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自己紹介③ -人生どん底を進んでいた自分が、舞台脚本デビューできた話-


創作のきっかけ


子供の頃の学校社会は、とにかく人に流され、灰色が滲んでいた。
いじめで距離を置かれ、心がすさみ、真面目なフリして嘘をつき……とにかく心のコップがカラカラで、むなしかった。


そんな諦めモードの中で、唯一の癒しだったのが、TVゲーム


幼稚園のころ、父親がスーパーファミコンで「スーパーマリオワールド」をプレイするところを後ろで見る。


「やってみるか?」


コントローラーを手にとった瞬間、ゲーム世界のトリコになっていた。非日常的な世界観にワクワクし、心が音楽のように楽しく弾んだ。


祖父母の家にもファミコンがあり、従兄と遊ぶ時もゲーム。人付き合いが苦手な自分には、まさに心の拠り所だった。最初はアクションばかりだったが、小学4年生ごろにRPGに触れ、読書では面白味がかなかった物語の楽しさを知っていく。


今思うと、その頃からゲームの世界なら、


「(ドヤ顔で)この世界なら、オレはイチバンになれるな!」


と、登下校中に妄想を膨らませていたものだ。中学になると、ゲームのようにセリフばかりの物語や詩を書き始め、大人になったら壮大な物語を作りたい、と何となく思っていた。


そして、大学生になってもその気持ちは揺らがなかった。ゲーム関係の仕事がしたいと就職活動に奮闘するが……ここから、苦難の連鎖がはじまるとは……。


就活に失敗、不運の連続、そして……


当時の就職戦線はリーマンショックの煽りを受け、吹雪のような冷たい状況だった。興味が湧かない企業も受けたが、企業側にはしっかり見抜かれていた。


だから、ゲーム関係の会社を狙いを定め、ダーツみたく「当たれ!」と祈って履歴書を投げてみたが……ブルズアイどころか、円の外。卒業までに就職できず、かなりブラックな気分だった。


--そして、ショックの2連鎖目。性格が変わってしまうと疑うほど、自分にえた。


2011年春ごろ、広島で『就職支援プロジェクト』という、第二新卒者の就職支援をサポート制度の募集を見かける。内容としては、仕事でも心構えやマナーなど学び、県がお願いした企業へ参画し、そのまま就職につなげるというもの。


社会人としての最低限のスキル学んだのち、IT企業の会社へ参画し、試験雇用を受けたが……自分としては必死にやっていたが、すべてが空回り。社員の方に質問しようと思っても、固すぎる空気で身体が石のようになり、結果、採用されず。


そして、しまいには……、


『普通じゃない』


この言葉が、今もたまに苦しめている。


なんだよ、『普通』って。当たり前のことをやろうとしていたのに、『普通じゃない』って。喪失が計り知れなかった。心も燃え尽きて、人と話すことが、怖くなった。


就活もままならなくなり……なんとかして心の平穏を何とか保つために、ゲームや創作に明け暮れる日々。やっぱり、好きなことじゃないとやっていけない。

そこで、以前から興味があったゲーム関連の専門学校の特別講座でシナリオ創作術を学ぶことに。両親には『バイトしながら通う!』と説得し、通うことを許してもらった。


同じ『好き』を共有できる仲間に出会え、小説やシナリオも書いていき、人に見せて批評してもらい、ときには悔しかったが、本当に楽しかった。
しかし、そんな時間が長くはなかった。


両親から言われ続けていた「就職して働いてよ」との言葉。何度も言われることに嫌気がさし、結局、探すことになってしまった……。
好きなことじゃないと仕事にも身が入らないため、大学時代に『これは好きだった』というものを箇条書きにする。


そこで、自然と書いていたのが、


人に教える


振り返れば大学時代、磨いていたPCスキルで何度も人に教えて喜ばれたこともあり、それが嬉しかった。


そのことを思い出し、すぐにMOSの資格を取ってパソコン教室を探しまくった。その結果、不思議なご縁で東京の下北沢に本社がある、パソコン教室を運営している会社から、


「ぜひ来てくれ」


と、初めての内定をもらう。


『楽しい』を軸に行動したことで、まさかの東京での生活が実現。。やはり、無理にやるより自分が楽しいと思うことを精いっぱい続けると大きなことが起こる。好きなことをすることで運も味方してくれる、そんな気がした。


憧れの東京生活で……


就職先のパソコン教室は、下北沢に本社兼本店があった。社長から「引っ越し先はその周辺にしてくれ」との指示をいただいたき、世田谷の安い物件で(と、言っても7万円はかかった)一人暮らしをはじめ、正社員として働きはじめる。


自信を喪失した影響からか、最初の頃はお客さん一人ひとりの距離感や質問内容に、大苦戦。


「大学ではあんなにできたのに……」


学生の頃とのギャップに、悔しさが募る。
家に帰って、できなかったことをまとめ、深夜過ぎまで復習。


「絶対に、地元に帰るもんか!」


憧れの東京生活。すぐに地元に逃げ帰りたくない!このまま逃げずに生活できるようになる!講師として一人前になる!

その結果、半年でお客さんの信頼を集め、頼られる存在へとなった。『普通じゃない』、でも、できるものがあると実感した。


そして、仕事は創作にとつながる。


ホームページの作成も修得しなければならず、CSSやらhtmlやらに悪戦苦闘の中、どんなサイトを作ればいいのか頭の中でぐるぐるしていた。そのときに、創作を楽しんでいた頃のことを思い出す。あの続きを、動かしたい……!


「作るか!」


埋もれた作品を世に出したい衝動に駆られ、半年で創作サイト『新・永山あゆむの小さな工房』を開設した。


そして、パンのように妄想が膨らみはじめる。脚本に関わることも夢ではない、と。


「顔を出すしかない、か」


勇気を振り絞ってX(旧ツイッター)やFacebookで交流会の情報を探し、クリエイター関連の飲み会に参加し、サイトをPRした。『普通じゃない』と言われた直後では到底できなかった行動。よい流れは、流れにのっていくべし。知り合いもいないし大丈夫だろうと、意を決した。


そして、思いがけない『特別なイベント』が発生する……。


ついに脚本を……


交流会で、若手の声優さんと朗読劇をやっている主催者の方と仲良くなった。当時は、「声優さんは芝居もやるんだ」と、目からウロコだった。実際に舞台も観劇し、声優さんの演技に感動した。


「声優さんがやっているお芝居、面白そう!」


好奇心が騒ぎ出し、その方が主催する飲み会に何度も参加。ホームページに掲載した作品を何度もアピール。その結果、


「朗読劇の脚本を書いてみませんか」


この瞬間、身体が震えた。


え?マジで!?


夢の扉が開いた瞬間だった。『自分が書いた脚本でかたちにしたい』という夢。


「や、やりますっ!!」


条件は『30分程度で終わるもの』であれば自由に作ってOK。今の自分の全力を出し、約1週間で完成。


そして、およそ1か月後に舞台で披露。実際に見させていただき、涙が出た。すこし恥ずかしさもあった。本当に、すごく夢のような時間だった。


新しい世界が、広がりました。


まとめ


好きなことであれば踏み出せる。それは仕事でも言えるのではないでしょうか。嫌いなことは、経験値が半分しか得られない。自分の中にある『好き』は誰でも表現していい権利があります。


ぜひ『好き』なことを磨いてください。『好き』で自分のことがちょっと好きになれるはずです。世界を広げましょう。



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