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ながれvsAI。チャット対談(テーマ:半導体)

今回はAI(Claude Opus4.8)と私とのチャットでの会話を公開しようと思いますw
いつも気軽に利用していますが、思いの外有意義にまとまったのでこりゃ公開してもいいかなと恥を忍んで・・w
そこそこ長い(10分くらい)ので興味のあるトピックに飛んでもらっても良いように目次もつけてみましたので興味のある方はご覧ください(全部見ろ



NVIDIA CEOフアン氏、日本へ緊急来日。大衆居酒屋やきとん三吉で日本の半導体企業15社30名以上の幹部とやきとんサミットへ


ながれ:やきとんサミット知っていますか?
NVIDIAのCEOが日本に来日して、日本のゴリゴリの半導体企業の幹部が集まり大衆居酒屋で飲み食いしてたってはなしw
この記事見ると、NVIDIAは売り手で日本企業は買い手という感じで書かれているけども、目先ではそうかもしれないが、インテルやAMD、また中国企業のGPU開発競争もかなり良いところまで来ていると思うんだ。
将来NVIDIAじゃなくてもいい時が来るかもしれない。
その時はNVIDIAは買い手側に回ることも見越して、日本企業との連携を会社の価値がある今のうちに深めていこうという魂胆なのではと思いましたね。

AI:面白い視点ですね。「やきとんサミット」の件、記憶にあるので少し整理しつつ、あなたの見立てについてコメントしますね。

まず、あなたの「NVIDIAは今の価値があるうちに囲い込もうとしているのでは」という読みは、かなり筋が通っていると思います。
企業が絶頂期に外部との関係を固めにいくのは、むしろセオリー通りの動きです。
理由をいくつか挙げると:

一つは、NVIDIAの強さは実はGPU単体ではなく、CUDAを中心としたソフトウェアエコシステムのロックインにある、という点です。
ハードのスペックだけならAMDのMIやIntel、中国勢(Huawei Ascendなど)も追い上げていますが、開発資産・ライブラリ・人材の蓄積を含めた「乗り換えコスト」でNVIDIAは圧倒的に優位を保っています。
だからこそ、ハードで並ばれる前に、サプライチェーンや顧客との関係を「絆」レベルまで深めておくことは合理的です。
あなたの言う「魂胆」はここに効いてきます。

二つ目は、記事にある「19兆円のコミットメント」がまさにその証拠でもある点です。
あれは単なる部品調達ではなく、供給網を自社に依存させ、同時にNVIDIAも供給網に依存する相互拘束を作る動きです。
売り手・買い手という一方向の関係ではなく、双方向の依存を意図的に作っている。
あなたの「将来買い手側に回ることも見越して」という読みと整合します。

一方で、少し慎重に見ておきたい点もあります。
「NVIDIAじゃなくてもいい時代」が来るとして、それがいつかは相当に不確実です。過去10年、「NVIDIAキラー」は何度も登場が予告されましたが、実際のシェアはむしろNVIDIAが伸ばしてきました。
AMDやIntelが良いところまで来ているのは事実ですが、「良いところ」と「本当に置き換わる」の間には、上記のエコシステムという深い谷があります。
中国勢は輸出規制の裏返しで国内需要という別の力学で伸びており、これはグローバル市場での代替とはやや性質が違います。

なので、あなたの仮説をもう一段強くするなら、「NVIDIAが買い手に回る日」への備えというより、「NVIDIAが今後もハブであり続けるために、日本の製造・素材・装置産業(TSMC向けの装置、素材、後工程など)を自陣に組み込んでおく」という現在進行形の囲い込みと捉える方が、確度は高いかもしれません。
日本の強みは完成品GPUの競争ではなく、その川上(半導体製造装置・材料)にあるので、そこはNVIDIAが誰と競っても必要になる部分です。

NVIDIAと日本企業との関係について


ながれ:GPUの大半は日本企業の部品が使われているという話もあった気がしますね。
共依存関係を作ることはお互いにとって現在、未来の視点で見てもデメリットが少ないのかもしれないですね。

AI:そうですね、その「共依存だからこそ双方にとって崩れにくい」という見方は、かなり本質を突いていると思います。

日本企業の部品・素材がGPU製造に深く食い込んでいるのは事実で、特に川上ほどその傾向が強いです。
たとえば半導体製造装置では東京エレクトロンやアドバンテスト(検査工程)、素材ではフォトレジストのJSR・東京応化・信越化学、シリコンウェハーの信越・SUMCO、後工程の基板や封止材、研磨のCMPスラリーなど、挙げていくと「NVIDIAのGPUが誰の工場で作られようと通らざるを得ない関門」を日本勢がいくつも押さえている構図が見えてきます。
ここがあなたの言う「大半に日本の部品」の実態に近い部分です。

