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【料理エッセイ】ロン・ミュエク展で大きい人とか、小さい人とか見て、青山墓地の隣、かおたんで美味しいラーメンを食べたよ

 森美術館で開催中のロン・ミュエク展に行ってきた。めちゃくちゃ大盛況でその人気の高さが窺えた。

 ロン・ミュエク(1958 - )は実物そっくりの質感で「普通の人」を極端に巨大化または縮小化したハイパーリアリズム作品を通して、人間らしさを問い続けている作家。日本では青森県は十和田市現代美術館のシンボルとなっている『スタンディング・ウーマン』の作家として知られている。

 子ども向けテレビ番組『セサミストリート』でパペット制作に従事し、その後、アーティストへ転じたキャリアを持っているので、その根底には万人向けのユーモアが流れている。同時に、亡くなった自身の父親を縮小サイズで再現した『デッド・ダッド』という作品で注目を集めるなど、ユーモアでは解決のできない問題にも向き合っている点が特徴。

 日本では2008年に金沢21世紀美術館で回顧展が開催されて以来、2度目の個展だったのでずっと楽しみにしていた。

 今回の目玉のひとつがベッドで寝ている大きい女性なんだけど、その迫力たるや、つい笑ってしまうほど。

 なにより表情がいいよね。自分がまさか展示され、多くの人に見られているとは想像だにしていないというか、よそ向きではないというか、家の中で過ごすときの顔をしている。

 そして、後ろにまわり込むと手のしわが見える。この作り込みが凄まじい。皮膚の色合いから爪の光沢に至るまで現実のそれでしかない。でも、サイズがバグっているので脳がおかしくなる。さらには首のたるみ具合、髪のパサパサっぷり、ほうれい線のテクスチャへと視線を移せば、人間って、本当はこんなもんだよねがあふれかえっている。

 ロン・ミュエクの作品は徹底して人間がしょせん人間に過ぎないことを鑑賞者に突きつけてくる。少年と少女が並ぶ像も正面からは初々しい恋愛のぎこちなさが伝わってくるも、その背後で表現されているのは力による支配。

 スクール水着姿の少女はすらりと伸びた脚の長さに注目は集まる。これは偶然じゃない。彼女がそれを見せることによって腕毛や曲がった小指といったコンプレックスを隠そうとしている。

 カメラを通せば人間は美しくなる。画角を決め、光を当て、解像度という名のフィルターで漉せばなんとでもなる。加工もしちゃえば超安心。しかし、それは人間からかけ離れたフィクショナルな存在で、現実のどこにもいやしない。

 実際の人間はなんてことない。あの人もこの人も服を着ているからそれっぽいだけ。脱いだらちゃんとみっともない。

 立派なのは元気だから。疲れていたら焦点すらままならない。まわりの音も聞こえない。どこへ行けばいいのかわからない。

 それでも赤ん坊は頼ってくれる。買い物袋を両手に抱え、信号待ちの時間で途方に暮れてしまっていても、母親だけをじっと見ている。人間の強さはここにある。

 そんな風に他者の柔らかい部分を形にしてきたロン・ミュエクは自身の柔らかい部分も形にしている。

 最も無防備な寝顔をこれでもかって大きく再現。広くなった額、半開きの口、青々とした剃り残しの髭を晒している。普通だったら恥ずかしい瞬間を堂々切り抜く。

 でも、なぜ恥ずかしいのだろう?

 どうして自分の肉体を変だと感じてしまうのか。たしかにカッコよく生きたいという気持ちが湧いてしまうのはその通り。ただ、とどのつまり、死んだらみんな一緒なんだってことを忘れてはいけない。一皮剥けば骨があるだけ。どうせ数十年もすれば、おしなべて大差はなくなるというのに、短い命でなにを焦っているのかとつくづく思い知らされる展示がクライマックスに待っていた。

 あの骸骨はこの骸骨よりもスタイルがいいとか、イケメンだとか、美女だとか、論評するのはくだらない。あっちも骸骨、こっちも骸骨。一ミリも多様性がないのに、これほど多様性が体現されている風景は他にない。その真ん中に突っ立ったとき、さあ、頑張ろうぜと退屈な日々に戻る気力が湧いてきた。

 それからロン・ミュエクの制作過程を撮影したドキュメンタリーを見た。椅子ではなく、座布団に座って画面を一時間以上見上げていたので腰がバキバキになってしまった。

 とはいえ、内容は最高だった。アトリエで一言もしゃべらず、朝から晩まで黙々と創作を続けてる姿が羨ましかった。休憩のときはアシスタントと庭に置かれたトレーラーで紅茶を飲む。テラスでカラスに餌をあげる。そして、作業に戻るとひたすらに手を動かし続ける。こういう風にわたしも生きたい。

 帰りはお腹がすいたので六本木から乃木坂の方へ坂道をくだり、青山墓地の隣、かおたんに入った。いかにも怪しい小屋みたいなお店だけど、なにを食べても抜群に美味しい。

 大学生の頃、文化祭で手伝ってほしいことがあると声をかけてきた自称・音楽プロデューサーのおじさんに連れてきてもらったのが最初のかおたんだった。

 これまでにどんなテレビ番組で音楽を作ってきたか、どんなタレントと仕事をしてきたか、ここで延々と聞かされた。まだ十代だったわたしは世間知らずで、誘われるまま、のこのこやってきてしまったけれど、やばいやつかもと内心ビビっていた。ちなみに、手伝ってほしいことはなにかと聞けば、自分が描いたイラストをYahooオークションに出品するサポートをお願いしたいとかで、江東区の家に来てくれというものだった。つまり、やばいやつだった。

 参ったなぁと思いつつ、注文していたラーメンが運ばれてきた。適当にたいらげ逃げてしまおう。急いで麺をすすってみたところ、信じられないほど美味しくて、つい、おじさんを二度見した。

 こんなにすべてが胡散臭いのに、舌だけは本物なのかよ!

 以来、わたしはかおたんの虜となり、揚げネギの浮かぶ綺麗な醤油ラーメンを何度となく味わってきた。ありがとう。おじさん。

 なお、その日はなあなあに解散。後日、送られてきたメールは適当にはぐらかし、自然というか、不自然というか、しっかりと疎遠になった。

 数年後、六本木で用事があったとき、いつものようにかおたんへ行くと、奥の席から聞き覚えのある声がした。例の自称・音楽プロデューサーのおじさんだった。大学生らしい若い子を相手に、どんなテレビ番組で音楽を作ってきたか、どんなタレントと仕事をしてきたか、延々と話していた。

 そんな姿を横目にわたしは醤油ラーメンをずるずるっと食べながら、連れてきた後輩に、自分がこれまでにどんな仕事をしてきたか、自慢げに話したのだった。

 まあ、仕方ないよ。おじさんだって、わたしだって、一皮剥けば単なる骸骨に過ぎないんだもん。



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