【読書コラム】米津玄師がべらぼうに面白かったと言って爆売れしている新書を読んだら、石原慎太郎からビートたけしまで教養主義をどう破壊してきたかわかって、たしかにべらぼうに面白かった - 『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』竹内洋(著)
今年の2月1日、米津玄師が音楽ナタリーのインタビューで2024年に触れた本の中で、「社会学者の竹内洋さんの『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』という本がべらぼうに面白かったですね」と答えて話題になった。
──最後にもう1つ聞かせてください。2024年に触れたもので、小説でも映画でも音楽でも、自分にとって刺激になった作品はありましたか?
2024年はたぶん人生で一番忙しかったんですよ。だから、ほとんど覚えていないです。ただ読んだ本で言うと、社会学者の竹内洋さんの「教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化」という本がべらぼうに面白かったですね。大正時代あたりに興隆した教養主義が、この本が書かれた2000年代初頭の頃に至るまでにいかに没落していったかということを、いろんなデータをもとに紐解いていく。私自身はその本に載っているようなエリートなわけではないですけど、自分とすごくリンクするような部分もあったりして、膝を打ちながら読みました。
けっこう古い本だけど、たちまちAmazonではプレミア価格の中古が出回るようになるほどの大反響。すぐに増版がかかったようで現在は落ち着いているけれど、20年以上前に出版された新書がこんな風に売れるなんて異例中の異例だろう。さすが、米津玄師。影響力が半端ない。
かく言う、わたしもすっかり影響されて、正規料金で買えるようになってからゲットした。ちなみに電子書籍化もされているので、読もうと思えばいつでも読めたみたいなんだけど、個人的に紙の方が疲れないので待つことにした。
内容はまず「教養」と「教養主義」が別であることの説明から始まる。「教養主義」というのは教養を身につけることがカッコいいことで、俗な言い方をすればモテるためだったり、人から尊敬されるためだったり、趣味のよさとして信じられていたことを指しているらしい。
戦前から戦後にかけて、旧制高校というシステムがあった頃、学生たるもの教養をつんでなんぼという空気があったようだ。学校の先生になるような人たちは軒並み読書家で、名作とされる文学作品はもちろん、社会問題について書かれている難しそうな雑誌を愛読するのが当たり前だったという。様々な本を読み、様々な分野の知識を持っている人がインテリと呼ばれ、憧れの対象だったとか。そして、時代の空気もあり、教養主義は自然とマルクス主義に接続。左傾の学生はマボ(マルクス・ボーイ)やエガ(エンゲルス・ガール)と呼ばれ、ヒット曲の歌詞にも登場するようになる。
ところが、その後、学制移行によって旧制高校は新制高校に取って代わられるようになる。教育内容も戦後民主主義が主流になり、価値観も大きく変わっていく。端的に言えば、マルクス主義から離れる学生が現れてきたのだ。このとき、象徴となった人物として石原慎太郎の名前が挙げられていた。旧制高校的な教養主義と真っ向から対立し、そうではない知識人の姿を模索し、自ら体現したという。
その説明に際し、ピエール・ブルデューのハビトゥスという考え方が使われていた。ハビトゥスとはわたしたちが一般的に「あの人は品がある」とか「あいつは田舎者だ」と感じるときに根拠としているイメージのことである。表向きはある行動を賛否両論しているようで、実際はそれぞれの経験に基づいて、「そういうもの」と認識されている型を根拠に判断しているという考え方である。そして、それは一朝一夕で身につくものではないので「文化資本」と呼ばれ、我々は自分と他者をディスタンクシオン(区別)しているのである。
ちなみに、過去、ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』について書いた記事もあるのでご参考までに。
さて、話を戻すと石原慎太郎は旧制高校的な教養主義は対して、自分はそうじゃないというディスタンクシオンを行った。具体的には旧制高校的な教養主義は地方出身のガリ勉が読書を通して身につけたものであり、石原慎太郎はそんなものは陰気であると言わんばかりに都会的で健康的な若者像を打ち出した。スポーツを楽しみ、女の子たちと楽しく遊び、音楽もやるし、海も似合う男前こそ時代の中心にいるんだぞ、と。要するに石原裕次郎のことである。
東大の学生みたいなガリ勉で虚弱な頭でっかちより、慶應ボーイの方がスマートで素敵という印象を世間に提示した。石原慎太郎自身は一橋大学の学生だったが、弟の裕次郎が慶應ボーイとして放蕩生活を送る様子を小説にして大ヒット。さらにはその裕次郎を主演に映画を作り、昭和の大スターにしてしまったのだから凄過ぎる。
ただ、それは社会が望んだことでもあった。