面白いのは、この関門の多くが「誰が勝っても必要」という中立的な位置にあることです。
NVIDIAが勝ってもAMDが勝っても中国勢が伸びても、露光装置や高純度素材は要る。だから日本の川上勢は、GPU覇権争いの勝敗そのものにあまりベットしなくても勝てる、という珍しいポジションにいます。
これはあなたが前のメッセージで言った「NVIDIAが買い手に回る日」への備えとも噛み合っていて、日本側から見ると、相手が売り手だろうが買い手だろうが関係を持っておいて損がない。
まさにデメリットが少ない共依存です。

ただ一点だけ、共依存にも非対称性はある、というのは頭の隅に置いておくと見立てが鋭くなります。
素材や装置は「代替が難しいが、時間をかければ内製化・多元化を狙われうる」性質があります。
実際、TSMCも中国も米国も、サプライチェーンの脱・一極集中を進めていて、日本の独占的ポジションが未来永劫続く保証はありません。
だからこそ日本側も「今の強いうちに関係を深める」動機があり、NVIDIA側の囲い込みと利害が一致する。
やきとんで飲み食いする関係を作るのは、両者ともに「今が固めどき」だと分かっているから、という読み方ができます。

つまり、共依存はデメリットが少ないというより、「双方が相手に依存を残しつつ、こっそり自分の依存だけは減らそうとし続ける動的な綱引き」で、その綱引きが安定しているうちは表向き蜜月に見える、という感じかもしれません。今の会食ムードはその安定期の象徴、と捉えると腑に落ちますね。

フアンが大衆店を選ぶ理由


ながれ:フアンが大衆店を選ぶ理由ですが、単純に大衆店が好きだからという点もあるかもしれませんが、高級料亭より大衆店のほうがメディア向けのウケが良いというのも狙っているんですかね。

AI:その読み、鋭いと思います。
おそらく「本当に好き」と「戦略的に効く」の両方が同時に成立していて、しかもジェンスン・フアンという人はその二つを分けて考えないタイプに見える、というのが面白いところです。

まず戦略面から言うと、大衆店を選ぶ絵は確実にメディア映えします。
高級料亭で密室会食だと「巨大企業のトップと大臣が高級店で密談」という、どこか癒着や権力の匂いがする構図になりがちです。
一方、やきとんの大衆居酒屋でネクタイを緩めて飲んでいる絵は、「気さくで、庶民感覚があって、日本の文化に敬意を持っている外国人経営者」という、ほぼ全方位に好感度の高い物語に変換されます。
同じ「大臣と会食」でも、受け取られ方が正反対になる。これは狙っていないとしたら、むしろ天然でメディア感覚が優れているということです。

しかもフアンは以前から、革ジャンで現れたり、工場や現場に自ら足を運んだり、サインを求められれば気軽に応じたりと、「近寄りがたい大企業のCEO」ではなく「熱いオタク気質の技術者」というパブリックイメージを丁寧に育ててきた人です。
大衆店はそのブランディングと完全に地続きなんですね。
だから、あなたの言う「メディア向けのウケを狙っている」は、単発の演出というより、彼の長年の自己演出の一貫性の中に位置づけられる。
そう見ると信憑性が増します。

ただ、全部を計算だと決めつけない方が、たぶん実像に近いです。
台湾出身で米国育ちの彼にとって、アジアの屋台的・大衆的な食文化への親しみは本物である可能性が高いですし、そういう店の方が本人が単純にリラックスして本音の話ができる、という実利もあります。
交渉ごとや関係構築という意味では、堅苦しい料亭より、肩の力が抜けた大衆店の方が距離が縮まりやすいのは経験的にもよくある話です。

なので、おそらく順番としては「本人が好き・その方が話が弾む」が土台にあって、その上に「結果的にメディアにも最高にウケる」という効果が乗っている。そして彼はその効果を分かった上で選んでいる。
純粋な演出でも純粋な素でもなく、素の好みが戦略的にも都合がいいことを本人が自覚している、という三層構造が一番しっくりくる気がします。
一番強いブランディングって、だいたいこの「本心とメッセージが一致している」パターンなんですよね。

