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332:なぜ人間は本能より理由を選ぶのか

・自分たちは人によって濃淡はあれど、幸せとは何なのかをしばしば考える。

・人間は他の動物と違い、遺伝子に埋め込まれた本能的行動の前に、意味を考える。
・食べる理由。働く理由。生きる理由。

・本来ならそれらの理由は遺伝子的に、もしくは社会的に既に定められているはずである。
・自分の遺伝子を残さなければならない。そのためには、社会的に安定した生活を送る必要があるとされている。だから裕福な暮らしを目指し、きちんとした収入を得られる場所で働き、そのためだけに頑張れば良い──本来なら、話はそれで終わる。

・単純に考えればこれで良いはずなのだ。
・それなのになぜ人はそれぞれ異なる思想や主義を持ち、同じ問いに対してまったく違う答えを選ぶのだろう。

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・反出生主義とまで言うと少し意味が強くなるが、自分は子どもを残す気がない。
・それは母子家庭の中で育ったために感じた苦悩だとか、仮に子を成したとて満足する環境を与える自信がないだとか、まぁ理由を話せばいろいろある。

・という会話を先日友人としたのだが、彼は次のように返した。
・「理由など考える前に、人間は次世代に遺伝子を残すために存在しているので、それに適した生活をすれば良い。それ以外は茶番と捉えれる。」
・なるほど。ひとつの到達点として、筋が通っている。

・彼は聡明かつ優秀なので、諸々の選択肢があることを理解した上で上述した思想をもっていた。
・大企業のサラリーマンとして社会の荒波に揉まれながらも奮闘している彼は、おそらくいろいろな葛藤を経た上で、ここにたどり着いたのだろう。

・諸々をわかった上で資本主義社会における優等生ルートを誠実に歩んでいるのはある意味でシミュレーテッド・リアリティ的な思想だと思ったが、とは言え彼の話はかなり合理的なものだと受け入れることができた。

・では、自分はなぜ「子どもを持ちたくない」と考えるのだろう?
・人間である前に動物なのだから、本能から反した思考など、そもそもできるはずがなくないか?

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・と、疑問に思ったので、調べてみた。漁ってみた。
・これに関して思ったより多くの研究や思想があったが、現状結論的には次のようであった。

・人間は「生き延びるために意味を考える動物」になった。

・人間にとって重要なのは、その意味が正しいかどうかではなく、行動を選択できる程度に「納得できる理由」があるかどうかなのだ。
・この「本能のみに従わず意味を考える」という技術は、生存戦略として獲得された能力らしい。

・ということを、今回は進化論・認知科学・実存主義の三つからみてみる。

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・進化論──代表的には進化心理学らしいが──ここの分野での考え方としては「人類は他の動物と比べ『肉体的に弱い』ため、その代わりに『予測・想像・因果理解・物語化』という能力が進化した」というもの。

・その理由は単純に、「理由を考えられる個体の方が、生き延びたから」らしい。
・例えば「この実を食べると腹を壊した」とか「この行動をしたものは集団から排除された」のように、本能反射ではなく意味のある因果関係を理解できた個体の方が、生存確率が高かったとのこと。

・要は生存戦争の結果、人間は「本能で動く」より「本能の理由を説明できる」よう、進化していったのである。

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・次は認知科学の視点から。
・パッとさらっただけなので詳しいわけではないが、ここの分野では有名な研究としてマイケル・ガザニカという人の「分離脳研究」というものの中で提唱された「解釈者理論」というものがある。

・もともとはてんかん治療のため脳を分離する治療からわかったことだが、左右の脳を分離した患者のその後の行動を観測してみると、左半球部分は、「実行の状況に合わせて事後の答えを作り出す」ようにできていた。
・つまり、行動の結果・あるいは何かしらの出来事に対して、「出来事に意味をつけずにはいられない部位」が存在することがわかったのだと。

・本当はランダムに起きた事象であったとしても、必ず「もっともらしい理由」を後付けするように人間の脳みそはできているらしい。

・ここで重要なのは、理由を作るのはあくまで個々人なのでその正当性は問わないが、「意味があると感じられる方が精神は安定する」よう、人間の脳みそはできている、ということである。

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・以上2つはある意味人間性能的な話だった気もするが、それを踏まえて最後に実存主義という哲学の視点から。
・実存主義とはざっくり言うと、「世界には最初から意味などない。にもかかわらず、自分たちは、意味を見つけたがる存在である」ということに対して考える哲学分野の一つである。(今回の記事の内容に若干寄せた言葉にしているつもりなので、解釈違いに思う方は許して欲しい。)

・この実存主義という立場を取った2人の哲学者の考えが今回の記事の問いに接続しやすい。

・キルケゴールは、「人は意味を見つけるために絶えず自分と向き合わなければならない」と言った。
・つまり、「意味は与えられるものではなく、掴み取らなければならない」と捉えることができる。

・サルトルは、「人は自由という刑に処されている」と言った。
・楽をするための自由ではなく、選択を強いられる自由を、人間は持ってしまっているということである。

・いずれにしても、この分野において「自由」とは、「理由を選び、説明を求め続けること」であって、本能がそこに答えを与えてくれるわけではないことを、この実存主義という立場は示している。

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・と、いろいろをレファレンスして書き出してみると、人間は土台として「本能より意味・理由を考える方を優先させる性質を持つ動物である」ことが理解できた。
・とすると、現代社会では昔に比べて選択の自由がかなり広くなっているので、人によって異なる思想や主義を持っているのは何らおかしくない。

・今回は自分の「子を持ちたくない」というのを記事の始まりとしたが、それは持たない選択ができる社会であるのが前提のもと、人間は理由や意味を先に考えて選択を行うため、そのような思考に至るのは現代人としては正常なようである。
・人間は、例え「子を持つこと」が本能であっても、それに反した選択をするのは、理由を作ってしまえばできる動物なのである。

・なるほど。自分の疑問はある程度解消された。

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・疑問は解消されたが、人間は意味を考えることができるようになった代わりに、理由なしに生きることができなくなったということも同時に学んだ。
・少し苦しい生き物な気がする。

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