見出し画像

【映画感想文】ちいかわの映画、完璧過ぎるって…… みんなが「こういう風になってくらしたい」をした結果、誰かに皺寄せがいっちゃうわけで、答えのない問題も生じちゃうよねという考察 - 『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』監督:及川啓

 ちいかわの映画が完璧だった。島編(8巻)は原作の評価も高かったけれど、果たして、長編映画になったときどうなるのか注目が集まっていたが、期待を遥かに超えてきた。誇張でなく、可愛いドストエフスキーだった。

 そもそも、『ちいかわ』という作品はカフカ的不条理といかに付き合っていくかの物語で、失われた三十年で格差の広がった現代日本における目指すべきライフスタイルが描かれている漫画である。なんて言うと、ふざけているように聞こえるかもしれないが、マジなんです。

 とりあえず、『ちいかわ』の世界観を2分でまとめた動画を見るだけでも、労働と格差と報われなさが伝わってくる。

 映画はそんな風に頑張るちいかわたちが「簡単な討伐で100倍の報酬と実質無料の豪華な食事」という闇バイト過ぎるチラシに引っかかり、リゾートな島に行ったところ、危険な仕事をやらされてしまうというストーリー。この時点でいまの日本を色濃く反映していることが伝わってくる。

 なお、危険な仕事とは、島民たちを襲うセイレーンという巨大な人魚を討伐してほしいというもの。彼らはなぜ自分たちが襲われているのかわからないという。対して、セイレーンに話を聞くと、島民に大事な仲間を食べられてしまったので復讐しているだけだという。

 ちいかわたちは第三者の立場から、それぞれの意見を聞き、問題の解決を目指す。しかし、その過程で不都合な真実が明らかとなり、誰のせいでもないのに暴力が連鎖してしまう不条理な現実と向き合うことになる。この答えがない悩みにおいて、『ちいかわ』はドストエフスキーらしい文学性を帯びていく。

 以上はすでに原作でもはっきりと提示されていたテーマなのだが、映画で行間がアニメーションによって補足されたとき、信じられないほど見事なカタルシスが達成されていた。音楽も芝居もガッチリとはまり、セリフがないシーンのオリジナルな演出も冴え渡り、冗談でなく、日本映画史に残る大傑作だった。

 そして、それが時代にマッチしていることも素晴らしい。確実にこの映画が大ヒットすることによって、日本人の価値観はナガノ的なものへと大きくアップデートされるだろう。

 ナガノ曰く、「こういう風になってくらしたい」という理想のひとつがちいかわ(なんか小さくてかわいいやつ)なんだとか。

クリックすると出典元のポストに飛べます

 同時に、もうひとつの理想として、でかつよ(なんかでかくて強いやつ)を挙げ、「こういう風になってくらしたい」とも言っている。

クリックすると出典元のポストに飛べます

 つまり、ナガノの中には「ちいかわ」と「でかつよ」という二つの相反する理想が存在していることになる。

 作中、「ちいかわ」が「でかつよ」に変化し、その「でかつよ」が「ちいかわ」たちを襲い、「ちいかわ」たちに討伐されるという展開がたびたび出てくる。敵と味方がもともとは同じというところにナガノの哲学が垣間見える。

 ここで言う「でかつよ」って、まるで無敵の人だよね。弱者であるため、なにもいいことがないせいで、拡大自殺を図ってクソな社会を壊したいという衝動を抑えられなくなってしまう。ただし、「でかつよ」はそれだけでなく、抑圧された欲望や暴走した自己防衛が怪異化した姿にも見え、厄災的な面もあるので不条理さがより強調されている。

 実際、ちいかわたちも危うくて、試験に落ちたり、大事なものを失くしたり、まわりを信じられなくなったとき、でかつよ化しそうな気配は何度もあった。でも、友だちがいれば、一緒にチャルメラを食べ、怖いの忘れパーティーを開き、笑い合うことができるので耐えられる。ちいさくて可愛いやつのままでいられる。

 とはいえ、みんながみんな、そんなに恵まれているわけじゃない。『ちいかわ』はモブキャラがグレーなのが特徴的で、文字通り、グレーゾーンを意味していると推測される。それに比べ、メインキャラはカラーである。

 グレーとカラーをわけているものはなんなのか? はっきりと明示されているわけではないけれど、これまでの連載を読む限り、自分で自分の機嫌を取る方法を持っていれば、色彩を得られているように見える。つまり、生き甲斐の有無が両者をわけているように思われるのだ。

