290:知識なき批評家の蔓延る現代
・いろいろなところで百万回は語られているテーマだと思うが、普段SNSを眺めていたり、またそこまで距離の近くない他人と話していたりすると、どうしてもこれに関して考える時間が多くなる。
・全員黙っとけよ、と思う。
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・主にTwitterのリプライ欄、Youtubeのコメント欄で言いたいことを言っている人は、何様なのだろう。
・人・政治・作品などが自分に都合の良いものに思えなければ、顔を隠して石だけを投げる。
・匿名性を利用して言いたい放題やっている人間の、行動原理が理解できない。
・駆け出しのアーティストが大口叩いてリリースした曲がチンケだと罵る。
・何かを変えたくて活動を始めた配信者に、偉そうにアドバイスをする。
・いろいろな障壁を経て世に放たれた映画に、文句をつける。
・上述のようなものを見るたびに、じゃあお前は何者なんだよ、と問いたくなる。
・好きじゃなかったら好きじゃなかったで、黙っていればよくないか。
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・批評はもはや知識や洞察の営みではなく、参加型の娯楽になった。
・ただの消費者である人たちは、発信している側がどんな過程を経てそれを出すに至ったかどうかまで思考がいかないのだろうか。
・知ろうとすることよりも断じることの方が手軽になって、語ることがほとんど衝動と変わらなくなっている。
・「匿名性」という便利な仮面が、その人を軽くしているのだろう。
・そしてSNSの発達した現代においては、その批評にある本質的な考えよりも反応速度の方が重視され、誠実さよりも共感の方が価値を持っている。
・本来言葉は、人の知性さや誠実さを映す鏡だった。アリストテレスは「言葉は人格の延長である」と語り、ハーバーマスは「誠実な対話が社会を支える」と説いていた。
・言葉の精度は、その人の思考の深さを表す指標だった。
・今は、その言葉の価値が拍手の数で決まる。
・価値の媒介が、一段下がった。
・思考が軽んじられる世の中になった。
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・対象を理解する努力を放棄しながら、発言の権利だけを享受する態度が増えた。
・「誰が正しいか」ではなく「誰が目立つか」によって評価が下される世の中になった。
・本来の批評とは、知識と責任を共有する対話であるはずだ。理解するために時間をかけ、語る前に沈黙し、他者と世界を共に考える知的な作法だ。
・だが現代のSNS社会───いわば擬似公共圏においては、早さが正義となり慎重さは弱さと見做されるのだろう。
・こんな世界でどう生きて行けば良いのだ。
・くだらない。
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・考えすぎて内容がわけのわからない方向に進んでしまった。
・要は、世の中のアンチは生産する側の苦しみを知らない癖によくいろいろな罵倒ができるよなぁと思い、それがすごくむかつく、と言いたかっただけなのだ。
・アンチをするためには、その対象をきちんと知らなくてはならない。
・自分の掲げる「アンチ社会」で最も守らなくてはならない信条である。
・とりあえず歌う自己啓発本と名高いUVERworldのこの曲でも聴いてください。
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