今日のジャズ: 50 Jahre The Köln Concert(独ラジオ番組)
これまで複数回にわたってキースジャレットのソロピアノライブ演奏の名盤『ケルン・コンサート』に関する記事を書いて来ました。同コンサートの開催から今年50周年の節目に様々なイベントもあり、それらに触発されて促されるかのような形です。記事の元ネタには、英国国営放送のBBCラジオが制作した同コンサートの事実に迫るドキュメンタリー番組がありました。
まだ、周年イベントは続いておりまして、しつこいようですが、それらに駆り立てられる形で今回も書かせていただきます。
まず、このコンサートの舞台裏について、先のBBC番組にも登場している若きドイツ人女性興業主ベラブランデスを主人公として描いたドイツ製作映画”Köln 75 ”が、本日10月17日に米国で公開されます。トレーラーがこちら。
そして、日本では今月7日にジャレットの生誕80周年に合わせて、以下ドイツ語原文のジャレットの伝記が『ECMの真実』の著者である稲岡邦彌さんの翻訳で発売されています。そしてこの書籍の9章には『ケルン・コンサート』の真実、が含まれています。

ジャレットの実弟クリス・ジャレット英訳
DU BOOKS出版、株式会社ディスクユニオン発売
共にドイツ発なのはジャレットが長年にわたって信頼しているドイツ拠点レーベルのECMを通じての縁なのでしょうか。それらの紹介は追々、別の機会に触れるとして、今回は同じくドイツのケルンを拠点とする公共ラジオ局WDR(西部ドイツラジオ放送)が、今年の1月18日に放送した『ザ・ケルン・コンサート50周年』という番組を取り上げます。偶然ですが、先の二つの作品の関係者が登場して語っていますので、ご興味のある方はぜひお付き合いください。
執筆をするための情報源を模索する流れでその番組の存在は知ってはいたものの、BBCの英語とは異なり、コンサート開催地の母国語であるドイツ語の壁を克服する必要があり、音声が手元にありながら、内容に期待しつつも長らく眠ったままになっていました。音声をを流して録音の上、翻訳機に読み込ませてからの翻訳という工程は、いざ手掛けようとすると意外とハードルが高いものです。それが幸いにも最近の目覚ましいAIの進化の恩恵を受けて、音声ファイルの文字起こしをGoogleの”NotebookLM”で、文字起こしされたドイツ語の日本語への翻訳を”Gemini”を活用することで、その内容について比較的容易に把握することが出来ましたので、記事にすることにいたしました。テクノロジーの進化に感謝です。尚、書き起こしと翻訳文については手を入れておらず、AI生成の原文のままですので、その精度も含めてご賞味ください。ウェブ上の番組紹介文は以下の通りです。
「ケルン・コンサート」50周年
大失敗に終わるかと思われたコンサートは、伝説的な成功を収めました!「ケルン・コンサート(The Köln Concert)」で、キース・ジャレットは世代を超えた聴衆と音楽家を感動させ、インスピレーションを与え続けています。
ノエミ・シュナイダー(Noemi Schneider)より
1975年1月24日、ピアニストのキース・ジャレットはケルン歌劇場で即興のソロ・コンサートを行いました。何一つ計画通りには進みませんでした。注文していたコンサート・グランドピアノはなく、代わりに音程の狂った、傷だらけのスタインウェイのベビーグランドピアノで我慢しなければなりませんでした。しかし、レーベルECMからリリースされた「ケルン・コンサート」の録音は、400万枚以上の販売実績を誇り、今日に至るまで音楽史上最も影響力があり、最も売れているピアノ・ソロ・アルバムとなっています。この「ケルン・コンサート」の50周年を記念し、ノエミ・シュナイダーはこのカルト的なレコードについて、様々な人々の声を集めました。
https://www1.wdr.de/radio/wdr3/programm/sendungen/wdr3-kulturfeature/koeln-concert-keith-jarett-100.html
Gemini機械翻訳
その54分ほどのラジオ番組の音源はこちらです。
以下のアルバムジャケット写真の謎に迫る拙記事の記述でいたく感じたのが、ドイツ語によるネット上の情報の潤沢さでした。今回も、期待に違わず筆者にとって未知の情報が多々ありましたので、それらを中心に記します。
