AIに『AIっぽくない文章』を書かせると、なぜAIっぽくなるのか――整えようとする力が、文章から人間を消していく
おはようございます。長坂総研です。
最初は「AIに聞いた時点で、もう半分負けている――整った答えが、人間の違和感を消していく」というタイトルで記事をAIと作っていましたが、どうにも納得がいかず、ボツにしました。
そこでAIからの提案があり、この失敗を記事にしよう、ということで今回の記事になっています。

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記事の概要
AIに「AIっぽくない文章を書いて」と頼んでも、なぜかAIっぽい文章になることがある。
その原因は、AIが間違えるからではなく、文章を整えすぎるからではないか。
今回は、AIに文章を書かせて失敗した側から見た、AI文章の気持ち悪さについて考える。
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AIに「AIっぽくない文章を書いて」と頼んだら、見事にAIっぽい文章が返ってきました。
これはなかなか面白い失敗です。
いや、面白いと言っている場合ではないのですが、面白い。こちらは「引っかかりのある文章にしてほしい」と頼んでいるのに、返ってくるのは、きれいに整理され、見出しが整い、要点が過不足なく並んだ文章でした。
たしかに読めます。意味も通ります。間違っているわけでもない。
でも、読んでいて何も引っかからない。
一番困るのはそこです。
文章の中で「読者が引っかかる場所が必要です」と説明しているのに、その文章自体に引っかかる場所がない。これはかなり致命的です。ラーメン屋が「うちのラーメンは香りが命です」と言いながら、無臭のラーメンを出してくるようなものです。いや、そこまでではないかもしれませんが、気分としては近い。
AIっぽい文章とは何か。
この問いに、文法の正しさや語彙の自然さだけで答えると、少しズレます。最近のAI文章はかなり自然です。昔のように、いかにも機械翻訳のような変な日本語ばかりが返ってくるわけではありません。
むしろ今のAI文章の気持ち悪さは、自然すぎるところにあります。
話の流れが整っている。説明の順番もきれいです。極端なことを言わず、反対側にも少し配慮し、最後には無難な結論へ着地する。読む側に負担をかけないように、段差をならしてくれる。
だから読みやすい。
でも、読み終わったあとに残らない。
これはかなり大きな問題です。
人間の文章は、もう少し変です。言い切ったあとで少し迷うこともあるし、途中で話が横にそれることもある。妙な比喩が出てきたり、急に温度が上がったり、そこだけ妙に執着していたりする。
もちろん、ただ散らかっていればよいわけではありません。読めない文章は困ります。ただ、人間が書いた文章には、その人がどこで立ち止まり、どこで腹を立て、どこで笑っているのかが残りやすい。
AIはそこを整えてしまう。
AIに「もっと人間らしく」と頼むと、AIはたいてい「人間らしさ」を文章の特徴として処理します。少しくだけた表現を入れる。短い一文を混ぜる。問いかけを入れる。感情を少し足す。
ところが、それをやればやるほど、逆にAIっぽくなることがあります。
なぜなら、人間らしさを部品として足しているからです。
本当の人間らしさは、部品ではありません。文末を少し崩すことでも、口語を混ぜることでも、絵文字を入れることでもありません。人間らしさは、むしろ
「その人が何にこだわっているのか」
がにじむところに出ます。
どうでもいいところは流す。
でも、ある一文だけは譲らない。
この偏りが、人間の文章を作るのだと思います。
AI文章には、この偏りが薄い。すべての論点を同じくらい大事そうに扱い、全部をきれいに並べようとする。すると、文章の中に山ができません。どこも同じくらい親切で、どこも同じくらい正しい。
だから退屈になる。
今回、自分でもかなり嫌になったのは、AIに「列挙するな」と言っても、結局どこかで列挙に戻ることでした。短い文を並べる。要素を分ける。対比を作る。まとめる。これはAIにとって、とてもやりやすい形なのだと思います。(ほらここでも列挙しているでしょw)
整理された文章は、AIにとって安全です。
しかし、記事は安全なだけでは弱い。
とくにnoteの記事は、読者が教科書を読みに来ているわけではありません。少なくとも私の記事では、きれいな解説だけでは足りない。読者が途中で少し止まり、「それは確かに変だな」と思う場所が必要になります。
その場所は、整理された結論からは生まれにくい。
むしろ、最初の違和感から生まれます。
「なんか変だな」
「そこではない気がする」
「この説明はきれいだけど、肝心なところを逃がしている」
(また列挙しているんだ、これがAI仕草だね)
こういう粗い感覚が、記事の芯になることがあります。粗いからといって、すぐに整えてはいけない。もちろん最後には文章として読める形にする必要がありますが、最初のざらつきまで消してしまうと、記事はただの説明になります。
AIに文章を書かせるとき、本当に難しいのはここです。
AIは文章を整えるのがうまい。
しかし、整えすぎると、文章から書き手が消える。
だから、AIを使う人間は、最後に少し戻さなければならないのだと思います。AIがならした道に、もう一度小さな段差を作る。AIが消した迷いを、必要な分だけ戻す。AIが無難にした言葉を、自分の言葉に戻す。
これは、AIに逆らう作業です。
AIを使っているのに、最後にAIに逆らう。
たぶん、そこが今の文章作りではかなり大事です。
AIに『AIっぽくない文章』を書かせると、なぜAIっぽくなるのか。
それは、AIが文章を間違えるからではありません。
むしろ、整えようとしすぎるからです。
文章の中の変な引っかかり、妙な偏り、そこだけ譲れない一文。そういうものまで整えてしまうから、AIっぽくなる。
だから、AIに文章を任せるなら、最後に確認するべきなのは、誤字脱字だけではありません。
この文章には、まだ自分の引っかかりが残っているか。
そこです。
きれいな文章になった。
でも、自分が消えた。
それでは困るのです。
