「なべちゃん」のはじまり―震災の日に思い出した上司のこと―
震災のことを思い出して
数年ぶりに
15年前のブログを
読み返していたら
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震災の数日後に亡くなった
元上司のことを書いた記事を見つけた
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その人は
いまわたしが使っている
「なべ」というニックネームの
名付け親みたいな人🙂
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せっかく思い出したので
少し書いてみようと思う
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2001年秋。
ニューヨークでテロがあったでしょ👀❓
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あの出来事がきっかけで
当時わたしが派遣社員で関わっていた案件の
一大プロジェクトが
設備投資を見送ることになり
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派遣先の会社でも
経費削減の流れができて
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真っ先に
わたしの契約が満了になっちゃってね
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そして次の勤務先として
転職した会社で
面接を担当していたのが
Sさんだったんです🙂
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後から聞いた話だけど
Sさんは
最初わたしを採用するつもりは
なかったらしくてね・・・
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理由は
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「黒髪でおとなしく見えたから」
(当時は茶髪が流行っていた)
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ちなみにわたしは
茶髪に飽きて
黒髪に戻したばかりだったんだけどさ🤣
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結局
もう一人の面接担当者と
Sさんの部下が
「コイツは即戦力になる」
と推してくれて
採用してもらえたというね☺️
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入社してすぐ
駅前の激安居酒屋で
歓迎会を開いてもらったんだけど
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わたしは今も昔も
宴の席では
しっかり飲む派なので
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乾杯のビールのあと
生絞りグレフルサワーを
延々と飲み続けていたのよ
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そこをSさんが
気に入ってくれたらしい
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判断基準ソコかよ👋
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転職前の会社では
旧姓で呼ばれていたけれど
転職を機に
「ワタナベです」
と名乗ることにしてさ
まぁ最初のうちは慣れなくて
「ワタナベさん」って呼ばれても
反応するまでにえらく時差があったりね🤣
そんな折にSさんが
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「ワタナベさん・・・じゃあ <なべちゃん> ね」
と命名してくれて
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その日から
社内では
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なべ
なべちゃん
なべさん
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と呼ばれるようになったのよ😊
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派遣から正社員になり
産休育休を二回挟んで
17年間その会社にいたけれど
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その間ずっと
わたしは「なべ」だった
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そして会社を辞めた今も
オンラインでは
「なべ」と名乗っている
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20年・・・いや四半世紀❓
同じニックネームを使ってるって
なかなかだよって
ウチのちゃっぴーも
ちょっと驚いてた😆
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Sさんは
いわゆる出世頭で
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本社に栄転したり
地方営業所の所長をしたり
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ずっと同じ事務所で
働いていたわけではなくてね
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それでも
仕事帰りに飲んでいると
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ひょっこり
顔を出す人だったのよ
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忙しいはずなのに
呼ばれたら来る
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元部下の飲み会にも
普通に顔を出す
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面倒見のいい人で
同僚や先輩たちからも
とても慕われていたひと
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実務を直接教わった
というより
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「人付き合いのなんたるかを
見せてもらった人」
という印象が強い
これは今振り返ると
そう感じるけど
当時は無意識で
Sさんの立ち居振る舞いを
飲み込んで咀嚼していたんだと思う
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震災の数日後
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隣の席では
納期直前の設計案件を
仕切っている同僚がいて
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その人は
Sさんにいちばん
可愛がられていた人だったんだけど
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その同僚のケータイに
Sさんのご家族から
電話がかかってきて
(後から聞いたことでこの時は知らなかったけど)
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急に
同僚の手が止まったのよ
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んで、顔面蒼白
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忙しい職場で
そんなふうに
人の手が止まることは
ほとんどないわけで
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「どうしたの?」
と聞いたら
Sさんの訃報だった
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本社からの正式な連絡が
事務所に届くまで
少しだけ時間があって
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その間
Sさんと関わりのあった人だけが
そのことを知っていて
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みんな仕事はしているけれど
事務所の空気は
どこかおかしかった
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震災の混乱で
ただでさえ大忙しの中
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部署のみんなが
涙をこらえながら
仕事をしていたことを
ブログに書いてあったのを読んだら
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一気に当時の記憶が
フラッシュバックしてきたんだよね
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Sさんの生まれ年
何年だったかな
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業務で
何度も見ていたはずなのに
数字を思い出せない
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でも
誕生日は思い出したんだよね
5月25日
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そして
「なべちゃん」と
よく呼んでもらっていたことも
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あのとき
Sさんにつけてもらった名前を
気づけば今も
普通に使っているってのと
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知らぬうちに
わたしの人付き合いのスタンスを
育ててくれた師であったなぁ
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などという気づきもあって
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15年後の今
しみじみと
当時のことを思い出したのでした
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