番組冒頭から驚きがあるのですが、日本の国立音楽大学卒で、ドイツ留学の経験のあるオーストリア在住のピアニスト滑川真希さんが、流暢なドイツ語で登場して、このコンサートとの特別な馴れ初めと関係について語っています。滑川さんは久石譲さんと大阪万博での共演歴もある実力者です。

https://www.makinamekawa.com/keith-jarrett-the-koln-concert-radio-interviews/
私は1996年に日本からカールスルーエへ留学に来ました。ピアノを習いに。それは冬でした。当時のドイツについて、カールスルーエだけでなく、新しい食べ物についても、慣れないことがたくさんありました。新しい専攻、異国の言語、慣れない生活環境で、つらい時期を過ごしていました。そんな時、学生寮のボーンハイムから音楽学校の練習場へ歩いていく途中の、楽器店のショーウィンドウで、美しい白黒のカバーを見かけました。誰かがピアノを弾いていて、頭をうつむけて集中しています。私はそのショーウィンドウの前に立ち、これは何だろう?これはどんな録音のCDだろう?と考えました。それがキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』でした。どんな音か全く知りませんでしたが、店に入ってそのCDを買いました。当時、本当にお金がありませんでしたが、迷うことなくそのCDを持って帰宅し、夜、練習を終えてから聴き始めました。あまりの美しさに、ただただ涙が出てきました。つらい私の心にとって、どれほどの慰めになったことか。
そして、以前も紹介した同コンサートの女性プロモーターで、そのストーリーが主人公として映画化されたブランデスさんも登場して、これまで以上に当時の状況を詳細に語っています。その内容は、ブランデスさんの母国語であるドイツ語だからか、以前筆者が記事を書く際に参照したBBCのラジオ番組よりも更に詳しく語られています。こちらがその内容です。
それは比較的急なことでした。たしか前年の11月初めに話し合ったと思います。通常、特に公共の舞台に関わる場合、このようなことは何年も前から計画されます。ですから、キース・ジャレットのツアー日程でまだ可能な日を見つけ、実際にケルン・オペラを確保できたのは、最大の幸運でした。私は最初から、深夜のコンサートにしたかったのです。12月、つまりコンサートの約6週間前、ハンブルクのオンケル・ペーでのコンサートでマンフレート・アイヒャーに会いました。彼は私の隣に座って言いました。「そういえば、9月にデイヴ・リーブマンとそのバンドのルックアウト・ファームがあなたのところで演奏したでしょう。その後、リッチー・バイラーに会ったんだが、彼が弾いたベーゼンドルファーは素晴らしかったと言っていた。キースはこのベーゼンドルファーで演奏できるだろうか?」と。私は「まあ、レミ・トライ(やってみましょう)」と言いました。
ケルンに戻ってから、ケルン・オペラの管理ディレクターであるブロイアー氏に電話し、「ブロイアーさん、言っておきますが、これからシュライアー氏に電話しますよ」と言いました。シュライアー氏は、独自のコンサートホール「ノイマルクトのフォーラム」を持つVHS(市民大学)のディレクターでした。そして、そこにリッチー・バイラーが演奏したのと同じベーゼンドルファーが(当時は)置いてありました。「彼に、私たちのためにそのグランドピアノを貸してくれるよう頼むつもりです。なぜなら、キース・ジャレットがこのピアノで演奏することになっているからです」と。ブロイアー氏は「ああ、その必要はありませんよ。ケルン市はちょうど同じ時期に、市民大学のフォーラムと私たちケルン・オペラのために、ベーゼンドルファーにまったく同じ楽器を注文したのです。私たちは全く同じグランドピアノをこの劇場内に持っています。あなたは運が良かった」と言いました。私は「まあ、それは素晴らしい!ブロイアーさん、ありがとう。これですべて予定通りに進みますね」と言いました。
当時、キース・ジャレットはすでに確立されたミュージシャンでしたが、ドイツではまだそれほど有名ではなく、いつもマンフレート・アイヒャーと一緒に車でコンサート会場から次の会場へと移動していました。私の記憶が正しければ、二人はアイヒャーの車でスイスからケルンに来たのです。
