「30歳、キャリアブレイク」という選択にたどり着くまでの7年間の話
はじめに:このnoteは「自己紹介編」の裏側です
今これを書いているポルトの部屋からは、オレンジ色の屋根が続く静かな街並みが見えます。
ここでPCを開いている今の自分からはちょっと想像がつかないのですが、ほんの半年前まで、私は東京のど真ん中で、終わらないチャットの通知音と情報の波に飲まれるような日々を送っていました。
このnoteは、以下の自己紹介記事(表側)の、
きれいごとではない、リアルな泥まみれの中身をお伝えする詳細版です。
自己紹介noteでは、ざっくりと
文系 → ITエンジニア → PM
そして 30歳でキャリアブレイクを選んだこと
までを書きましたが、この記事では、
「その7年間で、実際に何があったのか」
「どんなことに悩み、どう判断してきたのか」
「そこから何を学んだのか」
を、できる範囲で具体的に書いていきます。
この記事でわかること
この有料noteでは、無料の自己紹介では書ききれなかった、もう一歩踏み込んだ内容をまとめています。
文系からITを選んだ就活時の本音と迷い
中小SIerレガシー現場で学んだ「潰しの効く基礎」と、限界感
ベンチャーで0→1の新規事業立ち上げに向き合い、「自分はガチのエンジニアではなく、構造を設計する側だ」と気づくまで
大規模決済プロジェクトでの、英語×マルチベンダー×カオスなPM経験
官公庁案件で「整える側」に回り、統括PMとして走り切るまで
そして、なぜ30歳でポルトガルに渡り、1年のキャリアブレイクを選んだのか
単なるキャリアの棚卸しではなく、「順調に積み上がっているように見えるけれど、内心ではずっとモヤモヤしていた人」の視点から、意思決定のロジックと悩みも含めて書いています。
こんな方に読んでほしいです
文系からIT業界に入った/入ろうとしている人
SIerやベンチャーで働く20〜30代のエンジニア・PM志望の方
「キャリアブレイク」に興味はあるけれど、現実的にどうなのか知りたい人
官公庁案件や大規模決済案件に関わる・関わりたい人
なんとなく今の仕事を続けているけれど、「軸」が見えないと感じている人
単純に私に興味がある方・応援していただける方(笑)
「このルートが正解です」と言いたいわけではなく、「こういう選び方・積み重ね方をした30歳がいた」という一次情報として、自分のキャリアを考えるときの材料にしてもらえたらうれしいです。
第1章:滑り止めの大学、生き方の迷子だった大学時代
正直に言うと、私のスタートは「意識高い系」とは真逆でした。
本当は行きたかった大学がありました。 そこに合格できなかった時点で、
その大学で体育会に入って本気で部活をやる
そのコミュニティで4年間を過ごす
という大きな目標も、一緒に霧散しました。
結果的に、いわゆるMARCHクラスの文系学部に進学しました。 専攻は「国際社会」系。聞こえは良いのですが、当時の私は目標を見失い、少し無気力な状態でした。
サークルに入るわけでもなく、バイトもそこそこで、授業中はひたすらスマホアプリを触っている。
通学は片道約2時間(滑り止めだったので通学のしやすさをまったく考えていませんでした)。
絵に描いたような「なんとなくの毎日」を、ただダラダラと消費していました。
人生初の海外:アイルランドで感じた「小さな違和感」
転機らしいものがあるとすれば、大学2年の夏休みです。
人生で初めて海外に出ました。行き先はアイルランド🇮🇪。
当時の日本では、正直あまりメジャーな留学先ではなかったと思います。 「日本人が少なそう」「人と違う方が面白そう」それくらいの理由で選びました。渡航前のTOEICは460点。 英語力としては、とても胸を張れるレベルではありません。
現地の語学学校では、
クラスメイトはほとんどがヨーロッパ出身(イタリア、フランス、スペイン、トルコなど)
そこに韓国、サウジアラビア出身のクラスメイトが加わる
ホームステイ先では、そのうち数人と同じ家で生活する
という環境でした。
正直、「世界が劇的に変わった!」というほどのインパクトではなかったです。 ただ、
「他の国の人たちは、こんな感覚で英語を使っているのか」
「日本の外には、こんな生活が普通にあるんだ」
という、小さな違和感のようなものは、確かに心のどこかに残りました。
その後、卒業までにもう8カ国ほど旅行しました。 「なんとなく、もっと他の国も見てみたい」という気持ちが、少しずつ膨らんでいった時期です。
