」で幽霊部員の私が、ここのところの金曜日、何度となく倶楽部纏わりの記事を書いている。
もうこれで事は終わると思ったのだ。これで、ジ・エンドだと。
だが、この「土曜日の知らんけど」は、まだまだ続いているようで……。
幽霊部員だけに、何度も参加を飛ばしながらなのだが、ちょっぴり参画したりしている……。
悪ガキ幽霊部員のkojuroがクラブハウスの屋上で機嫌よくサボタージュ昼寝をしてるところへ、なんだか妨げるものがある。
雨が降ってきた?
いやいや、ヤスさんから投げられたボールだ。
どっかから、ボールが投げ込まれて、屋上に敷かれた人工芝に馴染みながらコロコロとこっちに転がってきた。
頭んところに転がってきた、今日もかなり小さいディンプル加工されたボールを拾い上げると、なんか書いてある。
出た出た。
で、今回は、何?

心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
いやいや、いつもペンネームが粋すぎるのは、どうして?
しゃあないなぁ、ちょびっとだけよ。昼寝を切り上げるのは。
重い重い、ブラックホールより重い腰を上げて。ちっちゃなボールを拾い上げ、優勝のホールアウトゴルファーがギャラリーに向けて投げるかのようにシャッと放り投げる。
ヤスさんのこの「土曜日のしらんけど」、テーマがかなり深い。深すぎて、よくよく自問自答を促される。おすすめの本って、俺に聞くかな……。
知らんがな。と、言ってしまうとそこで終わるので、ちょっとだけ書いてみる。
私は、聞かん坊の悪ガキである。だから意外かもしれないが、私が私なりに何らかの本を薦めるとすれば、それは、山本有三の「路傍の石」である。
これは、小学校の3年生の時に読んだ。
私は本質的に勉強嫌いで。本など読むような人種ではなかった。
だが何の因果か、学校の教師の息子として生まれ。狭い家は本棚だらけで、難しそうな本が山ほどあった。
そしてなぜか、図書室で静かに本を読んでいるような、私のような悪ガキのことを一番嫌いで避けるであろうような本好きの人に、少し憧れがあった。
3年生の時の担任の先生は、少し変わった男の先生で。時に授業をそっくり入れ替えて絵を描く時間にしたり。あるいは、サッカーの試合の時間にするような人で。
その先生がある日、言ったのである。
「コジこそ、本を読めばいい。学んで、心を磨け」と。
そして、どんな本を読んだら良いかと問うたら、この本を薦めてくれた。
道端の石にも存在する意味がある。
何とか読み切った本の中に書いてあったことは、そんなことだった。それから私は、悪ガキは変わりようがなかったが、陰で隠れつつ本を人よりもたくさん読むようになった。
その本たちが、私の血となり肉となっているかどうかはわからない。だが、何事にも否定され続けていた悪ガキの路傍の石が、少しはまともな人生を歩めるようになったのは、あの本のお陰ではなかろうかと思うのである。
ここまで来て思い返すに。こんな私の拙作でも読みに来てくれる有り難い方々がいらっしゃる。
本当に有り難い。有り難いのである。ほんとうに、心から感謝を申し上げたい。
あれ?
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内に語ろうとしてソファーをみると、家内が脚を指さして笑って言った。
コジくん、また他人様に向けて偉そうなこと書いてるの?罰として今夜も倍マッサー(注1)ね!
うっ……。
マッサージをすると、家内は上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。

知らんけど。
(注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。