しかし、コンサート当日の午後、二人が到着し、私と一緒にオペラへ向かいました。私たちが到着したときには、ケルン・オペラの管理部門の職員はすでに皆、週末の休みに入っており、その夜のオペラ公演の担当者はまだ来ていませんでした。つまり、照明係もいなかったのです。つまり、ケルン・オペラ全体が真っ暗でした。非常口の緑色の照明が、階段の下の縁と非常口のドアの上に、かすかに点いているだけでした。
そして二人は、ほんの数分で舞台上のピアノを点検し、信じられない思いでした。キースは少し弾き込もうと思い、舞台にアップライトピアノがあるのを見ました。ベーゼンドルファーではありましたが、契約で定められていたグランドピアノではありませんでした。キースは何度か鍵盤を叩き、「この楽器には触らない」と言いました。
そしてすべてキャンセルしようとしました。私は最初は状況を理解できませんでしたが、アイヒャーがピアノの周りを3回回った後、「すみませんが、この楽器では今夜、キースは演奏できません」と言いました。私は「でもどうして?あなたがどうしても欲しがっていた、まさにそれなのに」と言うと、彼は「いや、これではない。もし今、どこかから演奏可能なピアノを持ってこないなら、残念ながらキャンセルしなければならない」と言いました。どこかの机の上にダイヤル式の電話が2台と電話帳が2冊置いてあり、私はコンサートグランドピアノに関係する、半径100km以内のすべての人に電話をかけ始めました。午後11時に調律して舞台に置けるコンサートグランドピアノをどこから調達できるか探すためです。
それはもちろん非常に困難でした。なぜなら、金曜日の午後4時には、そもそも何かをする気のある人を電話口に呼び出すことさえできないからです。
そして、私が当時知らなかったのは、グランドピアノは同じ日に運搬して調律することはできないということです。ベーゼンドルファーならなおさらです。私は可能な限りのすべてに電話をかけました。そして最後に、市民大学のディレクターであるシュライアー氏に電話がつながりました。たまたま彼の娘が私の学校にいて、私はその子の電話番号を知っているクラスメートがいたからです。私は「シュライアーさん、どうしてもあなたのピアノが必要です。ベーゼンドルファーを今夜貸してもらえませんか?」と尋ねました。彼はそこで何をしていたのかわかりませんが、「ええ、喜んで」と言いました。私はクラスメート全員に電話をかけ、「ちょっと聞いてくれ、今すぐフォーラムからオペラへベーゼンドルファーを運ばなければならない。できるだけ早く全員集まってくれ。どうにか間に合わせるために」と言いました。
しかし、その瞬間、舞台上のピアノを調律するために注文されていた調律師が現れました。そして、彼は私たちが立てた計画を聞き、私の前に進み出て、非常に厳しい声で言いました。「ブランデスさん」。「はい、何でしょう」。「あなたはたまたま、4万ドイツマルクの預金通帳をどこかに持っていませんか?使わないで済むものを」。「え、どういう質問ですか?」。「ええ、それが必要になりますよ。なぜなら、あなたが今それを実行すれば、ケルン市民大学フォーラムのあのベーゼンドルファーは、その後薪になります。1月にマイナス気温の雨の中、ノイマルクト広場を横切って押していき、その後誰かが二度と演奏できると思っているんですか?二度と調律することはできません。ピアノは持ちこたえられないでしょう。やめてください、何の解決にもなりません」。私は再び電話に戻りました。全くの絶望的でした。
電話口に出た人々は、皆「無理です」と言うだけでした。常に何らかの理由がありました。彼らはその日にピアノ運送会社を持っていなかったか、あるいは「イエス」と言える人が誰もいなかったのです。長々と話しても仕方ありません。この状況はもはやどうすることもできませんでした。そして、その2台の電話があるオフィスの窓から、私の兄が父の車でジャレットをホテルに送っていくところが見えました。私は階段を駆け下り、ドアを勢いよく開けました。助手席に座っていたジャレットを説得して、演奏してもらう**ことにしたのです。
後になって判明したことですが、ブロイアー氏が言っていた、アイヒャー氏が話していたベーゼンドルファーのグランドピアノは、オペラと劇場を結ぶ地下の通路に置かれていました。なぜなら、そこが複合施設全体の中で最も一定の室温と湿度を保てる場所であり、そのような貴重なグランドピアノにとって理想的な保管場所だったからです。
