抽象的な文章は読みたくない?
”小説はできても評論文は無理”
教養新書などを読んでいると、普段ではお目にかかれないような抽象的な文章に出くわすことが多々ある。例え話も、固有名詞すらも使わずに説明がなされる部分があり、それは哲学や文学などいわゆる文系の書物でよく見られるのだが、意外に理系的な内容を扱うものにも見られる。ここまでの説明ではなんのことやらぴんとこない方が多いはずなので、具体的な例として、受験生のころに取り組んだ評論文を思い出してほしい。日本語で書かれているはずなのに内容がどんどん分からなくなっていくあれである。点数が伸びない人は伸びない、でも妙にこれだけ得意なやつもいるあれである。あの評論文たちは、特に、まとめとなる結論の文章がかなり抽象化されている。ゆえに、筆者の主張と一致するものはどれか、と出題できる。筆者の主張を理解できる人と、そうでない人が分かれるからだ。問題として成立するのである。なぜこんなに分かりづらい文章を書くのか、その筆者は模試を行う企業から金でも貰っているのか、そんな文章で書かれた本を買うやつがいるのだろうかと受験生当時の私は疑問に思っていた。ただ、最近になり抽象的な文章の意義が分かり始め、そしてそんな文章で書かれた本を買うやつに、自分がなった。
抽象化できるとは、理解できているということ
なぜ賢い人が書くものが、一見ホワホワとした、分かりにくいともとれる文になるのか。それは、物事を一般化し理解するということが非常に知的な作業だからなのかもしれない。多様な哲学の考え方とか、いろんな場所に見られる西と東の文化の違いとか、例を示せと言われればできるかもしれないが、それらを一般化してまとめろと言われると難しい。それが上手にできる人が、頭の中を文章にしたのが、例の抽象的な文なのだと思う。私たちはそれを理解するのにいっぱいいっぱいで読むのもおっくうに感じてしまうのだ。評論文を読み、問いに答えるという試験は、受験生たちの、物事を一般化して考える力を試していたのかもしれない。
ネットには役立つ(具体的な)情報がいっぱい
ここらで小難しい話はやめにして、もっと身近な話をしよう。インターネット上の情報の話だ。抽象的な文章がなにかしらの本の中にあるのに対して、基本ネット上には具体的な文章が多い。これは、ネットで見られる情報の多くは広告効果を付随しているからだと考えられる。例えば、なにか悩み事のようなものを検索して、あるサイトをのぞくとそこには、同じような悩みを抱えるAさんのエピソードであったり、関連した本の引用であったりが続き、最後にさらっとなんらかの商品の紹介がなされる。このサイトを見てもらうには、このように具体的でとっつきやすい内容にするべきなのだ。読む人のために、共感できるエピソードと信頼できる証拠を用意し、商品を買ってもらわねばならない。あるいは、サイトそのものに人を呼び込み広告を目につかせねばならない。非常に合理的である。読んでいて、疲れるようなものでは駄目なのだ。
充実したプロフィール、中身のない投稿
ネット特有の親切な文章。それはそれでいいのだが、そのなんでも具体的に詳しく書くという傾向が至る所に見られることが最近気になる。その最たる例が、このサイトやSNSに見られるプロフィール欄だと思う。私の、世間の見方がゆがんでいることを前提に書くと、どうしてそんなに自分のことを並べ立てられるのだろうと疑問に思う。職業、趣味などはいいにしても自分の性格を自分で紹介してみたりするのは私にはできそうにないし、また実名で活動されている方は仕事の一環も兼ねているだろうから必要だとして、匿名の方がプロフィールにながながと何か書いているのを見ると、それは本末転倒ではと感じてしまう。それに、プロフィールで自分のことを詳しく説明している方の投稿は、得てして親切な構成をしている。具体的なエピソードに丁寧な引用、そこに重ねて引用、もうひとつ引用を持って来て、自身の考えを最後に少し記述。エビデンスの確かな記事や投稿なんだろうけど、個人的には面白くないなぁと感じてしまう。もっと自分なりの、偏った意見を読ませてほしいと思ってしまう。ネットでなにかを売ろうとする人たちのまねで、プロフィールを充実させて、つまらない内容のものを投稿するくらいならば、簡素なプロフィールで、なにか尖ったものを書く方が楽しいはずだ。私はそういう文章が読みたい。
抽象的な文章でできるだけ頑張ってみる
ということで私は、この記事において抽象的な文章を心がけてみた。読みにくくなってはしょうがないので例えなんかは使わせてもらったが、引用は使わず、ついでに固有名詞も避けてみた。まあこれは某ショートショート作家のまねなんだけれど。...やはり、やりすぎもよくない。某新一のことである。それに、引用をしなければ著作権など権利のことも気にせずに済む。いちいち参考URLなど貼らずとも、自分の知っていることだとして誤魔化せる。ちょっとでも自分の頭で考え、文章を書ければ、コピペレポートもバレようがないのである。
この文章が、あなたが抽象的に物事をとらえるきっかけになればと思う。
それでは、また。
