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【読書コラム】有名な漫画家が激賞している漫画はやっぱり面白い! Arata『アップルエイジ』も南賀なん『999号室』も感情の秘密に迫る、人間らしさを探し求める令和のSF

 タレントが絶賛しているものって、割と大したことないけれど、有名な漫画家が激賞している漫画はだいたいおもろい。ストーリーがいいのはもちろん、絵のうまさがピカイチなのでキャラクターの表情や背景の描き込みを見ているだけでもうっとりとする。

 Arata『アップルエイジ』を手に取ったのも、帯に書かれた錚々たるビッグネームに惹かれたからで、出版社の思惑通りになっているのは癪ながら、そうじゃないとアニメ化するまで知らないままだったはずだから、複雑に感謝している。

 ロボットが意志を持つようになった世界の話。メイドとして働く女の子ロボットはある日、ご主人様から解雇を言い渡されてしまう。

 なんでも、最近はロボットに対する権利が拡大し、ロボットを搾取することに反対するデモも過激化しているとか。ご主人様は政治家を目指す立場として、ロボットをメイドにしていることがバレたら体裁が悪い。新しい職場は用意するからと別れを切り出す。

 ご主人様との平和な毎日が当たり前に続くと思っていた彼女にとって、突然の申し出に戸惑うも、それがご主人様の望むことなのであればとグッと飲み込む。何年かしたら、また、一緒に暮らせるはずだし、それまでに料理の勉強をしておこうなどとポジティブ・シンキングで無理やり前を向く。

 しかし、新しいお屋敷に運んでくれるはずの船は妙な島へと近づいていく。都合の悪いものを捨てるための無人島。どうして? 疑問を抱く暇もなく、船長に海へと突き落とされる。 

「文句があるならご主人様に言うんだな」

 捨てられた彼女はどうにか島へと辿り着き、これからどうしようかと途方に暮れていると、目の前に少女が現れたのでビックリ仰天。

 無人島のはずでは? うん。無人島。だから、ここに人間はいない。じゃあ、あなたは? わたし、幽霊なの。知らないと男に襲われて、殺されて、ここに捨てられた。

 ねえ、頼みがあるの。復讐のために手を組みましょう。わたしはわたしを殺した男を。あなたはあなたを捨てたご主人様を。

 そんな風にメイドロボットと幽霊少女が仲間となって、再び、社会へと戻っていく展開は懐かしいけど新しく、現代の定義からすると命がないはずの二人を表情豊かに描く美しさにすっかり魅了されてしまった。

 注目すべきは手に汗握る冒険譚の中で、メイドロボットが自らの感情と向き合い、あえて不合理な選択をとってしまうところ。彼女にはもともとドジな性質があって、故に、ポンコツとして仕事を転々としていた過去がある。でも、ご主人様だけはそんな自分を受け入れてくれた。失敗を怒らず、成長のために必要なことなんだと教えてくれた。なのに、どうして? わたしは捨てられてしまったの?

 感情さえなければ、苦しまなくて済むのだろう。でも、感情がないとしたら生きていると言えるのだろうか。ロボットらしくないロボットの言動は幽霊少女の心を打って、逆説的に、人間らしさを取り戻すきっかけとなっていく。

 この感情をめぐる物語こそ、令和のSFらしさなのかもしれない。そんなことを考えてしまうのは、やはり大物漫画家が推薦している南賀なん『999号室』を読んだとき、感情の愛おしさと恐ろしさがテーマになっていたからだ。

 怪異と思しき存在たちが集合住宅に暮らす世界において、徹底した管理社会と階級制度が敷かれたことで、大衆の自由が完全に失われたディストピア国家が舞台らしい。そんな中で人間っぽいビジュアルを保った少年は郵便配達員として、危険の多い団地をあっちへこっちへ走り回る。

 どうやら手紙が重要なものになっているようで、怪異たちは離れて暮らす家族や友だち、恋人の感情を受け取ることで日々の労働を耐え抜いている。いつか資産を貯め、みんなと一緒に上の生活を送るんだと疲れた心身にムチを打つ。

 ただ、感情はそれだけ強い力を持っているので、国家のコントロール対象となり、手紙には消費期限が設けられ、それを過ぎた感情は危険物となる。郵便配達員は労働者たる怪異たちから手紙を回収する仕事も担っている。つまり、社会の安定を維持する上で欠かせない職業なのである。

 だから、手紙の遅配や紛失は大事件となる。感情に触れられない怪異は暴走したり、自壊したり、取り返しのつかないことにつながり得る。また、こっそり手紙を隠し持っていたり、発送せずに書き溜めていても大変なことになる。感情が現実を侵食し、周辺一帯が飲み込まれる事故が起きてしまう。

 SF的なぶっとんだ設定ながら、狭い部屋と工場を往復するだけの日々、仕事のために栄養をとらされる食事、早寝早起きの強制、労働人口確保を目的とした生殖活動が推奨される様子などが生々しく描かれることで、現実的な怖さが通奏低音として流れ続ける。そして、そんな地獄のような日常を支えているのが感情のコントロールであるというのは興味深い。

 まるでアルコールやタバコのような嗜好品として、感情を取り上げるでもなく、与え過ぎるでもなく、もっと欲しいと渇望する程度に制御している。怪異たちをそういう感情中毒にすることで支配し、植民地のように低賃金で働かせているのは誰なのか? 国家の思惑は現時点で見えていないけれど、それなりに察してしまう。もちろん、悪い意味で。

 支配という不条理を成り立たせるため、歴史上、人類は何度も「人間扱いしない」という暴力を行使してきた。かつて、植民地支配や奴隷貿易をするにあたって、対象となる人々は自分たちと同じ人間ではないという論理が横行していたという。伊藤亜紗『身体の美学入門 感性から捉えなおす人間の本質』に詳しいが、人種という考え方も、そういう支配する側の都合で作られたフィクションだったようだ。

 少なくとも、遺伝学や人類学の領域において、人種という分類は生物学的な根拠がない社会的・歴史的な虚構と結論づけられている。人類の遺伝的な多様性に明確な境界線はない。肌の色などの外見的な違いは環境への適応に過ぎず、本質的な差異などではないんだとか。

 それでも、そこに無理やり差異を見出し、それを理由に見た目の違う相手に暴力を振るってきたことをわたしたちは反省しないといけない。個人として罪がなかったとしても、人類として、繰り返してはいけないという集団的な反省をしなくてはいけない。

 このとき、他者とコミュニケーションを交わし、お互いに感情があるということを確認し合うことはとても大切。ナチスがユダヤ人を迫害した際、友人や知人としてユダヤ人と接点を持っていた人たちはプロパガンダを疑いやすかったという研究もある。ヒトラーの妄言やデマを信じない盾として、そういう感情の交換は有効な力を発揮したのだろう。

 いま、世界は再び分断が進みまくっている。知らないところで敵と味方が形成され、SNSを通して、わたしたちは好むと好まざるとにかかわらず、どちらの陣営につくかの選択を薄らと迫られ続けている。その荒波に飲み込まれたら、悲劇は何度だって繰り返される。

 そんな不安な時代だからか、ロボットや幽霊、怪異という「人間ではない存在」を通して、人間らしさを問い直す作品がいま輝いて見える。その遠回りこそが、現実を真正面から語るよりも深く心を揺さぶる気がする。だから、『アップルエイジ』も『999号室』もSFでありながら、いまを生きるわたしたち自身の物語として読めるのだ。




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