映画レビュー『国宝』
遅ればせながら『国宝』を観てきたのでレビューという名の感想を書いていく。
公開して1ヶ月経っているのでネタバレ前提で書いていくのでそのつもりで読み進めてください。
あらすじなんかも書きません、本当に鑑賞した人間が書く感想文として読んでいただければ幸いである。
そして主演ふたりのことを三代目とシュン坊と呼びます。
人の名前覚えるの苦手やねん('ω')
この物語を見ていて、光と闇とかコインの裏表とか考えていたけど違ったわ。
このふたり、マラソンの同伴者だ。
元々ヤクザ者の一人息子の三代目と、将来を約束されたシュン坊、ふたりにとって歌舞伎という道を走っているランナーでそれぞれ走る速度があったんだろう。
というか、走る速度というより環境か。
シュン坊がこじれた原因は間違いなくオヤジ。
ただ、三代目が歌舞伎の世界で生き残るためには箔を付ける必要があったのは事実。
そんな環境で生きるためにふたりはお互いに地獄を見て、それでも抜け出すことのできない役者としての性が見ている側からも地獄でした☆
ただ、シュン坊の返り咲きに関しても実は三代目が週刊誌にすっぱ抜かれないとあり得なかった地獄もある。
ヤクザの一人息子が策略を用いて跡取りを追い出した、そんな図式が浸透したから今まで消息不明だったシュン坊がすんなり戻ってこれたという流れがある。
どこまでも一緒に走れないふたりの速度が重なったのは、前国宝の気まぐれだろう。
まぁ、世間の流れが三代目の出自を忘れたことや、おそらく仕切りをしてた駆け落ち娘の父親が退いたという時風があって流れを読んだんだと思う。
そんな兄弟分の足並みが揃ったのもつかの間、今度はシュン坊が親父と同じ糖尿病で足を切ることになる。
そして最後の舞台として選んだのは袂を別った演目。
すまん、すっ飛んでて題名わからん。
そんな中糖尿病の悪化により、舞台上でシュン坊は他界してしまう。
その状況を隠して舞台に上がっていたであろうシュン坊と、そのことに気付きながらも止めずに芝居を続けた三代目。
役者という生き物の愚かさが生々しく描かれていた。
この公演を止めてしまったら、もう二度と共演できなくなってしまうからね。
そして最後、三代目は国宝として認められることになる。
ここでインタビュアーが言った言葉は吐き気を催すとともに人間の愚かさを表していた。
「異例の速さで国宝に認定された人生は、まさに順風満帆」
この言葉は実に人間だよ。
ここからはこの国宝を見て、私が感じてしまった地獄。
特に主演である吉沢亮さんへの地獄。
それは国宝ではないのに国宝を演じなければならない地獄。
この表現は吉沢亮さんを貶めるものではない。
ただ、事実として。
国宝としての技量は絶対に無い、という事実。
それはそうだろう。
物心付く前から芸事を磨き続けてその上で限られた者のみが辿り着ける場所。
どれだけ稽古をしたとしてもその場所にいないのは客観的事実である。
しかし、最後に「国宝」として舞を演じなければならない地獄。
小説ではいくらでも誤魔化せることでも実写ではそうはいかない。
ただ、多くの観客はその事実を忘れて感動しているはずだ。
それはそこまでの流れを知っているから。
三代目がどれだけ犠牲を払って「国宝」に至ったかを知っているから。
詰まるところ、だ。
芸術に絶対はなく、観客の主観によりいくらでも下駄を履くし、奈落へ下げられるということだ。
この考えはもしかしたらあまりに穿ち過ぎていて、侮辱になるかもしれない。
ただ役者という生き物はその事実を覚えておかなければならない。
演技は、観客の心によって決まるという事実を。

