50代のじゃーにぃー(大地を感じる十勝の旅)
十勝の畑は、丘の上から見下ろすと一枚の大きなパッチワークでした。
緑と、刈り取られたあとの金色と、まだ土のままの茶色。
この大地を一日かけて感じてみる。そんな旅を、ひとりでしてきました。
旅の始まりは、十勝清水のそば屋「目分料」でした。石臼で挽いた手打ちのそばを、とろろと薬味でいただきます。時刻は11時42分。細く角の立った麺を手繰ると、喉の奥をつるりと通っていく。
この店は、挽きたて・打ちたて・茹でたての「三立て」を通しているそうです。使うそば粉は上川のもの、天ぷらの野菜は自分の畑で育てたものだと聞きました。名物は二種類のつゆで食べる「あいのりつけ鴨」だそうで、私が頼んだのはとろろのついた一枚でしたが、それでも十分でした。そばを目の前で打つ様子を眺められるのもこの店の楽しみらしく、機械では出せない不揃いの角が、かえって手の仕事を伝えてきます。十勝の水と粉で打ったそばから一日を始める、というのが、なんだか贅沢な始め方に思えました。

新嵐山スカイパークから、十勝平野の大地を見る
車を走らせて向かったのは、芽室町の新嵐山スカイパーク。冬はスキー場になる斜面のいちばん上に、展望台があります。
そこに立つと、目の前に十勝平野がどこまでも広がっていました。畑が四角く区切られ、色の違う布を縫い合わせたように連なっている。牧場の建物が豆粒のように点在し、その向こうはもう空との境まで平らでした。晴れていれば、大雪の山、十勝連峰、日高山脈と、三つの山並みまで見渡せるそうです。この日は雲が多めで山の稜線はうっすらでしたが、それでも十分に「大きいな」と声が出ます。眼下の牧草地では牛が草を食んでいて、散策路にはリスも出るのだと、あとで知りました。

丘の上は風が通って、車の音も人の声も届きません。聞こえるのは風と、遠くの牛の声くらい。北海道に住んでいた頃、この広さを何度も見てきたはずなのに、あらためてひとりで丘の上に立つと、また違って見えます。畑の一枚一枚が、誰かの何十年かの仕事なのだと思うと、平らに見えていた景色に急に厚みが出てきました。人が耕してきた大地の広さを、まるごと一望できる場所でした。

花も、額縁も、大地の上に
午後は帯広の紫竹ガーデンへ。
一人の女性が長い年月をかけて草花を植え続けてきた庭だと聞きます。門をくぐると、名前も知らない花が背の高さほどまで茂り、道の両側から迫ってくる。白いアジサイ、黄色い小花、その奥に濃い赤紫のユリ。整えすぎず、野の草がそのまま花畑になったような庭でした。



この庭を一代でつくったのが、地元で「紫竹のおばあちゃん」と呼ばれた紫竹昭葉さんだと知って、少し驚きました。広さは一万八千坪、二十を超えるテーマの庭に、二千五百種もの花が植えられているそうです。しかも、早春のチューリップから霜が降りる頃まで、種類を替えながら途切れず咲き続けるようにできているという。行き当たりばったりに咲いているように見えて、その裏に何十年ぶんもの計画がある。野原に見えて野原ではない。そう思って見直すと、一輪ずつの並びまで急にいとおしくなりました。園内には「お花畑で朝食を」という朝の食事も用意されていると聞いて、次はそれを目当てに朝から来たくなりました。
次は六花の森。樹齢百年のニレの木が育ち、清らかな小川が流れる林で、六花亭の包装紙でおなじみの花の絵を描いた坂本直行さんの記念館が建っています。あの包装紙の花が、この土地の野の花だったのかと思うと、ふだん何気なく手にしていたお菓子の包みまで、急に十勝の大地とつながって見えてきました。この日はどこへ行っても、手入れされた庭や林の奥に、いつも大地の気配がありました。
芝生に古い金色の額縁がぽつんと立っていました。中には絵ではなく、緑の芝と木立と、なだらかな丘、その上にオブジェ。誰かがここに立って写真を撮るための仕掛けなのでしょう。額の中に切り取られると、見慣れた草地までひとつの風景画に見えてきます。人の手で育てた花も、この庭も、結局は大地の上に載っている。そんなことを、額縁越しにぼんやり考えました。

