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ロシア革命とフランス革命――未払いの歴史が国民に一括請求された事件

おはようございます。長坂総研です。

歴史では、違う舞台、違う駒で、同じ構造が現れてきます。
歴史を学ぶ意味もここにあります。

この流れはどこかで見たことがある。
そう感じるために歴史を学ぶ必要があります。

そしてそれは、現実の生活にも表れてきます。
今起きていることは、歴史において一回しか起きない特殊なことではない。

そう感じていただければ望外です。


花音です。梅雨が明けるのは毎年7月20日少し前です。

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革命とは、旧制度が返済しなかった負債を、国民に一括請求する出来事である。

王や皇帝が倒れても、財政、食料、軍事、土地、統治の問題は消えない。

革命は歴史の清算ではなく、未払いだった請求書が別の名義で届くことである。

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ロシア革命とフランス革命は、同じ事件ではありません。

フランス革命は十八世紀末のフランスで起きました。ロシア革命は二十世紀初頭のロシアで起きました。フランスは絶対王政と身分制社会の行き詰まりの中で革命へ向かい、ロシアは皇帝専制、土地問題、第一次世界大戦の疲弊の中で革命へ向かいました。

国も違う。時代も違う。社会構造も違う。

けれど、歴史が繰り返すとは、同じ出来事がもう一度起きることではありません。違う時代、違う国、違う言葉の下で、似た構造が戻ってくることです。

フランス革命とロシア革命に共通しているのは、旧制度が積み上げた負債が、革命によって消えたわけではないということです。

王が倒れても、財政は残ります。皇帝が退位しても、戦争は残ります。議会ができても、食料不足は残ります。革命政府が生まれても、土地問題や統治の問題は消えません。

国家が続く以上、財政、軍事、食料、土地、統治の問題は誰かが引き受けなければならない。

旧制度が返済しなかった負債は、革命によって帳消しになるのではなく、新しい体制へ移されるだけです。

その意味で、革命とは負債の名義変更です。

もちろん、これは制度論としての読み方です。革命で起きた一人ひとりの苦しみや暴力を、すべて会計の比喩で説明できるわけではありません。

けれど、旧制度の未処理分が新体制へ移され、それが国民への動員や徴発として戻ってくる構造を見るには、この補助線は有効だと思います。

フランス革命は、自由や平等という言葉で語られます。ロシア革命は、平和、土地、パン、搾取からの解放という言葉で語られます。

どちらも言葉だけを見れば美しい。

しかし、その後に現れたものは、内戦、徴兵、徴発、処刑、監視、統制、そして独裁的な秩序でした。

革命は、旧制度の支配者だけを罰するのではありません。その国に生きる人間全員に、未払いだった歴史の請求書を突きつけます。

フランス革命の場合、絶対王政はすでに大きな負債を抱えていました。

戦争による財政悪化、身分制による税負担の不公平、食料価格の高騰、政治参加から排除された第三身分の不満。王政はそれを処理できませんでした。

では、王政が倒れれば問題は消えたのか。

消えませんでした。

王の首を落としても、財政の穴は埋まりません。身分制を壊しても、パンが自動的に増えるわけではありません。革命政府は国有財産の売却や紙幣の発行で急場をしのぎましたが、貨幣価値の下落や食料問題は続きました。

対外戦争と国内反乱が重なれば、国家はさらに動員を必要とします。

そこで出てくるのが、徴兵であり、徴発であり、価格統制であり、恐怖政治です。

恐怖政治は、革命の外から降ってきた災害ではありません。革命政府が、危機の中で選んだ統治の手段でした。

フランス革命は、自由な市民を生んだ革命であると同時に、国家のために命を差し出す国民を生んだ革命でもありました。

ここに、近代国家の不気味な平等があります。

身分制の時代には、負担は不平等でした。特権身分は免除され、第三身分に多くの重みが乗せられていました。革命はその不平等を壊しました。

しかし、負担そのものが消えたわけではありません。

むしろ、国民全体が国家の負担を担う形へ変わっていきました。

平等とは、権利の平等だけではありません。国家から請求される義務の平等でもあります。

ロシア革命もまた、似た構造を持っています。

帝政ロシアは、皇帝専制、土地問題、農民の不満、労働者の不満、民族問題を抱えていました。1905年革命で帝政は一度大きく揺らぎ、ドゥーマという議会も設置されました。

