126:良い豚小屋・悪い豚小屋 そんなの人の勝手
・noteを活発的に更新し始めたわりと最初の方に綴ったものの、出すのが怖くて温めてしまいナンバリングが3桁を越えてから満を持して出したこの記事は、やはり自分の友人たち数人は思うところがあったようである。
・今回はそんなお声に対するひとつのアンサー。
・その中でも「豚小屋という言葉を使うのは強くないか?」という議論があり、そこに関わる補足が一番わかりやすいと思ったので、ありがたく拝借する。
・強い言葉を使うと、弱く見えるらしい。
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・ちなみに「豚小屋」という言葉は『本気でFIREをめざす人のための資産形成入門』というアーリーリタイアに成功した三菱サラリーマンによって記された書籍の中から引用した言葉である。
・さらに言うと、そのような言葉を使う自分の思考の論証としては、新自由主義へのアンチテーゼである。
・この記事でもほんの少しだけ触れた。
・根拠があるからなんだという話ではあるが、自分が自分の身の回りの出来事のみから考えていることではない裏付け程度にはなるだろう。
・別に自分は鴨川デルタにたむろしているような京大生の哲学クンになりたいわけではない。お前らは一度社会を経験しろ。
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・もうひとつ前提を置く、というか貰った声への一旦の回答をする。
・というのもいただいた意見を総称すると、「世の中には今の会社の理念に共感したり、そうでなくとも今の生活に満足したりしながら働いている人だっているはずなのだから、そのように一括りにするのは違うのではないか」といったものであった。
・そのような声を聞いて、別に思うように生きたら良いのでは、というのがすべての意見に対して思ったところだった。
・君の人生は君のものだ。君の納得する人生を送れば良い。
・アダム・スミスも「各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体に利益をもたらす」といったことを「神の見えざる手」という言葉で形容していたので、それも間違ってないんじゃないか。
・その人が認知しているメタによって、社会の捉え方は変わる。
・とはいえせっかく記事としてnoteに綴るので、そのメタは本当に正しいものなのか、というのを今回は提起したい。
・自分への反駁意見というわけでもなかったが、「労働者階級は結局良い豚小屋か悪い豚小屋かを選ぶしかない」といった友人の声に対する自分の考えを残す。
・良い会社=良い豚小屋で、悪い会社=悪い豚小屋ではない。
・別に、楽しく働いている人の会社が良い豚小屋であるとも、自分の会社が悪い豚小屋であるとも思っていない。豚小屋はすべからく、等しく豚小屋だ。
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・「良い環境」「悪い環境」とは、その人の視点から見て語られるべきところであって、マジョリティがそう思いやすいから、という多数決で語られるべきところではない。
・むしろ自分はマジョリティが粗悪だと思う環境にいたからこそ、このような考えに出会えた。
・自分が奴隷であることに気づけた。
・だから、下手に充足してしまう環境にいると、奴隷であることに気づけなかった可能性もあったかもしれない。
・奴隷としての生活の中で、漫然と”自己実現”を果たしていたのだとしたら困る。
・労働者階級において自己の実現などできないのだ。
・誰かに与えられた環境の中で賃金によって働いているという事実に気づけぬまま、奴隷であることに気づけぬまま、”自己実現”とやらに向かって日々を送る。
・それは見事、奴隷としての本懐を遂げていることになる。
・だから、自分から見た時にはむしろ悪い会社こそが良い豚小屋で、良い会社こそ悪い豚小屋なのではないか、と感じた。
・それはそれで別に自分の視点であって、人によって良い・悪いは異なるだろうが、ただ一つだけ言えることは、会社は豚小屋であるということである。
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・ちなみに自己実現とまではいかず、悪くない生活を送っているので良いのではないか、という論に関しても、疑問符を打ちたい。
・部品を作る部品であることに自覚を持っていたとしても、その生活に充足しているのであれば、それは同時に身近でたやすい欲に溺れていることの証明にもなる。
・身近でたやすい欲に溺れることの何が悪いのだ、と言われたら、それはそこまでの人間でしかないのだな、と思うだけだ。
・ただの開き直りじゃん。
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・「106:奴隷人間積み木理論」は途中から感情に任せて書き殴ってしまったのでわかりにくくなったかもしれない。
・が、この記事において言及したかったところは、日本社会で生きる人間がホワイトワーカーであってもブルーワーカーであっても、サラリーマンであってもフリーランスであっても、正社員であってもフリーターであっても────なんであったとしても労働者であるのならば、それはカンボジアで水汲みすることを生業としている人たちとやっていることは変わらない、といったことである。
・会社なり顧客なり市場なりに指示されたことをやっているだけに過ぎないのでは?
・だから豚小屋と形容したのである。
・仮にもしそこで何かを生み出せたとしても、それは会社の持つ資産を使って成し遂げたことであって、君の力では無い。
・豚だって、餌を貰えば糞を生み出すことくらい容易い。
・だから偉そうにするな、という話だ。ソフト面での環境が異なるというだけで、全員その社会に囚われている奴隷だ。
・その奴隷がいるから社会が回っているのではないかというお声もいただいたが、それに関してはありがとう、といった次第である。
・奴隷たちがいるおかげで、自分は本当の自己実現へ向かうことができる。
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・様々な記事で何度も綴っているように、別に今の自分も同じく奴隷である。
・そしてこのnoteを読んでくれている人達を敵に回してまでも、このような内容を書きたくなるのだから、自分を受け入れてくれる社会はないのだろう。
・助けてくれと常々思っているが、助けを求める場所はなさそうだ。
・もがき苦しむしかない。それでいい。
