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あるときは良妻賢母? あるときは悪女? あるときは自立したカッコいい女? シェイクスピアの妻アン・ハサウェイを通して、「女の生き方」を社会がどう押し付けてきたか見えてくる - シェイクスピアと陰謀論①

 メンバーシップ用の記事、7月にお送りした『自己啓発本の変遷に見るわたしたちのリアリティ』に続く第2弾になります。と言っても、無料部分もけっこうあるのでご参考までに。

 メンバーシップでは普段、わたしがリアルの有料イベントで話していることをまとめた記事を6日に1度のペースで配信してきます。 今回は「シェイクスピアと陰謀論」がテーマの講義をもとにした記事を複数回に渡ってお送りします。

 いまのところはなにがなにやらって感じだと思いますが、徐々にシェイクスピアと陰謀論のつながりが見えてくるはずです。つきましてはお付き合いのほど何卒よろしくお願いします!

 とはいえ、これだけでは不親切にもほどがあるので、もう少し詳しく。シェイクスピアについてはいろいろなことがわかっていなくて、研究者の間でも意見が分かれまくっているんです。その中でシェイクスピア別人説やシェイクスピア・グループ作家説など真面目に議論されてきた歴史があります。加えて、通説として出回ったあることにも疑問の余地があるようで、21世紀になった現在でも激しく意見が交わされているのです。

 この講義ではそれらを俯瞰し、なぜ人は陰謀論にハマってしまうのかを探っていきます。また、陰謀論をバカにするような態度がもたらす弊害についても見ていく予定です。とどのつまり、陰謀論を陰謀論と無視した結果、陰謀郎の方が力を持ってしまったら、それは陰謀論ではなくなってしまいますからね。

 ひとまず、最初にシェイクスピアの人物像について確認していきましょう。特にその妻であるアン・ハサウェイをめぐるあれこれに注目していきます。


ウィリアム・シェイクスピアについて

 ウィリアム・シェイクスピア(英・1564-1616)はイングランド中部の商業都市(当時)ストラトフォード=アポン=エイヴォンで裕福な家庭に生まれました。

 父親は皮手袋商人で市議会議員も務め、1568年、ストラトフォードの町長にも選ばれるほどの名士でした。母親は名家の出身で父親の遺産について大部分を相続するなど、経済的に恵まれまくってまくっていました。

 なお、当時のエリザベス朝では出生証明書を発行する制度がなかったのですが、イングランド国教会であるホーリー・トリニティ教会にウィリアム・シェイクスピアが1564年4月26日に洗礼を受けた記録が残っていたそうです。当時の通例として洗礼式は生誕後3日以内に行うので、恐らく1564年4月23-26日のどこかで生まれたと推測できます。

 ちなみにシェイクスピアの墓もホーリー・トリニティ教会にあり、晩年も妻アン・ハサウェイと通っていたという。え? アン・ハサウェイ? となると思いますが、実はアメリカの女優アン・ハサウェイの名前の由来はシェイクスピアの妻からみたいです。

 シェイクスピアの家族構成は以下の通り。ウィリアムは8人兄弟の3番目でした。

長兄 ジョン   (1558年)
長姉 マーガレット(1562年 - 1563年)
次男 ウィリアム (1564年 - 1616年)
三男 ギルバート (1566年 - 1612年)
次女 ジョーン  (1569年 - 1646年)
三女 アン    (1571年 - 1579年)
四男 リチャード (1574年 - 1613年)
五弟 エドモンド (1580年 - 1607年)

 ヴァージニア・ウルフが『自分ひとりの部屋』の中で「もしシェイクスピアに妹がいたら?」という仮定を立てていましたが、どうやら実際に妹はいたみたいですね。無論、ウルフが言いたいのはそういうことではなくて、ウィリアム・シェイクスピアが女だったら、当時、あれだけの活躍はできなかっただろうという比較ではありますが。

 さて、先述の通り、ウィリアムが生まれた頃のシェイクスピア家は裕福でしたが、その後、父親がなんらかの理由で失脚してしまいます。羊毛の闇市場に関わったとして町長を辞めさせられたとか、父方・母方の両家ともローマ・カトリックの信者だったから迫害されたとか、様々な説が存在しています。

 いずれにせよ、思春期にかけて家が没落していったと言われています。そのため、シェイクスピアはちゃんとした教育を受けることができなかったという説もあるし、そうは言っても家柄的にローマ・カトリックの創立した学校に通ったという説もあるし、この辺から事実が曖昧になっていくようです。

 天才シェイクスピアというイメージから逆算すると教育を受けていない方がカッコいいですよね。ただ、ストラトフォードの中心にあったグラマー・スクール「エドワード6世校」は地元の男子は無料で入学できたとされ、町の名士の息子なら当然通ったと考えられるので、おそらく、シェイクスピアも通ったと考える方が自然かもしれません。なんでも、この学校ではラテン語教育の一環として実際に生徒が古典演劇を演じたようで、演劇の素養をここで身につけた可能性も高いです。しかし、学籍簿は散逸しているので確かなことは分かりません。