しかし、それは皇帝権力を本格的に制限する制度にはなりきりませんでした。

つまり、帝政ロシアには改革の機会があった。しかし、専制の骨格を壊すところまでは行かなかった。

そこへ第一次世界大戦が来ます。

戦争は、国家の信用を試します。

国家は「守る」「勝つ」「食わせる」と言います。しかし、前線では兵士が死に、都市では食料が不足し、農村では土地問題が残り続けました。

言葉で発行した負債を、国家が行動で返済できなくなったのです。

1917年の二月革命で、皇帝ニコライ二世は退位しました。ロマノフ王朝は終わります。

しかし、皇帝が消えても、戦争は消えません。食料不足も、土地問題も、兵士の疲弊も、労働者の怒りも残ります。臨時政府は生まれましたが、戦争をやめられず、土地問題もすぐには処理できませんでした。

そこへレーニン率いるボリシェヴィキが現れます。

ここで重要なのは、マルクスもエンゲルスも、ロシア革命の現場にはいなかったということです。二人とも十九世紀のうちに亡くなっています。

彼らは革命の実行者ではなく、理論の供給者でした。その理論を、二十世紀初頭の帝政ロシアの破綻に接続したのがレーニンです。

マルクスが主に想定していたのは、資本主義が発達し、工業労働者が増え、資本家と労働者の対立が成熟した社会でした。ところがロシアは、農民が多数を占める農業国家でした。

典型的なマルクス主義革命の舞台には見えにくい。

では、レーニンは何をしたのか。

ロシアにあったバラバラの不満を、一つの政治的な言葉で束ねたのです。

農民は土地を求めていました。兵士は戦争をやめたがっていました。都市労働者はパンと賃金を求めていました。少数民族は帝国の支配から逃れたがっていました。

それぞれの不満は本来別のものです。

しかし、そこに「搾取」や「解放」や「民族自決」といった言葉を置けば、異なる怒りを一つの方向へ向けることができます。

ここで言う「搾取」は、マルクス経済学の厳密な概念というより、政治的な言葉として機能しました。

あなたが苦しいのは、あなたのせいではない。誰かがあなたから奪っているからだ。だから、その奪っている者を倒せばよい。

これは、きわめて動員力のある言葉です。

革命に必要なのは、精密な理論だけではありません。怒りに名前を与える言葉です。

民衆がマルクス主義の全体系を理解していたかどうかは、運動の現場では大きな問題ではなかったでしょう。必要だったのは、自分たちの苦しみを説明し、その怒りを向ける先を示す言葉でした。

レーニンはそこに、「平和・土地・パン」を置きました。

とくに「平和」は大きな言葉でした。兵士にとっては、これ以上前線で死なずに済むという約束であり、都市の人々にとっては、戦争による食料不足や物価高騰から逃れられるという期待でした。農村にとっても、働き手を戦場に取られ続ける生活からの解放を意味しました。