かつて、教養主義の巣窟である文学部出身者の就職先は学校の先生がほとんどだった。大卒者が珍しい時代、企業は大卒者を採用するとなったら専門的に学んだことを活かしてほしいと考えた。そのため、文学を専攻した人たちを雇う理由がなかったという。ところが、メディア業界の規模が拡大する中で人材としての需要が拡大。新卒一括採用のカルチャーが広がる中で大学時代になにを学んだかが問われなくなるにつれて、給料の安い学校の先生になろうとする人は激減した。すると、大学は就職までのモラトリアム期間を意味するようになるわけで、人生のバカンスとも言える貴重な時間に読書なんてしている場合じゃなくなっていった。故に、教養主義を信奉するのは物好きな学生だけになってしまった。大多数がサークルを楽しみ、恋愛に明け暮れ、バイトやスポーツで汗を流す華やかなキャンパスライフを理想とした。
旧制高校的な教養主義は古臭い権力とみなされるようになった。60年代の学生運動は左傾学生が中心だったけれど、彼らは教養主義の観点からマルクス主義につながったわけではなく、むしろ、丸山眞男など教養主義的エリート学者を非難していたという。「ベートーヴェンなんか聞きながら学問をしやがって」と罵倒されていたとか。
じゃあ、彼らは誰を思想的支柱にしたのかと言えば、在野の知識人としての吉本隆明だったわけで、1969年5月13日、三島由紀夫が東大で全共闘と討論した際に、「全学連の諸君がやったことも、全部は肯定しないけれども、ある日本の大正教養主義からきた知識人の自惚れをいうものの鼻を叩き割ったという功績は絶対に認めます」と言った意味も見えてくる。
とはいえ、丸山眞男ら教養主義のエリートに反感を覚えた全共闘などの学生たちも、その外から見ればエリートであり、彼らに祭り上げられていた吉本隆明もまた相対的にエリートになり得た。これに反旗を翻す形で大衆を味方につけたのがビートたけしである。
1985年、吉本隆明が『an・an』のコム・デ・ギャルソン広告に登場した際のこと。ビートたけしは『朝日ジャーナルでこんな風に語っていたという。
「『「革命」とは「現在」の市民社会の内部に膨大は質量でせり上がってきた消費としての賃労働者(階級)の大衆的理念が、いかにして生産労働としての自己階級と自己階級の理念を超えてゆくか、という課題だと考えております』(『海燕』三月号)と書いているから、大衆がテーマになっている。でもオレたちのような大衆が読んでもイメージのわかない言葉は、何のための、だれに向けた言葉なのか。それがわからない。(中略)年寄りだけにわかる言葉を使って、現実からますます遠ざかっていくのはなぜか、わからない」
さらにこういう。「吉本さんは動くことで地位が下がったね。『アンアン』なんかに出て動けば動くほどダメになっていく。オレはエライと思うけど、一般大衆はそう思わない、逆だね」(「もっと阿保になれ、吉本!」『朝日ジャーナル』一九八五年七月一九日号)。
たけしが漫才師と自己規定しながら知識人の言葉を茶化せば茶化すほど、反教養主義派統一戦線のイデオローグとして機能してしまう。全共闘学生は、丸山眞男に代表される教養エリートを壊滅するために吉本隆明を必要としたが、レジャーランド大学生は、プチ教養主義を解体するためにビートたけしの知識人殺しを歓迎した。
本書はここまでの記載だったけれど、ここでビートたけしが雑誌に寄稿している1985年はいま思うと興味深い年なので、個人的にその後の展開を考察してみたい。
学生運動の終わりから若者の政治に対する興味は失せてしまって、70年代後半から不良文化が全国に広がり始めていた。学校現場では戦後民主主義から管理教育へと方針転換がなされ、先生たちの仕事は不良たちをいかにして押さえつけるかにシフトしていた。それを物語るように1979年から『3年B組金八先生』シリーズが始まっているのだが、そういった学園ドラマの中でも、先生から教養主義が失われた象徴的な作品として、1984-85年に『スクール☆ウォーズ』が放送されていたことは注目に値する。
「俺はこれからお前たちを殴る」
不良たちの心を入れ替えるためには暴力もまた優しさになるという価値観が受け入れられていた。その背景にはそれぐらいしないとどうしようもないという認識が広がっていたと考えられる。そして、先生という立場にそういう役割が求められていたと考えられる。いつしか、真面目で読書家な物知りでは務まらない仕事になってしまったのだ。
また、1985年、同じ年に尾崎豊『卒業』が大ヒットしていることも興味深い。こちらはそんな管理教育に反発する不良の気持ちを歌っている。「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」生徒に共感しつつ、窓ガラスを壊させまいと奮闘している体育会系な先生にも大衆は共感していたのである。そこに教養主義のつけ入る隙はなかった。本を読んで社会のことを考えても意味ないじゃん、としらけムードが広がった。
そんなしらけ世代の興味は自分自身に向かった。どうせ社会なんて変えられないんだし、自分のことをちゃんとするのが大事だよね、という消費社会に突入していく。