 だから、カラーのちいかわたちはある意味でマイペースに生きている。悪く言えば、ワガママなのかもしれない。が、それこそ先述の「こういう風になってくらしたい」であるから、決して矛盾はしていない。

 さて、「こういう風になってくらしたい」という願望を叶えたとき、自分の観測範囲内は幸せでも、見えないところに不幸が生じてしまう。ワガママの皺寄せは誰かに向かってしまうから。

 その不幸が大きくなったとき、「こういう風にくらしたい」を続けることが難しくなる。でかつよ化する誰かも生まれてしまう。この難しさの先に不条理があり、最初、ちいかわたちは戸惑う。

 ただ、じゃあ、どうすればよいかと考えても答えは絶対に出てこない。いろいろな要素が複雑に絡み合い、もはや打つ手なしの結果がいまの問題を引き起こしているんだもの。それでも生きていくしかないわけなので、ちいかわたちはわからないを受け入れ、割り切れない日々をなんやかんやで過ごしていく。

 だから、ちいかわたちは社会で恥もかくし、恐怖で傷つくし、嫌な思いもたくさんする。ときには命を奪われることもある。あまりに殺伐とした現実にくじけそうになるけれど、友だちと美味しいものを食べる一瞬の幸せを堪能し、理不尽な世界に絶望せず毎日を生きている。

 そうやって社会と関わりつつ、自分の幸せを自分で確立させるライフスタイルが現代人の心にジャストフィット。多くの人がそうありたいと魅了されているからこそ、大衆は『ちいかわ』に惹かれるのだろう。無論、わたしも猛烈に惹かれ続けている。

 この対極にあるのは旧来のエリート的なライフスタイルだろう。いわゆる「立派な生き方」という正解を示し、不条理をコントロールしようという発想で、高度経済成長からバブル崩壊後も連綿と続いてきた高学歴の伝統だったが、とうとう時代に合わなくなってきている。

 もちろん、そういう他者に評価してもらえる幸せは羨ましいよ。でもさ、いい学校を卒業し、いい会社に就職できるエリートだからできることで、親ガチャにはずれたうちらにしてみれば、あまりに遠い世界の話過ぎるのだ。イソップ童話の『すっぱい葡萄』みたいとわかっていても、エリートの言説は嫌いと拒否したくなる。

 要するに、いまや、日本は格差がそれだけ広がっているということ。報われない仕事を頑張り、少しでも給料を上げるため資格取得に励むも、そう簡単には合格できない。三つ星レストランなんて行けるはずもなく、チェーン店やインスタントの食べ物に一手間加え、手の届く範囲で幸せを探している。それが日本で暮らす大多数にとってのリアルである。

 いわば、この世界の脇役として生きていくしかない自分たちを重ねる存在として、ちいかわたちは希望に満ち満ちている。これまでの物語だったら惨めな扱いをされていた生き方なのに、『ちいかわ』だと最高の生き方として描かれる。

 そうだよ。脇役にも人生はあるし、こっちはこっちで面白いし、成長もあるし、友情もあるし、夢もあるんだよ!

 当然、主役の人たちみたいに、ブランドものなんて買えないし、メディアで活躍している知り合いもいないし、新NISAやっても枠を全然埋められないよ。でも、友だちとLINEで面白い動画を共有したり、セブンでみそきん買えてラッキーと思ったり、ワンカップ酒をおでんの汁で割って「うま〜」とか言うんでも十分楽しい。

 人から尊敬されるような仕事はしていないよ。たぶん、今日、わたしが死んでも地球がほんのちょっと軽くなるだけ。だけど、わたしの人生はわたしにとって価値のあるものと断言できる。だって、さっき作ったナポリタン、めっちゃおいしかったもん。人生なんて、それでいいじゃん。それでいいだろ。

 脇役でしかないわたしたちを肯定してくれる物語。それが『ちいかわ』である。好きになるに決まっているよ。




お問い合わせが増えてきたので、拙記事の引用も二次創作もご自由にどうぞ! 肯定的な内容はもちろん、否定的な内容も大歓迎です!


マシュマロとnoteの質問箱やっています。
匿名のメッセージを大募集!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
見てほしい映画、
社会に対する憤り、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!! 


ブルースカイ始めました。
いまはひたすら孤独で退屈なので、やっている方いたら、ぜひぜひこちらでもつながりましょう! 


メンバーシップ始めました!
よかったらご参加ください!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集