335:さらば花の都大東京
・サラリーマンになってから上京し、6年間過ごした東京を、今日、ついに去った。
・大学生というモラトリアムを過ごした関西へ凱旋する運びとなった。
・コツコツとアスファルトに刻む足音を踏みしめるたびに、俺は俺で在り続けたいと願う6年間であった。
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・初めて東京を訪れたのは8年前。大学3回生の頃、就職活動の一環でインターンシップに参加すべく、夜行バスでなけなしの生活費をはたいて向かった。
・インターンシップ先は虎ノ門ヒルズの中にあった。
・これが東京か。初めて訪れたその地のギラつき加減に、少し心が騒いだ。
・九州の片田舎で高校生までを過ごしていた自分にとって、東京で働くことなど全く想像できなかった。
・テレビや雑誌でしか見た事なかった景色の中に自分がいるのは、なんだかそわそわした。
・大学4回生になり就職先が決まった際には、その頃仲の良かった友人たちが東京へ向かう予定だったこともあり、東京での配属を強く希望した。
・無事、東京で働くこととなった。
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・勤務地は東京の赤坂ではあったものの、最初に住んだのは千葉県浦安市だった。そこに社員寮があった。
・新卒入社した会社の同期たちと共に、楽しく暮らした。
・コロナ禍という未曾有のパンデミックの中社会人としての道を歩み始めた自分たちは、自分はもちろんのこと、社会もかなり戸惑っていて、中々実務は始まらなかった。
・リモート研修という名のもと、定時が過ぎた瞬間同期たちと宅飲みなどすることで、大学生活の延長戦をしていた。
・アホほど楽しかった。
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・夏頃からようやく実務を始めた自分は、最初の頃はわりと真面目に精進していた。
・いち早く社会で活躍しよう。そう思っていた。
・その前、春頃の研修時には会社の一兵卒となることに違和感を若干覚えていたが、いざ始めてみるとまぁこれが社会人か…と、特に何も思うことなく労働に従事した。
・新卒1年目にして終電間際まで会社でパソコンをいじり、苦労を買って働いていた。
・しかしその年の後半になって、春頃に気づいた違和感を無視することができなくなった。
・自分は何のために生まれてきたのか?こんな社会の一歯車になるためだったのか?なぜ周りの人たちは“普通”に働けるのか?
・ある時、年齢は50歳くらいだが役職が何もついていない、「あいつは仕事ができない」と上司に評価されている先輩がふと呟いた言葉で、一気にやる気がなくなった。
・「仕事は辛いが家に帰っても妻と娘に煙たがられる。仕事終わりに飲む酒くらいしか、楽しみなんかないよ。」
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・この人はなぜ生きているんだ?なぜ生きれるんだ?そんな人生、いっそ死んだ方がマシじゃないのか?