平和とは、単に戦争をやめるという意味ではありません。

帝政ロシアと臨時政府が返済できなかった最大の負債を、ボリシェヴィキが「自分たちなら返せる」と言った言葉だったのです。

ただし、ここでボリシェヴィキが安定した信用を得たと言い切るのは少し違います。

彼らは長い実績によって信用されたのではありません。帝政ロシアが信用を失い、臨時政府も返済できなかったため、民衆の怒りが別の受け皿を探したのです。

ボリシェヴィキは、その怒りを借り受けました。

農民に土地を、兵士に平和を、労働者にパンを約束した。それは信用の蓄積というより、未返済の怒りの前借りでした。

その怒りを背景にしながら、ボリシェヴィキは武装蜂起によって権力を掌握しました。

しかし、権力を握った後の革命政府もまた、現実の請求書から逃げることはできません。

戦争を終わらせる。土地を処理する。食料を届ける。反対派を抑える。国家を維持する。

これらは、言葉だけでは返済できません。行動が必要になります。そして、その行動は多くの場合、自由ではなく強制の形を取ります。

ロシア革命後、内戦が起きます。赤軍と白軍が戦い、外国干渉も加わります。国家は食料を必要とし、軍は兵士を必要とし、都市はパンを必要とします。

平和を掲げた革命政府は、内戦によって再び人と物資を動員する側になりました。

その結果、戦時共産主義、食料徴発、秘密警察、粛清、統制が進んでいきます。

地主から土地を奪ったはずの農民は、今度は国家から穀物を差し出すよう迫られる。皇帝の支配から解放されたはずの社会は、今度は党と国家による統制を受ける。

負債の名義は変わった。

しかし、請求は消えなかった。

ボリシェヴィキは帝政期の外国債務を否認しました。しかし、外への負債を帳簿上で消しても、国家を維持する物資は必要です。その不足は、国内農民への食料徴発という形で戻ってきました。

ここでも、帳消しに見えたものは、別の場所への請求に変わったのです。

もちろん、革命は負担だけを配ったのではありません。

フランス革命では身分制が崩れ、国民としての権利が生まれました。ロシア革命では土地に関する布告が出され、農民の土地要求に応える形が示されました。

革命は資産や権利も配ります。

だからこそ、人々は新体制に巻き込まれます。旧体制が戻れば、手に入れたものを失うかもしれない。そう考える人々にとって、革命政府を支えることは、自分の利益を守ることでもありました。

問題は、その代金があとから請求されることです。

土地を与えるかわりに、穀物を求める。権利を与えるかわりに、兵士を求める。平和を約束したはずの革命政府は、内戦のために再び人と物資を動員する。自由を掲げながら、秩序のために統制を求める。

革命の怖さは、ここにあります。

フランス革命とロシア革命は、方向性は違います。

フランス革命は、市民社会や近代国家の形成へ向かいました。ロシア革命は、資本主義を乗り越える社会主義国家を目指しました。掲げた理念も、目指した社会も違います。

しかし、旧制度の未払いが革命によって消えず、次の体制によって国民へ回収されるという構造は似ています。

王や皇帝が倒れても、国家の請求書は燃えません。

これは革命だけに限りません。

敗戦のような体制の断絶でも、同じ構造は現れます。支配者が退場し、制度が変わっても、食料、財政、安全保障、復員、生活再建の問題は消えません。

日本の戦前と戦後を見ても、同じことが言えます。

敗戦によって戦前の国家体制は崩れました。しかし、焼け野原、食料不足、復員、引揚者、財政、インフレ、安全保障、産業再建は残りました。支配者や制度が変わっても、国家が続く限り、前の時代が残した負債は次の時代へ渡されます。

体制の断絶は、請求の断絶ではありません。

昨日までの支配者がいなくなっても、今日の食料は必要です。昨日までの軍が解体されても、明日の安全保障は必要です。昨日までの制度が否定されても、明日の統治は必要です。

歴史の未払いは、支配者の退場だけでは消えません。

だから、革命という言葉を美しいまま受け取ることはできません。革命は確かに、旧制度への怒りから生まれます。理不尽を変えたいという願いから生まれます。そこには人間の切実な希望があります。

しかし、革命が始まった瞬間から、希望は統治の問題になります。

統治の問題になった瞬間から、食料、軍隊、財政、警察、反対派、外敵、秩序の問題が押し寄せます。

そして最後には、誰がその負担を支払うのかという問いに戻ります。

革命とは、未払いの歴史を帳消しにする出来事ではありません。

旧制度が返済しなかった負債を、新しい言葉で包み直し、国民に一括請求する出来事です。

革命は、歴史の清算ではない。

革命とは、未払いだった歴史の請求書が、別の名義で届くことである。

それでは、平和は何を請求するのか?


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