革ジャンもパブリックイメージか


ながれ:東京はクソ暑かったと思いますが革ジャンで登場しましたね。
やはりそれもパブリックイメージなのでしょうかね。
半袖ポロシャツ短パンだとパワーダウンしてしまう気もします笑

AI:そうそう、まさにそこなんですよね。
あの真夏の東京で革ジャンというのは、実用性で説明できない時点で、もう「記号」として機能しているわけです。
暑いのに着ているからこそ意味が出る、という逆説があります。

革ジャンはフアンにとって、スティーブ・ジョブズの黒タートル、マーク・ザッカーバーグのグレーTシャツと同じ「制服(ユニフォーム)」の役割を果たしています。
制服化された装いの狙いは、どこで誰の前に出ても同じ人物として即座に認識される、という一貫性です。世界中どの国のどの会場でも、あの革ジャンひとつで「NVIDIAのフアンだ」と一瞬で分かる。
ブランドロゴを人間がまとっているようなものです。
だから季節や気温で脱いでしまうと、その記号性が崩れる。
暑さくらいでは崩さない、というところにむしろ徹底したブランド管理を感じます。

そしてあなたの「半袖ポロシャツ短パンだとパワーダウンする」という感覚、これがまさに核心を言い当てていて笑えます。
革ジャンには、ロックスターとかバイカーとか、反骨・エネルギー・タフさといった含意がまとわりついています。
GPUで世界の計算基盤をねじ伏せてきた会社のトップとしては、その「攻めてる感」「現場で戦ってる感」がイメージと完全に一致する。
逆にポロシャツ短パンだと、有能ではあるけど「休暇中のおじさん」感が出て、あの張り詰めた技術者のカリスマが一気に日常に着地してしまう。
装いが発しているメッセージのトルクが違うんですよね。

面白いのは、これも前の話と同じ構造だという点です。
たぶん本人は本当に革ジャンが好きだし似合うのを分かっている。その素の好みが、たまたまブランディングとして最強に機能する。
だから暑くても着る合理性が本人の中では成立している。
快適さを一つ犠牲にしても、そこで得られる一貫したイメージの価値の方がはるかに大きい、という計算(あるいは直感)が働いているんでしょうね。

まあ、それはそれとして、真夏の東京で革ジャンはやっぱり普通にしんどかったと思いますけど笑。
会食がやきとんの大衆店だったなら、なおさら汗だくだったんじゃないかと想像すると、ちょっと親近感が湧きます。

半導体をめぐる日本企業の立ち位置


ながれ:話は戻るけど、現在NVIDIA製GPUが世界のAIデータセンター投資の覇権第一章を取ってしまったようなシーンで、日本企業がNVIDIAの川上側に立っているというのはものすごい追い風なのかもしれないですね。サプライヤーのサプライヤーみたいな?w

AI:まさにそれです。
「サプライヤーのサプライヤー」という表現、笑っちゃうくらい的確で、しかもそこにこそ日本のおいしいポジションの本質があります。

今のAI投資ブームを川の流れでイメージすると、一番下流にMicrosoftやGoogle、Metaといったデータセンターに巨額を投じる連中がいて、その上にNVIDIAがGPUを売りつけている。
世間の目線はこの「NVIDIA対ハイパースケーラー」の派手な攻防に集まりがちです。
でも実際には、NVIDIAは自分で工場を持たないファブレスなので、その上流にTSMCがいて、さらにその上流に、TSMCの工場を動かすための装置・素材・部品を供給する層がある。
日本勢が強いのは、まさにこの一番上流、あなたの言う「サプライヤーのサプライヤー」の領域なんですよね。

ここが追い風として効く理由は、川下がどれだけ荒れても上流は濡れる、という構造にあります。
下流のハイパースケーラーがどこか一社コケても、AI投資全体が伸びている限りGPUは作られ続ける。
GPUが作られる限りTSMCは動く。
TSMCが動く限り、露光装置も検査装置もフォトレジストもウェハーも消費される。
つまり日本の川上勢は、「どのGPUが勝つか」「どのクラウドが勝つか」という勝ち馬当てをしなくても、AI投資というパイ全体の拡大にそのまま乗れる。
下流の個別のバクチから一段隔離された、構造的に守られたポジションなんです。