・彼には申し訳ないが、最初にそのような感想を抱いた。
・しかしこのままでいれば、自分にもその可能性は存在し続ける。
・なんなら役職がついていないとは言え、経済の中心地である東京でそこそこの年収が貰える企業に属し家族を背負って働いている彼は、社会全体で見れば上澄みの部分には入る。
・自分の今の努力の行き着く先が、そこであったら、どうなるのだ。強い恐怖が芽生えた。
・どうしたら良いのかわからなくなった。だから、思いつくことを片っ端からやってみた。
・図書館で2週間ごとに10冊の自己啓発本・ビジネス本を借り(近くにあった図書館の最大貸出制限がこれであった)、読んだ。出勤・退勤の電車の中で、ずっと本を読んでいた。これを3ヶ月程度繰り返した。
・Youtuberになってみた。出勤・退勤の電車の中で台本を考え、動画編集をした。
・アフィリエイトブログをやってみた。出勤・退勤の電車の中で内容を考え、文字に起こした。
・アホほど倹約し、収入はボーナスも含めほぼ全て投資信託に回した。社員寮だったこともあり、固定費含め月にかかる出費は3万円程度に抑えた。
・いろいろな人に出会える場所にいった。探せば新しい出会いのあるコミュニティ活動は多くあった。
・一人旅もよくした。青春18切符が使える期間は、必ずどこかに行っていた。
・2〜3週間勉強すれば取れそうな、簡単な資格などもとりあえず取ってみた。
・もちろん休日も全てそれらに費やした。その頃の睡眠時間は平均して3〜4時間だった。
・どれも鳴かず飛ばずで、割と無駄な時間だった。
・半年くらい経ったのち、この活動量では埒があかないと思い、休職した。
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・おそらく精神的におかしくなっていたのだろう。休職して時間ができると、途端に全てができなくなった。
・娯楽すらできなかった。一年間、ほぼ寝ていた。申し訳ないが、その頃交際していた恋人も鬱陶しく思い、別れた。
・倹約していた反動か、浪費も激しくなった。
・サラリーマンとしての人生に不安を感じた自分は、おそらく他にやりたいことがあるのだと思っていた。だから、とにかくいろいろやってみた。
・しかしそれまで別に何の情熱もなく、怠惰な人生を送っていた自分には、今さら活動的になったところでやりたいことなどそもそもあるはずもなかったのだ。
・自分の人生など、輝くものではそもそもなかった。
・もうどうでも良いか。地元の福岡に戻って、慎ましやかな生活を送るか。その方が親も喜ぶだろう。
・休職のタイムリミットが近づいてきた。さすがに復職して戻ることなどできない。故郷に戻って、適当な企業で働こう。
・転職活動を始めた。
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・同時に、せっかく花の都大東京で生活を送っているのに、2年弱で諦めてしまって良いのか?ということも考えていた。
・怠惰だったとは言え、一応周りに流されて四年制の大学を出て大企業に就職したのだ。選択肢を広げてきたのに、一気に絞っても良いのか?時期尚早ではないか?
・悩んだが、東京の中小企業に転職した。
・無形商材の法人営業としての経験を積むことで、転職市場での価値を大きく下げないようにした。
・選択肢を絞るにはまだ早い。そう判断し、もう一度頑張ってみることにした。
・一応新卒1年目の時に買った苦労はそこまで悪くなかったようで、転職先の企業でもある程度仲間に入れて貰えるくらいには働くことができた。
・だが結局転職して1年くらい経つと、ぬるま湯に浸かったような感覚になり、ずっと入っているのはモヤモヤするが出ていくのも憚られる、という気持ちで労働に従事していた。
・うだつの上がらない日々が続いた。
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・そもそも「やりたいことを探す」というのは、かなり難しいのだ。並大抵の覚悟では到底できない。
・ずっと考え続けなければならない。ずっと鬱病を患い続けるかもしれない。満足する瞬間など来ない。
・それでも、最初に覚えた違和感を持ったまま生きることも、自分にはできない。「やりたいこと探し」を続けなければ、生きることはできない。
・まずはそれをきちんと探そう。内省し続けよう。そうしてこのnoteは始まった。
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・noteを続けていると、本を作る喜びに出会えた。そこでの活動は、下手な鉄砲を数打っていた社会人1・2年目に比べると、かなり楽しかった。
・本を作る。即売会に出る。本を渡す。次の即売会を申し込む。本を作る。即売会に出る。本を渡す。次の即売会を申し込む。
・一生涯かけて続けたい、と思うようになった。
・この瞬間だけは、自分にとっての東京は花の都であった。
・この瞬間で出会う人たちも、全て尊く見えた。
・胸を張って、やりたいことができた。
・自信を持って、帰りたい場所に凱旋する決意ができた。
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・喜怒哀楽の坩堝であった東京では、さまざまな出来事があった。
・これを携えて、関西でも活躍したい。しなければならない。
・もう今の自分にはできるはずだ。選択肢を狭めないだとか消極的な判断などしている場合では無い。
・6年間かけて東京で身につけた大きな自信を持って、新たな一歩を今日、踏み出した。
