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備忘録『嗜癖する社会』A・W・シェフ著(誠信書房 1993)

まず読者に注意していただきたいのは、嗜癖と中毒の相違である。
中毒は毒にあたることであり、
毒を摂取した”結果”として生じる”好ましからざる生理的変化”である。
(・・・)
主体は”好きで”嗜癖するのである。
従って人は工業用アルコールに中毒するのであって、嗜癖しない。
飲料アルコールには嗜癖するが、これを飲めば中毒も生じる。
より詳しく言えば、
その中毒が主体に陶酔として感じられて、嗜癖が生じるのである。

監訳者まえがき

もっと分かりやすくならないものかと思うが。
「毒」であっても、「陶酔」を与えられるものであれば、
「嗜癖」になっちゃう、ということで、
現代社会の日常は、「嗜癖」だらけですわね。
「嗜癖」の無い世界が想像しにくいけど、
なんでも、ほどほど、といったところでしょうか。

個人的には、珈琲の嗜癖とお酒の嗜癖は無くなったけど、
音楽の嗜癖やSNSの嗜癖は、あるね。

監訳者の斎藤学さんは、
「アルコール依存症」などで有名になられた方なので、その分野のお話。

成功することへの囚われもまた一つの依存症

監訳者まえがき

現代の市民たちは・・・
徹底的な評価で管理され、”品質”ごとに階層分化されるようになった。

監訳者まえがき

モノだね、私たちは。バカヤロー。

子供たちは、
職場での成績にしか生きがいを見出せない仕事依存的な父親と、
彼に奉仕しながら支配する母親を見ながら
家族という”居心地の良い牢獄”の中で成長し、
他者から評価されることでしか自己を実感できない人に育つ

監訳者まえがき

30年後の現在は、共稼ぎの両親を見ながら、
家族という”居心地の・・・”
みなまで言わんでも、自信は持ちにくい社会。

白人男性システムは女性に対してのみ破壊的なのではありません。
男性にも、動物、植物、地球全体にとっても破壊的で、
宇宙にまでその破壊の危機を広げようとしています。
白人男性システムは非生命的な方向づけをするのです。

第1章 嗜癖システム P. 14

前置きを省きましたが、白人男性システムは、人をモノ化し、生きる尊厳を奪い、という感じの新自由主義社会が、現在でしょうか。

嗜癖は、自分の人生に対する責任を放棄させてしまいます。
自分以外の誰かが、何かが、物事を良くしてくれる、
あるいは危機から救ってくれると思ているのです。

第1章 嗜癖システム P. 27

いまだにそう思っている私。
いや、物事は良くならない、と思っているが、
自分の責任でもないから、行動しない、という考えでしょうか。
山本太郎代表は違う。こんな日本になったのは、自分の責任だから、
政治に直接かかわられていく。

自己中心的な人びとは、
自己の始まりと終わり、他者の始まりと終わりが
どこかまったくわからなくなります。

自己中心的な人びとは、
自己が独立した存在だということに気づかないために、
他者を尊敬することができません。

第2章 ホログラムとしての嗜癖システム P. 54-55

飲酒、ドラッグ、心配、過労、情事にふけることなどは、
自分が何を考え、感じ、行うかに取り組むのを避けるための試みでしょう。
こういった試みはすぐさま、他者の考え、感情、行動等を
コントロールしようという試みへと拡大していきます。

第2章 ホログラムとしての嗜癖システム P. 59

善良さ自体がしばしばコントロールの形式です。

第2章 ホログラムとしての嗜癖システム P. 84

異常な思考プロセスは、特に政治家に顕著に見られます。
混乱は、政治的レトリックの規範です。
政治リーダーたちが行なう演説を聞いて、彼らが何を匂わせ、
何をわざと言わないでいるのかを見きわめなければ、
その主旨を理解することは難しいでしょう。

第2章 ホログラムとしての嗜癖システム P. 90

自分の人生に責任を負うことは人生を認めることで、
なにも人生をコントロールすることではありません。

第2章 ホログラムとしての嗜癖システム

不幸にも、私たちは外部の指示参照のプロセスに
完璧なまでに慣らされてしまっているので、
内的指示参照のプロセスが存在することすら気づかないでいます。

第3章 嗜癖システムのプロセス P. 160

自分をほめてあげたいけど、
両親には「減点法」で育てられ、会社でも「減点法」での評価だし、
なかなか自分だけ「良いよ、良いよー」とはならんですね。

具体的対策は、この本では提示されず、つづく。
のような感じだったかと思いますが、
アメリカのエマーソンなんかの「自己信頼」の系統になるのでしょう。
アメリカの偉人ではなく、日本では?

これが問題ですね。アメリカの偉人ではなく、日本の偉人について、もっと知らなければ。80代の元医師の方でも、妻の認知症をなおすため、医学ではなく、薬草学を学ぼうとされるとか。抗ガン剤より、抗ガンのための野菜スープづくりの方が効き目があるということで、そちらの研究を始めるドクターであるとか、現代日本にも尊敬出来る方は多そうです。
でも、日本の主流医学は、アメリカの似非医学に従僕であるため、
♨チンを推奨したり、抗ガン剤で残っていた免疫システムを破壊したり、
悪いことしかしないので、正しそうなお医者さんを陥れたりする。
尊敬したい物語が潰されてしまったりするので、
耳に入りにくいというのが現状でしょうか。
このあたり受動態では何も得られず、
積極的にアンテナをはる必要があるのでしょうね。

(心で受け取ったことは、言葉に残せたろうか。)

おわり