しかし、運送業者(ロンゲンドルフ社)はそのことを知りませんでした。彼らが持っていたメモには「ベーゼンドルファーを舞台へ」とだけ書かれていました。彼らはオペラの裏部屋をすべて探し回り、楽器を探しました。そして、たまたまベーゼンドルファーだったアップライトピアノを女性合唱団の更衣室で見つけました。それは間違いなく10年間調律されておらず、20年間オーバーホールされていませんでしたが、「ベーゼンドルファー」と書いてありました。
そして彼らはそれを舞台に運び込み、仕事を終えました。調律師と、彼が呼び出した息子は、午後11時までの数時間で、少なくとも演奏できる状態にしました。新しい弦を張り、ペダルを修理し、真ん中の詰まった黒鍵を動くようにし、完全に詰まっていた上下のオクターブをどうにか動くようにしました。彼らがどうやってそれを成し遂げたのか、私は知りません。私たちは何年も前から、その調律師かその息子を探しています。調律師はもう生きていないかもしれませんが、私たちはその息子を必死で探しています。私の目には、彼ら二人こそがその夜の英雄だからです。
(筆者注)機械文字起こしと翻訳をそのまま掲載していますが、「リッチー・バイラー」は「リッチー・バイラーク」、「アップライトピアノ」とあるのは「小さいグランドピアノ(ベビーグランドピアノ)」のことです
いかがでしょうか。開催にあたっては”Köln 75”としてドイツで映画化されるほどに劇的な経緯だったということは理解していましたが、ジャレットがそれまで人生最高の舞台で、無理をしてでも弾いてみたい衝動に駆られたと推測する、信頼するアイヒャーが勧める絶品のピアノではなく、弦を張り替えるほどの突貫作業が必要な廃れたピアノが提供されたとは想像していませんでした。同映画の紹介と舞台裏のストーリーをジャレットの視点で描いたフィクションの拙筆は、こちらをお読みください。
このブランデスさんがコンサートに立ち会った当事者として上記のように語り部となっていることが、この演奏の素晴らしさを更に印象深くする後日談として知られるようになったものと推測します。
もちろんジャレットもインタビューで同コンサートについて語った記録が存在していますが、ヒット作とはいえ過去の、そして特に耐え難い環境での演奏については、完璧主義者としては触れたく無い、というのが基本的な立場なようです。
そのジャレットが同演奏の楽譜の出版(岸波由紀子と山下邦彦の採譜、1991年3月25日初版)にあたって、番組で紹介された監修者として「まえがき」に付した内容も同番組で紹介されています。
「1975年に『ケルン・コンサート』が録音されて以来、ピアニスト、学生、音楽学者、その他の方々から、なぜ楽譜を出版しないのか、そうすれば他のミュージシャンも演奏できるようになるのに、と繰り返し尋ねられました。しかし、私はこれまで2つの理由でこの誘惑に抵抗してきました。一つには、このコンサートが完全に即興であり、一夜限りの現象であり、現れたのと同じくらい早く消え去るものだったからです。もう一つは、一部の音楽をレコードで聴こえる通りに楽譜で再現することが、事実上不可能だからです。
しかし、この即興演奏はすでに具体的な形(レコード)で存在し、そしてこのトランスクリプション(採譜)は、時として驚くほどそれに近いとはいえ、音楽の記述であるため、私はついにこの公認版を出版することに決めました。
したがって、私たちはここに、いわば即興演奏の絵、絵画の複製のようなものを持っています。しかし、私たちが見るのは表面だけです。深みは私たちには隠されています。その結果、私は『ケルン・コンサート』を演奏しようとするすべてのピアニストに、録音を最終的な参考資料として推奨したいと思います。
幸運を祈ります。
キース・ジャレット
その楽譜がこちらで、確かに序文に上記のジャレットのコメントが記載されています。
そのまえがきには、以下のような記述もあります。
たとえば、Part IIaの50,、51ぺ一ジ。この部分の本当のリズム感覚を獲得する方法は紙の上にはない。