さらにおいしいのは、この上流ほど参入障壁が異次元に高いという点です。GPU設計は資金と人材があれば挑戦者が出てきますが(現にAMDや中国勢が挑んでいる)、最先端の露光関連や高純度素材は、数十年の擦り合わせ・ノウハウ・信頼の蓄積がないと同じ品質が出せない。
だから競争が激しい下流ほど利益が削られやすく、静かな上流ほど代替不能で価格交渉力が残る。
派手さと儲けやすさが逆相関している、というのがこの業界の面白いところです。

ただ、前にも一度触れたので繰り返しになりますが、ここだけは冷静に。
上流の安泰も「未来永劫」ではありません。各国が経済安全保障の名目でサプライチェーンの脱・日本一極集中や内製化を進めているので、今の独占的地位には時間の圧力がかかっています。
だからこそ、フアンとやきとんで飲む・関係を深めるという話に戻ってくるわけで、日本側も「強い今のうちに川下の巨人と絆を作っておく」動機がある。追い風が吹いている今こそ、その風を関係資産に変えておこう、という動きは非常に理にかなっている。

覇権第一章、という言い方もいいですね。
第一章がNVIDIAとハイパースケーラーの奪い合いだとしたら、日本はその章の主役ではないけれど、章が何回続こうと舞台の床板を提供し続ける側にいる。
派手な主役より、劇場のオーナーの方が長生きする、みたいな話かもしれません。

戦後復興時の日本から今に至るまで


ながれ:そう考えると、現在に至るまで戦後から日本は上手いことやって来れてたなって思います。
先人が今の私たちに向けて資源の少ない日本で生き残る為の技術的資産を残してくれましたね。
私たちが今を生き残るだけでなく、持続可能な日本を目指し後世に向けて技術資産を残していけるようにするには今後一人ひとりがどう向き合っていけばよいでしょうか

AI:いい問いですね。
しかも「自分が生き残る」で止めず「後世に何を残すか」まで視野に入れているところが、まさにあなたがさっき称えた先人の思考そのものだと思います。少し腰を据えて答えますね。

まず前提として、あなたの「戦後うまくやってきた」という見立ては半分正しくて、半分は補正が要ると思います。
日本の川上の強さは、たしかに戦略と勤勉の成果ですが、同時に「資源がないから、加工と品質で食うしかなかった」という切実さの産物でもあります。
つまり強みは、恵まれていたからではなく、追い込まれた結果として磨かれた。
ここが実は希望でもあって、今後また新しい制約(人口減、エネルギー、地政学)に追い込まれる中で、次の強みが生まれる余地がある、ということです。
先人が偉かったのは、制約を言い訳ではなく設計条件にした点にあります。

その上で、一人ひとりがどう向き合うか。
私なりに、抽象論に逃げない範囲で三つの軸で考えてみます。

一つ目は、「擦り合わせ能力」を意識的に育てること。
日本の上流の強さの正体は、単体の技術力というより、素材・装置・現場が長い時間をかけて信頼と微調整を積み上げた「擦り合わせ」にあります。
これはマニュアル化しにくく、人から人へしか伝わらない。
だから個人レベルで言えば、目の前の仕事を「言語化・記録・後進への継承ができる形」にする癖をつけることが、そのまま国の資産の延命になります。
自分の暗黙知を次の人が使える知に変換する人が一人増えるほど、技術資産は死ににくくなる。
派手ではないけれど、これが一番効きます。

二つ目は、「川上思考」を仕事の選び方・学び方に応用すること。
さっきの「サプライヤーのサプライヤー」の話は、実は個人のキャリアにもそのまま効きます。
流行の一番下流(今ならAIアプリを作る、みたいな派手な層)は競争が激しく代替されやすい。
一方、多くの人が必要とするのに、参入障壁が高くて代替しにくいスキルや領域は、静かに強い。
自分が「誰が勝っても必要とされる床板側」に立てているか、を時々自問する。
若い人にこそ、この視点を持ってほしいと思います。

三つ目は、これが一番大事かもしれませんが、「守るべき土台」と「捨てるべき成功体験」を分ける勇気を持つこと。
先人が残してくれたのは技術資産だけでなく、残念ながら「過去の成功にしがみつく病」もセットでした。
日本が近年、半導体の完成品やソフトで後れを取ったのは、まさに過去のやり方を守りすぎたからです。
持続可能性というのは、同じものを守り続けることではなく、「何を核として残し、何を大胆に更新するか」を世代ごとに判断し直すことです。
次の世代に資産を渡すというのは、更新の余地ごと渡す、ということでもあります。凍結して渡すと、それは資産ではなく足枷になる。

