スリ
エレベーターを降りた叔母が、金切り声を上げた。
「ギャーッ!」
幼い頃。まだ、幼稚園にも行っていないような頃。神戸三宮のある百貨店での出来事である。
叔母が母に見せたのは、ぱっくり口が開いたバッグで。財布だけ抜かれていたのである。
スリというのは、言い方は不謹慎だが、職人のような手先をしている。
「スリにやられた!」
怒りとも落胆ともつかぬ表情で、また叫んだ叔母に、母が言った。
「あーあ。気ぃつけへんからやで!」
母は自分の財布が無事なのを確かめつつ、まるで他人事のようだった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジ、どうしてそんなに昔のこと、よく覚えてるの?
実は。
私は、スリの手口を全て見ていたのである。
それは一瞬のことで。
あれ?
と思う間もなく、何ともスムーズに遂行された。
そして、私は、スリと目が合った。
最後にスリは、私に笑ったのである。それは、実に不気味な笑いだった。
あれは、冷笑と言ってもいいかも知れない。
冷徹な、悪人の顔、そして、目だった。
そしてほどなく。今度は家の台所で、泥棒猫に遭遇した。
祖母に、理不尽にもこっぴどく叱られた私は、人のものを盗む罪を、心から憎むようになったのだった。
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内と語らおうとしてソファーに目をやると、家内が脚を指さしてニッコリと笑っていた。
「私の足は、私のもの。コジくんの手は、マッサー(注1)のためのもの」
……。
マッサージをすると、家内は上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は平和である。
だから。
これで、いいのだ。

(注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。
(注2)さっちゃんとは、家内のことである。我が家の実質の最高権力者なので、別名、女王陛下という呼び名もある。