ジャレットが楽譜で表現しきれない箇所として例示している50,、51ページは、以下音源の7分あたりから8分過ぎの、繰り返される連打から一転して静寂へと急転するペダルを踏む音が効果音となっているドラマティックな流れの箇所というとお分かりでしょうか。採譜された方は大変ご苦労なさったと想像するものの、タイム感やリズム、ペダルの特殊技法も含めて確かに譜面だけでは全て表現出来ない領域があるのだろうと思います。

Geminiによると、「現代音楽や非標準的な記譜法を用いた曲で用いられる、パーカッシブ(打楽器的な)な演奏アクションを指示するもの」とのこと
ジャレットにとって、即興とはそもそも真似る性質の音楽ではないし、楽譜に書き起こしてたところで正確には捉えられない前提であって、同演奏についても、あくまでもライフワークとなったソロピアノの数ある過去の演奏のひとつという立場です。
さて、番組を聞き進めると冒頭の滑川さんが登場する理由が明らかになります。ピアノ演奏とドイツ語ができるから、だけではありません。それは、ジャレット本人にも話した上で、この演奏の再演公演を行なっているからです。もちろん、アーティストとして上記のジャレットの立場を理解した上で、の経緯が以下のように語られています。
私は楽譜を買って、一度試しましたが、それで終わりでした。なぜなら、再現する意味がないと感じたからです。その源泉はあまりにも唯一無二であり、私が世界最高の画家であったとしても、ピカソを寸分違わず描くことはできません。真似はできるかもしれませんが、それはオリジナルではありません。そして、オリジナルにこれほど強く共感した、あるいは共感しているのなら、集団的であろうとピアノ的であろうと、真似をする理由など全くないのです。
パリの会社のプロデューサーが、かつて私に電話をかけてきました。彼はすぐに用件を言わず、特定の事柄について私と話したいだけだと言いました。私は「どの曲について話したいのだろう?」と思いました。そして、彼は電話で、自分のアイデアは『ケルン・コンサート』だ、パリで演奏する気はないか、と私に話しました。私はすぐに「はい」**とは言えませんでした。それが何を意味するかはわかっていました。
私は3日間の猶予を求め、返事をすることにしました。そして、初日は「ノー」。二日目は「イエス、いや、ノー」。三日目に彼に電話して、「イエス」と伝えました。しかし、私は自分の人生に何が待ち受けているかを知っていました。
私は、この曲についてキースに話す前に、彼を前にしてどれほど震えるだろうか、彼と面と向かってこの曲について話すことにどれほど興奮するだろうか、と考えました。しかし、突然、私は全く興奮も恐れもありませんでした。なぜなら、私はまるで彼の前に裸で立っているかのように感じたからです。彼はすべてを理解するだろう。私が考えているすべてを理解するだろう。彼はすべてを見ている。
そして彼は最初に言いました。「本当に、これは可能なのか?これは即興演奏なんだ。これをコンサートとして演奏するのは可能なのか?」と。
しかし、私は彼に言いました。「私はこの楽譜を、ヨハン・セバスチャン・バッハのインヴェンションやシンフォニア、あるいはモーツァルトのピアノソナタと同じように学んでいます。適当に弾いていると思った音は一つもありません。
彼がそこで何音弾いたのかわかりませんが、私は今でも意味のない音を一つも見つけられません。すべての音が非常に正確に、的確に配置されています。左手でリズムだけを刻んでいる部分でさえも。しかし、これは完璧な作曲です。
私はキースに言いました。「キース、これはやはり完璧に作曲された作品だと思います。もしかしたら、あなたはご存じないのかもしれませんよ」。すると彼は微笑んで、私に言いました。
多くの人は、彼が『ケルン・コンサート』を演奏するときに見せる、あの燃えるようなエネルギーが何であるか、そして私たちが今でもそのエネルギーを受け取っていると考えます。しかし、彼は微笑みながら言いました。「私は決して力でピアノを叩きません。ただ、ピアノの弦を最も美しく振動させることだけを考えます。私はピアノを弾きたかったのではなく、いつも歌いたかったのです」。彼は、まるで誰かに耳元で語りかけるように、できるだけ優しく、柔らかくしようとしただけなのです。
Gemini機械翻訳
