195:エコノミックアニマルな私たち
・日本社会にいる人はみなエコノミックアニマルだ。
・令和になった今でも、サラリーマンとしての自分・その周りの環境を俯瞰した時、思う。
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・1960年代、高度経済成長期の日本人は利潤追求を何よりの行動原理としていたので、その経済活動を評価するといった文脈で、称賛の意としてこの「エコノミックアニマル」という言葉が海外から投げかけられていた。
・一方、1980年代、バブル景気に入ると、他国への進出を厭わない日本企業の無粋さが揶揄され、この言葉は蔑称とされるようになった。
・これはマクロな視点で日本人を見た時の話だが、「自分たち」という個々人に焦点を絞っても同じ事が言える。
・基本的に、自分たちの行動原理には「金が稼げるかどうか」みたいな思考が大半を占めているし、そういう人が世の中のマジョリティではないだろうか。
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・当たり前と言えば当たり前の話である。食っていくためには、金を稼がなくてはならない。
・もちろん、レイヤーによって捉え方はある程度異なる。
・例えば会社の上役な人になればなるほど所属企業の経営活動においてどう利益を出せるかという部分に執着したり、はたまた給料というのは雇用主が出すのは当たり前として、作業者としての使命を全うしている人もいる。
・昨今流行りのフリーランスとやらも基本的にはクライアントワークであり、発注者からお金を頂戴するため日夜仕事に勤しんでいる。
・お金が無いと生活ができないのだから、稼ぎ方を考えるのは当たり前だ。
・当たり前ではあるが、そこに囚われた者たちによって社会というものは形成されてきたので、昨今はロマンが少ないよな、と思う。
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・日本は大正くらいにサラリーマンという概念が出来てから、立身出世とはビジネスに従事してこそ果たせるものだとされてきた。
・令和においてもそこは変わらず、その形は会社員であれど経営者であれど個人事業主であれど、「良い生活」をするためにはビジネスにおいて名を馳せるための努力が必要だとされている。
・学校教育の中で、エコノミックアニマルとなるための修養を積んできた自分たちではあるが、そもそも「良い生活」とはなんなのか?という所を考える視点がどうも抜けている気がしている。
・「良い生活」=「多くの時間」+「多くのお金」
・このような図式を目指すべく、世の中の人は日々努力しているし、まぁある程度の諦念を持って楽な道を生きようとしている人もいるが、そもそもこの最適解とされている図式は各々にとって本当に正しいのだろうか。
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・金や時間などなくとも良いから、自分の中の芸術を放出したい。
・自分の生きた証を自分だけの力で解き放ちたい。
・少なくとも自分はそのように思いながら日々を過ごしているが、自分に限らず他の人間も少しはそう思ってくれても良いのではないだろうか。
・その芸術が、他者から見た時には芸術に見えなくとも良い。
・せっかく知能を発達させながら人類は発展してきたのだ。
・経済活動するだけの動物に成り下がらず、叡智を醸成し放出するような活動が最も尊いとされる世の中になって欲しい。