奇しくも、全共闘と共に沈みつつあった吉本隆明は消費による自立を唱えていたのだけど、それが消費社会と見事にマッチした。人々の関心はいかに稼ぎ、いかに消費するかに向かっていった。人生における成功とはカッコいい車に乗り、ブランド物で身を包み、有名なレストランで食事し、海外旅行へ行ったり、派手な結婚式を挙げたり、子どもを有名な学校へ入れることだと信じるようになってしまった。糸井重里が「おいしい生活」や「くうねるあそぶ。」などのキャッチコピーで人々の心をつかみ、消費=生きることの方程式を証明するようにバブルの波がやってきた。
この世代におたく文化やサブカルチャーの大家とされる人たちが多いことは偶然じゃないだろう。アニメにしろ、ゲームにしろ、かつてはローカルチャーとされていた分野に熱中してもいいという思える空気があったはずで、というのも教養主義の没落によって、なにがハイカルチャーなのかわからなくなってしまったのだ。
いまさら夏目漱石の『三四郎』を読んでなにになる? 阿部次郎『三太郎の日記』や西田幾太郎『善の研究』を読んでこそ、知識人だった時代ははるか昔。それよりガンダムの歴史を語れる方がよっぽど賢く見える時代なのだ。
物知りとはいつしかクイズに強い人を意味するようになってしまった。でも、だとしたら、旧制高校に通った先人たちはあれほど教養主義を重視したのか気になってくる。本当にそれが無意味なことだったとしたならば、なぜ、あれほどまでに守ろうと頑張っていたのだろう。
竹内洋は最後に前尾繁三郎という人物を紹介している。この人は旧制高校の教養主義を身につけ、後に通産大臣や衆議院議長にまでなった政治家だ。彼はエリートがエリートであるために必要なものとして、教養主義を考えていたようだ。
エリートはまわりからちやほやされる。驕慢というエリート病に罹患しやすい。だからエリートになによりも必要なものは現実を超える超越の精神や畏怖する感性である。前尾にとって、現実の政治や官吏としての仕事を相対化し、反省するまなざしが教養だったのである。
前尾については、教養の深さが総理の座を遠いものにしたといわれる。元気がよいだけの人間や世渡りの上手な人間、便乗者には、ありきたりの返事しかしなかったため、煙たがられたからである。前尾にとって教養とは「ひけらかす」(差異化)ものでないのはもちろん、必ずしも「得をする」(立身出世)ものでもなかった。自分と戦い、ときには周囲に煙たがられ、自分の存在を危うくする、「じゃまをする」ものだった。ここに教養の意味の核心部分があるように思われる。
差異化(ディスタンクシオン)と立身出世を阻むものとしての教養主義。それが自分の人生を「じゃまをするもの」として感じられてしまうのはわたしたちが消費社会にどっぷりと浸かっているからに違いない。
ジャン・ボードリヤールは『消費社会の神話と構造』の中で、買い物をするとき、わたしたちは自分が欲しいものを選んでいるようで、それを買うことでまわりからどう思われるかを常に意識していると主張していた。お金を使って好きなものを買うことは自由な行動に思えるけれど、実際はその逆というのだ。
消費という特殊な様式のなかでは、超越性(商品のもつ物神的超越性をも含めて)が失われてしまい、すべては記号秩序に包まれて存在している。 <省略> 幸福な時にも不幸な時にも人間が自分の像と向かい合う場所であった鏡は、現代的秩序から姿を消し、その代りにショーウィンドウが出現した。そこでは個人が自分自身を映して見ることはなく、大量の記号化されたモノを見つめるだけであり、見つめることによって彼は社会的地位などを意味する記号の秩序のなかへ吸い込まれてしまう。だからショーウィンドウは消費そのものの描く軌跡を映し出す場所であって、個人を映し出すどころか吸収して解体してしまう。消費の主体、は個人ではなく、記号の秩序なのである。 <省略> 消費者は自分がもっているモデルのセットとその選び方によって、つまりこのセットと自分とを組み合わせることによって自己規定を行う。この意味で、消費は遊び的であり、消費の遊び性が自己証明(アイデンティティ)の悲劇性に徐々に取ってかわったということができる。
つまり、自由になにかを選べるとき、好むと好まざるとにかかわらず、選択は自分のセンスを映し出してしまう。欲求は自分がいかに評価されたいかと重なり合ってしまう。そうやってわたしたちは自由という名の制約によって、不自由な選択を強いられている。
そう考えると消費社会における幸せがやたら似たり寄ったりなことにも合点がいく。テレビやYouTubeで見る成功者たちの生活はコピペしてきたみたいにどれも一緒。同じような家に住み、同じような服を着て、同じようなものを食べている。同じような友だちと遊び、同じような恋人がいて、個性という無個性に囚われている様は冷静に見るとディストピアじみている。
そこから逃れる勇気を持つためにこそ、教養主義は役立っていたのだろう。そして、そのことを解き明かす本を時代の寵児たる米津玄師が「べらぼうに面白い」と評価していることがなによりも面白い。やはり、米津玄師はただも者ではないということが伝わってくる。
マシュマロやっています。
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