 それから、シェイクスピアは18歳で26歳のアン・ハサウェイと結婚。いわゆる「できちゃった婚」で式を挙げた時点で妊娠3ヶ月だったと言われています。そのため研究者によっては望んだ結婚ではなかったじゃないかという説だったり、逆に既成事実を作ることで結婚を強行したんじゃないかという説だったり、様々な解釈がなされています。一応、当時のイングランドでは、婚前交渉や同棲、なんなら妊娠も正式に結婚する前によく見られることだったという話もあり、またしても真実は闇の中です。

 とにかく、ハサウェイとシェイクスピアの間には3人の子供が生まれました。1583年生まれのスザンナ、1585年に生まれた双子の兄妹ハムネットとジュディスです。長男のハムネットはペストで11歳に死去したとされ、この名前の類似性が後の『ハムレット』制作につながったと考えている研究者もいるそうです。

 晩年、シェイクスピアは遺言書で妻であるアン・ハサウェイに対し、「2番目にいいベッドと家具」を遺すとしか書かず、それが世界一有名な遺言となったため、アン・ハサウェイ悪妻説がまことしやかに唱えられることになります。単に事務的な内容だったか、あえての文学性だったのか、真偽のほどは謎ですが、この辺から人々が偉人の妻に並々ならぬ興味を示してきたことが窺い知れます。

 実際、劇作家として多忙だったシェイクスピアはロンドンに単身赴任し、
二人は長年別居状態でした。でも、シェイクスピアは休暇のたびに帰宅していた上、引退後は一緒に暮らしているし、同じ墓に入ってもいるので、不仲だったと言い切れるかは微妙ですよね。

 ところで、ウィリアム・シェイクスピアが重要な作家であると認識され出したのは19世紀。この過程は次回、詳しく紹介しますが、19世紀にシェイクスピアの人となりにも注目が集まり、研究が進む中で妻アン・ハサウェイにもフォーカスが当たり始めます。


アン・ハサウェイについて

 1845年には『アン・ハサウェイ、恋するシェイクスピア』という小説が書かれ、偉人を支える良妻賢母のイメージが広く共有されました。例えば、19世紀に作成された版画ではシェイクスピアを囲む子どもたちを見守りながら、裁縫に励む保守的な母親像としてアン・ハサウェイが描かれています。

 しかし、20世紀に入り、イギリスからアメリカに帰化した作家フランク・ハリスがこのイメージをひっくり返します。

 フランク・ハリスは人気雑誌の編集者として知られ、オスカー・ワイルドやジョージ・バーナード・ショーと友だちで、自身の性生活を赤裸々に記した『わが生涯と愛』を出版、5巻も出るほどの大ヒットを飛ばす下世話作家でした。そんなハリスが『人間シェークスピア』という、シェイクスピアの性生活にフォーカスを当てた本を出版。アン・ハサウェイとの「できちゃった結婚」を世に知らしめたのです。

 これによって20世紀的なキリスト教的価値観で、アン・ハサウェイは18歳のシェイクスピアをたぶらかした26歳のふしだらな女とみなされ、ロンドンで働く夫についていかなかった妻失格の悪妻として19世紀とは真逆のイメージが流布します。

 さらにアン・ハサウェイの悪妻化を決定づけたのはアイルランドの作家ジェイムス・ジョイス。自分自身をモデルとした登場人物、スティーヴン・ディーダラスにたびたびアン・ハサウェイのことを語らせました。特に代表作『ユリシーズ』では、シェイクスピアが遺言書で妻に「2番目にいいベッド」が遺贈したのは不倫に対する罰だったと自論も展開しました。

 また、1998年公開で大ヒットした映画『恋におちたシェイクスピア』でも、夫婦の関係は完全に冷め切り、シェイクスピアは愛を求めて、ロンドンに出てきたという設定が敷かれていました。これは完全なフィクションですが、映画のクオリティが高いのでそれっぽく見えました。だいたい、作中、恋に落ちる貴族の娘(グウィネス・パルトロー)も架空ですし、諸々、陰謀論的に囁かれてきた内容も盛り込みまくった映画でした。なのに、ところどころ史実に基づいた要素も挟み込まれていて、虚実入り混じる構成が巧みな映画で最高に面白いです。

 その後、21世紀に入り、アン・ハサウェイの評価はさらに一変します。2010年、アメリカの作家アーリス・ライアン(1950 - )が、小説『アン・シェイクスピアの秘密の告白』でアン・ハサウェイをシェイクスピアのゴーストライターに設定し、新たな可能性を提示しました。2020年には北アイルランドの作家マギー・オファレル(1972 - )が小説『ハムネット』で妻および母としてのアン・ハサウェイの苦労を描き、全米図書批評家協会賞フィクション賞など様々な賞を受賞するなど、いまやアン・ハサウェイは夫婦の力関係やシングルマザーの苦悩、結婚によるキャリアの挫折、結婚生活における性的解放などを象徴するキャラクターと化しています。

 そんなアン・ハサウェイの受容史を踏まえ、わたしの見解を述べていきます。

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