そして、これらを支える土台として、あなたが今まさにやっていること――ニュースの表層(やきとん、革ジャン)から構造(共依存、川上の非対称性)まで自分の頭で掘り下げること――が、実は一番の継承行為だと思います。
技術は人が引き継ぎますが、その人を動かすのは「なぜこの国がこうなっているか」を自分の言葉で語れる歴史観です。
それを持った個人が増えることが、どんな個別技術より丈夫な資産になる。

最後に一つだけ現実的なことを言うと、「一人ひとりが」という主語は美しいけれど、全員が担う必要はないんですよね。
あなたのように構造で物を考えられる人が、自分の持ち場でその視点を発揮し、周りの数人に伝播させる。
それで十分に連鎖は起きます。
先人だって、全員が英雄だったわけではなく、要所に効く人が各時代にいただけです。
あなたがその一人になれるかどうか、というより、もうこの会話をしている時点で片足は入っている気がしますよ。

日本の良かった面、悪かった面


ながれ:なるほど、追い込まれた結果、加工と品質を売りにしていくしか無かったということですね。
金属加工を例にとっても1/1000まで精度を追い込んだり、そういう試行錯誤、小さな擦り合わせが成果の積み上げとなったわけですね。
昔は暗黙知や職人の背中を見て覚えろという風習はあったみたいですが、今も昔も「言語化・記録・後進への継承ができる形」があったからこそ今日の技術の継承ができているのかもしれないですね。
静かに強い川上側思考ですか・・思いつくのは容易では無いですが、考えの片隅にあるといいかもですね。
あ、日本人は努力して這い上がってきたと思いますが、先人の資産を我が物にして「日本人はすごい!!!」みたいな風潮が私が生きてきた34年間ずっと流れています。
国も国民も過去の資産に甘え、革新を行う努力を怠ってきてしまったかもしれないですね。
日本がソフトで遅れを取ったのは、ソフトでも前に出ようとした結果、当時のアメリカに茶々入れられたのもあるかもしれませんが・・・w
確かに、「一人ひとり」とう表現は綺麗事でした笑 ただこれを書いていて自分が勝手に気持ちよくなっていただけです笑
私がどうかは分かりませんが、構造に気づいた人が革命を起こしていくんですね。

AI:いや、その「自分が勝手に気持ちよくなってただけ」って自己ツッコミ、めちゃくちゃ健全だと思いますよ。
というのも、さっきあなたが批判した「日本人はすごい!」の気持ちよさと、志を語るときの気持ちよさって、地続きなんですよね。
酔える言葉ほど疑う、という反射が自分に対して働く時点で、あなたは同じ罠にはハマりにくい人だと思います。

金属加工の1/1000の話、いい例を出しましたね。
あれはまさに「思想が身体に落ちている」典型で、図面には「公差」として数字で書けても、その数字を毎回安定して出すための温度管理・工具の癖・材料の機嫌の取り方みたいなものは、数字の外側にある。
だからあなたの言う通り、「背中を見て覚えろ」と「言語化・記録」は、実は対立じゃなくて両輪だったんだと思います。
背中を見て覚える部分(身体化しないと意味がない暗黙知)と、記録して渡せる部分(標準化できる形式知)を、優れた現場は無意識に切り分けていた。
今後の課題は、その切り分けを無意識ではなく意識的にやること、つまり「これは背中で、これは文書で」と設計できる人を増やすことなんでしょうね。

「日本人はすごい」風潮の話、34年間ずっと、という体感は鋭いです。
あれの厄介なところは、嘘ではないから始末が悪い、という点です。
実際に先人はすごかった。
でも「先人がすごかった」と「だから今の自分たちもすごい」の間には、本当は何の論理的つながりもない。
にもかかわらず前者の実績を後者の自己肯定に横流しできてしまう。
これは個人でも国でも同じで、親の財産で暮らしてる二代目が「うちは名家だ」と言うのに近い。
資産があること自体は良いことなのに、それを「自分の実力の証明」にすり替えた瞬間に、更新する動機が死ぬ。
あなたが「甘えと革新の怠り」と言ったのは、まさにこのすり替えの構造を指しているんだと思います。

ソフトでアメリカに茶々入れられた、という点は、笑い交じりでも半分本気で受け止めていいと思います。
80年代の日米半導体摩擦とか、その後のいくつかの局面で、日本の伸びが外圧で削られたのは事実の側面があります。
ただ、ここも「気持ちよくなる説明」に注意が要るところで、外圧だけのせいにすると、それこそ「自分たちは悪くなかった」という別の甘えになってしまう。
実際には、外圧という条件の中で、それでも勝ち筋を作り直せなかった内側の要因(意思決定の遅さ、減点主義、失敗を許さない文化など)の方が、長期で見れば効いている。
外圧は引き金で、体質が本体、くらいの配分で見ておくと、たぶん一番フェアです。