就職活動:何にも興味がない、からの「ITもアリかも」
そして就職活動。
ここでも、最初から明確な軸があったわけではありません。
大学時代、これといった専門性を身につけたわけでもなく
サークル活動に打ち込んでいたわけでもなく
圧倒的なガクチカ(学生時代頑張ったこと)があったわけでもない
「何になりたいか」が、まったく分からない状態でした。
旅行が好きになっていたので、とりあえず旅行会社も受けてみました。 ただ、いまいちピンと来ない。
そんな中でたまたま受けたのが、「オンライン特化の旅行系サービス」を提供している会社でした。 実店舗を持たず、IT寄りのビジネスモデルで展開している企業です。
選考自体はうまくいきませんでしたが、
「あれ、ITって意外と面白そうかもしれない」
という引っかかりが残りました。
同時に、年子の兄がITエンジニアとして働いていたことも後押しになりました。 (ただ、彼はレベルが違いすぎて、直接の参考にはなりませんでしたが…)
そこから徐々に、
文系でも研修が手厚い
開発の「基礎の基礎」から学べる
いわゆる日系SIer
という道が見えてきて、「まずはここからだ」と腹をくくりました。
自分のPCも持っていなかったので、特別な準備をしたわけではありません。 面接では、とにかく自分の経験をITと絡めて話しまくる。 それだけでした。
こうして、文系・専門性ほぼゼロの状態から、IT業界への一歩を踏み出すことになります。
第2章:1社目SIerで身についた「潰しの効く基礎」と、そこで感じた限界
入社後の3ヶ月研修と、配属後の「洗礼」
1社目は、中小規模の日系SIerでした。 同期は100名ほど。入社後まず待っていたのは、3ヶ月間の研修です。
コースは「インフラ」「ネットワーク」「車載系」などに分かれており、私は「総合職(なんでも)」的なポジション。 外部講師を招いてC言語やJavaを学びましたが、正直に言うと──かなり退屈でした。
プログラミング未経験の私には難しく、楽しさが分からない。
一方で情報系出身の同期には簡単すぎて、暇を持て余している。
どちらにもハマらない微妙な位置取りでした。
とにかく、「コードを書くのって最高に楽しい!」という純粋な感覚とは無縁のスタートでした。同時に、昇格要件である「基本情報技術者試験」の勉強に追われながら、あっという間に研修期間が過ぎていきました。
配属後の本社フロアでは、「新人が電話を取る文化」の洗礼も受けました笑。今でこそチャット文化が当たり前ですが、当時はまだ電話が主役。
呼び出し音が鳴ったら、新人が即座に受話器を取る(取らないと無言の圧がかかる)
相手が誰で、誰に取り次げばいいのか、文脈が分からないので会話が全く理解できない
メモを取るの忘れて、結局「誰かよく分かりませんでした」と報告して怒られる
「IT企業に入ったはずなのに、昭和のような光景だな…」 そんな違和感を飲み込みながら、社会人の基礎を体に叩き込んでいきました。
常駐先プロジェクト
その後、いよいよ常駐先のプロジェクトに配属されます。 担当は、大手通信企業のコールセンター業務システムの開発・保守。 技術スタックは、いわゆる「レガシーの塊」でした。
WebはClassic ASP、サーバ側はVBScript
大量のAccess + VBAツール群が業務を支えている
開発エディタは「サクラエディタ」が標準…
「VS CodeでGit管理」といった環境とは程遠く、 画面とビジネスロジックが密結合した、古典的なWebアプリケーションでした。
(後に業務でIntelliJ IDEA Ultimateを使うようになった時、そのあまりの快適さに感動しました…笑)
データベースも決して整理されておらず、
意味の分からないテーブル名
日本語を無理やりローマ字にして、母音を省略した謎のカラム名
「これ結局、何に使ってるの?」という死蔵データ
さらにバージョン管理システムも導入されておらず、
修正したファイルを、サーバ上のフォルダに直接上書き
影響範囲を調べる方法は、フォルダ全体を「Grep(一括検索)」すること
「先祖返り」が起きないよう、指差し確認でファイルをコピーする
という、今思えば冷や汗が出るような「温かみのある手動運用」でシステムが守られていました。
「泥臭い基礎」は、こういう現場でこそ鍛えられた