そのあと足を延ばした中札内美術村では、カシワの林の中に細い道が続いていました。木漏れ日の落ちる小道は、車を降りると空気がひやりと変わり、足元の苔が湿った匂いを立てます。ここは六花亭が営む森の美術村で、広い林の中に美術館がぽつぽつと点在しているのだそうです。北海道の山や自然を描き続けた相原求一朗さんの美術館などがあり、絵を見るというより、林を歩きながらときどき建物に出会う、という時間の過ごし方でした。

幸福ゆき、一本の線路
夕方、幸福駅に立ち寄りました。
線路の上に、オレンジ色の古い気動車が一両だけ、ぽつんと残されていました。車体には「238」の番号。旧国鉄広尾線の駅で、走る列車はとうに止まり、今は保存された車両だけが夏草の中に据えられています。ここにはこうしたキハ22という古い車両が二両、駅舎やホームと一緒に残されています。
「愛の国から幸福へ」――この駅の切符が全国で人気になったのは、私が産まれた年とのこと。テレビで紹介されたのがきっかけで、愛国から幸福ゆきの切符は、ピーク時の四年間でおよそ一千万枚も売れたのだといいます。路線そのものは一九八七年に廃止されました。それでも駅は残り、今も「幸福ゆき」の切符をかたどった記念碑や、幸福の鐘が置かれ、模擬結婚式まで行われているという。走る列車が消えても、人は「幸福」という名前のほうを手放さなかったのだと思うと、少しおかしく、少しあたたかい気持ちになりました。
近くの店では、今でもあの「愛国から幸福ゆき」の切符が土産として売られてました。切符といっても列車に乗るためではなく、名前の縁起をかついだお守りのようなもの。廃線になってなお切符が売れ続けるというのは、考えてみれば不思議な話ですよね?
思っていたより静かで、小さな駅でした。線路は途中でぷつりと切れ、その先は畑へと続いていく。走らなくなった一本の線路も、時間が経てば、大地の一部のようになじんでいくのだと思いました。

大地が育てた湯
その日は十勝川温泉に泊まりました。目当ては、翌朝ゆっくり入った「観月苑」のお湯です。
十勝川温泉のお湯は「モール温泉」と呼ばれます。ふつうの温泉が火山の熱で湧くのに対して、ここの湯は、太古の植物が積もってできた地層をくぐって湧いてくる。だから色は薄い琥珀色で、肌に触れるとほんのりと甘く、驚くほどつるつるします。看板に「美人の湯」とあるのも、この肌ざわりのことなのでしょう。植物由来のモール温泉は世界でも珍しく、十勝川温泉のものは北海道遺産にも選ばれています。
湯船は一つではありませんでした。寝湯に歩行湯、打たせ湯、そして開けた露天。露天に身を沈めると、朝の空気がひやりと顔に触れて、湯の甘さがいっそう際立ちます。口コミで「露天が開放的で気持ちがいい」と評判なのも、浸かってみて素直にうなずけました。宿の中もよく手入れされていて、廊下も浴場も気持ちよく整っている。ひとりで来ても居心地がよく、この湯だけを目当てにまた来る人が多いというのも分かります。
朝食もまた土地のものでした。海鮮を自分でのせて作る「勝手丼」があり、刺身を好きなだけのせた一杯は、朝から少し贅沢すぎるほどでした。火山ではなく、大地に眠る植物が育てた湯。そう思って浸かり、大地の実りで腹を満たすと、この一泊もまた、大地を感じる旅の続きでした。体の中まで十勝で満ちていくようでした。

畑も、花も、線路も、湯も。行った先はばらばらでしたが、振り返ると全部、同じ大地の上でつながっていました。景色を「見る」旅はよくしますが、大地を「感じる」旅というのも、50代にはちょうどいい。
みなさんは、その土地の大地そのものを感じた旅を、覚えていますか。
※本記事の写真について一部AI加工をしております。