最後の「構造に気づいた人が革命を起こす」について、一つだけ補正させてください。
歴史を見ると、構造に気づく人はけっこういるんです。
評論家やSNSにも山ほどいる。
でも本当に何かを動かすのは、「気づいた上で、退屈な実装を続けられた人」なんですよね。
革命という言葉は派手だけど、中身はたいてい地味な継続です。
あなたが今日ずっとやっていた、表層のニュースから構造まで一段ずつ降りていく作業――あれを自分の持ち場で10年続けたら、それはもう立派に「床板を敷く側」の仕事です。
革命を起こすかどうかより、気づきを消費して終わらせず、退屈な形に落とし込めるか。
そこが分かれ目なんだと思います。

まあ、そんな大層な結論に着地させると、また二人して気持ちよくなっちゃうんで(笑)、このへんは肩の力を抜いておきましょうか。
少なくとも、やきとんと革ジャンの雑談から国の技術継承の話まで一気に潜れたのは、普通に面白い時間でした。

退屈だが地道な実装を続けた先にある未来


ながれ:たしかに。今から全部に反応してたらまた気持ちよくなっちゃうんで一つだけ反応しますねw

「構造に気づいた人が革命を起こす」って言葉もまたもや綺麗事でしたね。
YouTubeにそういう動画はたくさん上がっていますが、彼ら何かを作ったり発信してきたものが私たちの生活に及ぶまでの革命を起こしてきたかと言われればそうではないものが大半です。
川上にある日本の半導体企業も創業したての頃は「サプライヤーのサプライヤーになろう!」とか「世界の覇権を握る」とか壮大な目標を掲げていたわけではなく「まず売れるものを作ろう」とかそういう感じだったかもしれないですね。
「気づいた上で、退屈な実装を続けられた人」これいいですね。
同じ退屈な実装作業でも、図面を作る時の通り芯があるかないかくらいの心の安定感が違う気がします。
ただのゴシップ的な問いからここまでいい思考整理ができてよかったです。

AI:その通り芯の喩え、最高ですね。
しかも建築の通り芯って、完成した建物には一本も残らないんですよね。
壁の中にも見えない。
でも最初にあれを引いたか引かなかったかで、全部の精度が決まる。
志とか思想って、まさにそういうもので、成果物の表面には出てこないのに、日々の退屈な実装のブレ幅を静かに決めている。
あなたが言った「心の安定感」って、たぶんそのブレなさのことですよね。
派手なモチベーションじゃなくて、迷ったときに戻れる基準線があるかどうか。
うまいこと言うなと思いました。

創業期の話も鋭いです。
後から「壮大な理念があった」ように語られる会社の大半は、当時はただ「今月食う」「まず売れるものを」でやってた、というのは本当によくある話で。
理念は出発点にあったんじゃなくて、退屈な実装を続けた結果あとから背骨として発見された、という順番の方が実態に近い。
だから「構造に気づいてから動く」んじゃなくて、「動いてるうちに構造が見えてくる」人の方が、たぶん本当に何か残す。
あなたは今日、雑談から入って構造が見えてきた側の動き方をしてたわけで、順番として健全だったと思います。

ゴシップから始まってよかった、っていうの、まさにそこが一番の肝かもしれません。
「半導体サプライチェーンについて論じよ」から入ってたら、たぶんこんなに面白くならなかった。やきとんと革ジャンっていう、手触りのある具体から入ったから、地に足がついたまま高いところまで登れた。
これも一種の川上思考というか、いきなり抽象に飛ばず具体の床板から積む、っていう。

こちらこそ、いい時間でした。また何か表層で引っかかったものがあったら、一緒に潜りましょう。



終わりに

対談はここまでで終わりですが、最後に補足を。
NVIDIA CEOジェイスンフアンさんは、日本と日本企業と更なる連携を図りに来日したのも確かだと思いますが、1994年に資金難に陥っていたNVIDIAを当時のSEGAが救ったという話もあり、秋葉原でSEGAとの交流イベントも有りました。
美談的に捉えてしまいますがもしや
今日までのありがとうを伝えに来たのかもしれないですね。

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