表層的にピアノを叩くのではなくて、本質的な音の源泉たる弦を美しく響かせて歌うという、ピアノとの対話を念頭においた演奏をジャレットが心掛けていることが伺える貴重なコメントです。それを知ると更に、同コンサートにおいて、ジャレットが歌えるように弦を張り替えた調律師の貢献無しには成立しなかった演奏です。ジャレットは、観客の咳をきっかけにコンサートを中止してしまうほどに繊細ですから、知名度が今ほど高くは無かったとはいえ、集中力が切れれば、中断や中止をする事態も起こり得たはずです。結果として与えられたピアノの弦を最も美しく振動させることに没頭することが出来てこの演奏の生命線が保たれた、というように考える事もできそうです。
そして、観客を前に再演を挑むことはもちろんですが、厳格で気難しいと言われるジャレットに、再現が不可能という立場を知りながら、作曲作品として再定義した上で話を持ちかける滑川さんの勇気にも頭が下がります。このような形で再演されることによって『ケルンコンサート』もジャズのスタンダード曲の一つとして定着するのかも知れません。

https://www.makinamekawa.com/the-koln-concert-in-paris/
ちなみに、先に触れた映画に関してジャレットは一切関与しておらず、ジャレットを演じた役者が演技をするにあたって接触を試みたものの叶わなかったと映画公開時の記者会見で語っていました。ジャレットにとっては過去の遺産であり、これ以上触れたく無いし、演奏以外の話は尚更触れて欲しくないというのがやはり基本的な立場なのだと思います。それでも、筆者もこの作品の魅力に取り憑かれたように色々と知りたくなって、このように詮索しているので、とても複雑な心境ではあります(ジャレットさん、どうかお赦しください)。
さて、この番組で語られている、意外な考察に触れると1970年12月公開のアメリカ映画、『ある愛の詩』のテーマ曲との類似点です。この指摘をしているのが、先の『キース・ジャレットの真実』の著者です。ラジオ番組ではジャーナリストとの紹介のみで著書に触れられておらず、日本語翻訳本の発売でその著者だと認識して、番組に登場しているのには理由があるのだと後追いで気付いた次第です。
私が当時気づいたのも、まさにこの点、その時代にあった特定のポピュラー音楽との類似性でした。それは、フランシス・レイの『ある愛の詩(Love Story)』のテーマ曲です。キース・ジャレットがこれをどこかで耳にしていたことは間違いないと確信しています。なぜなら、それは大ヒット映画だったからです。当時、私にはガールフレンドがいて、彼女にこの映画に引っ張られました。私は絶対に見たくありませんでした。なぜなら、それがどれほどのキッチュであるかを知っていたからです。そして、この音楽は非常に暗示的ですが、キッチュです。キース・ジャレットは、『ケルン・コンサート』の中で、最初の部分の約7分のところにある、この一つの瞬間に向かって、努力を重ねていったのです。
彼はト長調(G Major)で始め、ト長調の和音の周りをさまよい、その後は非常に自由に演奏しましたが、常にト長調に戻りました。そしてどこかでイ短調(A minor)の和音があり、それがますます凝縮され、そして彼はそこに固執し、フランシス・レイのテーマと全く同じメロディの形を見つけました。
Gemini翻訳文
ラジオ番組の音源の30:39から、実演を交えてその類似性が指摘されています。以下音源の7:19以降のフレーズです。
もう一方の『ある愛の詩』はこちらで、どこかで耳にしたことがあるはずの有名曲です。この二つがつながるというのは、音楽的な理論としては立証可能なのかもしれませんが、そもそもジャレットがこの曲を耳にしたことがあるのか、そうだとしてこの旋律がジャレットの潜在意識の中に織り込まれていたのかどうかは、分かりません。
恐らくひとつ言えることがあるとするならば、偉大なる芸術家に共通する繊細な感受性から受けるインスピレーションです。それが何処からやってくるのかというと、その時の感情・心情や体調といった内面の要素だったり、演奏を共にするピアノの状態、演奏前の天気や気温、街の雰囲気や空気感、観客を含めた会場といった五感を刺激する外的な要因と、それに降り重ねた過去の記憶などがあるかと推察します。その中でも秀でた音楽家としては特に耳にするものから意識・無意識に影響を受け、神の啓示のような触発を得て即興演奏での創造という形で、何かしらが天から降ってくるかのように、ジャレットの心身から絞り出されてピアノを通じて表出するのだろうと察します。