ただ、そんな環境だからこそ身についたこともあります。 私が担当していたのは、詳細設計、改修、テスト、障害調査といった「若手PGの基本動作」のすべてです。
ドキュメントも整備されていない中で、
何年分ものスパゲッティコードを読み解く読解力
ログファイルを目視で追いかけ、原因を突き止める執念
画面からDBまで、処理とデータの流れを俯瞰する
これらは、便利なツールがないからこそ、強制的に鍛えられました。 いわゆる「どんな現場でも通用する、泥臭い基礎力」は、間違いなくこのレガシーな現場のおかげです。現場の雰囲気も「安定」しており、毎日定時に帰れる穏やかな日々。 社会人デビューとしては、まずまずの環境でした。
コロナと長距離通勤、そして「このままでは終わる」という焦燥
しかし、その穏やかな日々の裏で、焦りは確実に膨らんでいました。
給料は年数千円レベルでしか上がらない
技術スタックは古いままで、市場価値が上がっている実感が持てない
「今の職場で得られる成長だけでは、いずれ通用しなくなるのではないか」
そこに追い討ちをかけたのが、コロナ禍でした。 世の中が一気にリモートワークへシフトする中、私の現場は「セキュリティ上、リモートNG」。
外出自粛で人のいない東京の街を横目に、毎日往復4時間かけて通勤し、ガランとしたオフィスに向かう。
「世の中が大きく変わろうとしているのに、自分だけ時間が止まっている」
そんな焦りが、日々強まっていきました。
TOEIC 460→860、「現状打破」のスイッチが入った瞬間
「ここで自分を変えないと、一生このままだ」
その危機感が、私を英語学習へと駆り立てました。 大学時代のアイルランド留学以降、伸び悩んでいた英語力。 でも、もうやるしかありませんでした。
※補足すると大学卒業時には730点になっていました。
目標はTOEIC 900点
毎日3時間以上、何がなんでも勉強時間を確保する
最初の100時間は苦行でしたが、ある時点から「聞こえる」「解ける」という感覚が生まれました。結果、スコアは大幅アップの860点。会社のトイレでスマホの結果画面を見たとき、個室の中で小さくガッツポーズをしました。
「ちゃんと積み上げれば、自分は変わることができる」 「この環境も、自分の力で変えられるかもしれない」
そう腹落ちした瞬間でした。
そこからは一気に行動が変わります。 HTML5などの資格、AWSアソシエイト3冠を取得。 武器は揃いました。
「もう、この安定したぬるま湯を出よう」
そう決意し、私は転職活動へと踏み出しました。
次に向かったのは、レガシーなSIerとは真逆の、スピードと変化が支配する「ベンチャー企業」でした。
ここから先は、有料エリアとなります。
第3章以降では、レガシーSIerを飛び出した私が、ベンチャーの「0→1」開発や大規模決済案件のPMとして、実際にどんな壁にぶつかり、どう乗り越えてキャリアを駆け上がっていったのか。その泥臭い過程をすべて開示します。
・ベンチャー転職で痛感した「技術力」と「役割」のリアル
・大規模決済プロジェクトでの「カオス」と、心身の限界を超えた日のこと
・官公庁案件で学んだ、ドロドロした現場を「整える」統括PMの作法
・順調なキャリアをあえて30歳で止め、なぜ「圧倒的な余白(キャリアブレイク)」を選ぶことができたのか
これらを、きれいごと抜きで振り返ります。
特に「今の環境から抜け出したい」「PMとしての限界を感じている」、あるいは「いつか自分も、キャリアブレイクのような余白のある生き方を実現したい」と考えている方には、私の失敗談と生存戦略も含めて、強力なヒントを持ち帰っていただけると思います。
【ご購入いただいた方へのおまけ】
ここまで読んで(購入して)くださった方への特典として、「今の自分のキャリアについて客観的に整理したい」「文系からのITキャリアや、海外移住・キャリアブレイクについて相談したい」という方がいれば、個別に相談を受け付けます。
noteのコメント、あるいはX(@N_shun_S)のDMから「有料note読みました」と一言添えてご連絡いただければ、時間の許す限り、直接まずは、私の現在地からお話しします。(日本に帰国したタイミングで「一緒にワインでも飲みましょう!」というお誘いも大歓迎です)
それでは、第3章「2社目ベンチャーで学んだ『0→1』と『構造・仕組みを見る目』」でお会いしましょう。
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