それで思い当たるもうひとつの事象があります。このケルン演奏の冒頭の旋律の直後に、かすかに複数の観客の笑い声が捉えられています。そこに居た観客の方が指摘しているので概ね間違い無いと思いますが、それは演奏が始まることを場内の観客に告げる鐘の音に似ていたから、なのだそうです。
一方で、それを似ていると指摘されたジャレット自身は「分からない」と否認をしています。そもそも完全即興に模倣という概念は存在しておらず、真似をする行為自体がその音楽形式に背くことになるので、模倣や借用はご法度前提の演奏です。とはいえ、否認はすれども否定はしていない、というのがポイントです。何故ならば、即興演奏をするにあたってのインスピレーションを様々な形で受けていることを自認しているからだと考えます。直前に耳にした鐘の音が、模倣という行為など毛頭も無いジャレットの潜在意識に埋め込まれて、それが演奏の中に表出する、と考えるのが自然ではないでしょうか。

同じことが『ある愛の詩』にも当てはまるかもしれません。更に科学的な分析を施せば、似たような箇所が他にも浮かび上がるかもしれません。しかしながら、それは表現者としてのジャレットの「今、ここ」、その瞬間に生命を掛けて織り成す全霊を総動員した即興演奏という行為の結晶であって、それは楽譜が正確に捉えられないのと同様に、その音楽を科学的に分析するのは非常に興味深い考察ではありますが、純粋に楽しむという本質的な行為からはかけ離れた行いかと思います。
そのジャレットの「今、ここ」を体感したい方には、ケルンコンサート翌年の1976年11月に京都、大阪、名古屋、東京、札幌でのソロコンサートを収録した『サンベア・コンサート』がお勧めです。約二週間にわたる来日ツアーの演奏を収録したもので、ケルンに劣らずどれも素晴らしい出来なのと、同じ時期にも関わらず、その曲風が全く異なるところに、ジャレットの即興演奏家としての卓越さと凄みを堪能することができるからです。特に日本人としては、馴染みのあるコンサート開催地の雰囲気を重ね合わせることによって、ジャレットが各地で得た演奏の源泉となるインスピレーション、それを演奏を通じて感じ取ることが出来るのが、このドキュメンタリー的な側面を併せ持つレコード10枚組、CDにして6枚組の貴重な音源です。
有難いことにジャレットの公式YouTubeアカウントで同音源が掲載されていますので、ご興味がありましたら試聴してみてください。
冒頭を聞くだけでも、曲調がまるで異なることに驚かされます。ケルンでの演奏が特に多く取り沙汰されていますが、その他の演奏もリリースされている音源は、どれも引けを取らず素晴らしいものばかりなので、ぜひジャレットの他のソロ演奏にも触れていただいて自分だけの『ケルンコンサート』的な音源を見つけていただけたらと思います。
これらの完全即興が如何に困難な業なのか、苦行に挑む孤高の心情を感じ取れるのが、ジャレットの幾つかのソロピアノアルバムの最終曲として収められている即興ではないスタンダードやオリジナル曲の演奏です。ケルンの最終曲も事前に作曲された楽曲の再演(曲名は、”Part IIc”とクレジットされているものの、それ以前に演奏した記録のある”Memories of Tomorrow”)ということが分かっていますが、その多くの演奏において、ジャレットの即興演奏に臨む心情を特に捉えることができると考えています。
その演奏には達成感、解放感、安堵感といった共通項が感じられるのですが、それは着地点の見えない緊張感に満ち溢れた過酷な即興演奏を終えた状態だからこそ辿り着ける境地であり、頼りとなる道標がある完成曲を安心して弾くことができる、心の平穏や安らぎといったジャレットの感情が特に際立って心に訴えかけて来るように個人的には感じます。その感情を絶妙に表現した演奏を通じてジャレットの心情を受け止めることによって、同じ心境で即興演奏の旅路を共にした聴衆の心も揺り動かされるのだと考えています。
完全即興に焦点を当てたスウェーデンのテレビ局による1979年放送のジャレットの自宅におけるインタビュー映像があります。その中でジャレットは何も準備せずにピアノに触れるところからソロピアノの即興演奏が始まると語っています。そして事前に作曲された曲は演奏しないのか、という質問に対して、アンコールで度々、過去に演奏を楽しんだ曲を弾く、と答えています。そこで弾き始めるのが、ジャレットの名曲”My Song”で、即興の中から生まれた曲と紹介しています。14:30あたりから一曲全て演奏されているのですが、これもまたオリジナル演奏に劣らず素晴らしい演奏で、完全即興から解放されたようなジャレットの心の平穏が琴線に迫ります。番組冒頭の即興演奏から観入ってしまいますね。
“My Song”に触れた拙記事はこちらをどうぞ。
さて、ジャレットが、NEA(全米芸術基金)ジャズマスターズアワードを受賞した際のスピーチ映像があります。自らの人生を振り返り、演奏に対する姿勢等について語っているのですが、そこにジャレットの演奏と即興に対する考え方を見事に捉えた発言がありますので、ご紹介いたします。
As a matter of fact I thought in the beginning before I came here I thought I got about 45 ways to come at this and if I if I start with one of them it's going to connect to the rest of the 44 waves and it will never stop.
実際のところ、ここに来る前は、(45分間話すことに)45通りのアプローチがあって、それをひとつ紐解くと、残りの44通りに連なって、とめどなく続くと思っていました。
So, I forgot actually what I was going to say hey that's very good though see because if you're about to play a chord that you're familiar with from the past and you've heard yourself play it before and that's when you forget it that's perfect that's improvisation
それで、何を話そうとしていたのかさっぱり忘れてしまいました。とは言えそれは、実のところ非常に好都合なのです。何故ならば、以前親しみ耳にして弾いたことのあるコードを弾く際に忘れている時が完璧だからです。それこそがまさに即興なのです。
ひとつ弾き始めると、それが次から次へと発展することによって演奏が紡がれるという即興に対するジャレットの脳内と、即興とはいえ過去に弾いた旋律やコードが無意識的に浮上して、ひとつの構成要素になっていることを自認しているところが興味深い点です。
ジャレットが、創作物という芸術作品に対する厳格な態度、模倣を許さないという姿勢が伺えるのが、スティーリーダンを著作権の侵害で訴えて勝訴し、作曲者名に名を連ねている事実です。これは、さすがにあからさまでスティーリーダンがやりすぎたのも否めません。
話を番組に戻すと、WDRのBBCに引けを取らない素晴らしい番組制作に敬服すると共に、このような内容を知ることが出来て関係者に感謝いたします。本記事には触れていませんが、番組にはピアニストのファジルサイ氏も登場していました。
そして、AI翻訳の品質はいかがだったでしょうか。驚くべき進化を遂げていますね。今回行った文字起こしと翻訳には解釈の余地が少ないため、ハルシネーション(AIのでっちあげ話)はほぼ発生していないだろうと考えています。ブランデスさんの過去の話やサンドナーの著作とも内容は合致しています。加えて、先の譜面の箇所の特定については譜面を写真に撮ると演奏してくれるサービスを利用しました(PlayScore 2)。これらのテクノロジーの進化が無ければ本記事を書くには至らなかったので、その恩恵にも感謝です。
最後に、先の映画のフランス語タイトルは”Au rythme de Vera”と命名されています。日本語にすると、『ベラのリズムに乗って』になるかと思います。最後までお付き合いいただきまして有難うございました。即興のリズムに乗って素敵な一日をお過ごしください。
おまけですが、ケルンコンサートやソロピアノがお好きな方は、生命力の漲るミシェルペトルチアーニのスタンダード曲や自作曲を交えた40分にわたる圧巻のソロ演奏についてもご堪能いただけるかと思いますので最後にご紹介いたします。

