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夕刊・西尾スポーツ         自由主義者ミルに重大疑惑      男女平等を唱えながら、一人一票は認めなかった?

こんにちは。長坂総研です。

現在、約200年前の古典派経済学を中心に、経済思想を見直しています。

夕刊・西尾スポーツという体裁にしたのは、笑いと風刺を交えながら読めるからです。

「本当にそうなのか」という疑惑から思想を掘り下げると、その人物が何を恐れ、何を解決しようとしたのかが見えてきます。

今回は、自由主義者ジョン・スチュアート・ミルの疑惑です。


花音です。イラストもなくなってきたので、又出ました。

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ジョン・スチュアート・ミル。

経済学では古典派の最後に登場し、『自由論』を書き、女性参政権まで主張した人物です。

ずいぶん立派な自由主義者に見えます。

しかし調べてみると、この人、自由を守ろうとしながら、人間を最後までは信用していません。

西尾経済編集部は、ここに疑惑の目を向けました。

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古典派経済学の閉店整理と新装開店

ミルは1806年にイギリスで生まれました。

1848年には『経済学原理』を刊行します。

この本は、アダム・スミス、マルサス、リカードらの古典派経済学を整理し、社会制度や政策まで含めて体系化したもので、

その後長く標準的な経済学書として読まれました。


ミルが経済学を一から作ったわけではありません。

古典派経済学を集大成し、その閉店整理を行った。

しかし同時に、資本主義を制度によって修理する、新しい店の扉も開きました。

しかも同じ1848年には、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』が発表されています。

ミルが資本主義の修理方法を考えている隣で、マルクスは建物ごと壊す準備を始めていました。


生産は自然、分配は制度

ミルの経済思想で重要なのは、生産と分配を分けたことです。

物を作るには、労働、土地、資本、技術が必要です。

生産には、物理的、技術的な制約があります。

しかし、作られた富を誰にどれだけ配るかは、自然が決めているわけではありません。

所有権、相続、賃金、税、法律、慣習。

分配は、人間が作った制度によって決まります。

つまりミルは、

「生産には変えにくい条件があるが、分配制度は変えられる」

と考えました。

格差があるからといって、

「経済の自然法則だから仕方がない」

とは言えなくなります。

資本主義の分配は自然現象ではありません。

制度です。

制度なら、修正できます。


資本主義は修理できるのか

ミルは、私有財産や市場を全面的には否定しませんでした。

その一方で、資本家が所有し、労働者が命令されるだけの社会にも疑問を持ちました。

そこで期待したのが、労働者が共同で所有し、経営し、利益を分ける協同組合的な企業です。

資本主義を全部壊すのではない。

所有と分配を修正しながら使う。

革命より修理です。

ただし、労働者が共同で会社を持っても、管理者は必要です。

全員が同時に経営判断をすることはできません。

代表者を選び、権限を与え、監査し、必要なら交代させる。

所有者を替えても、管理の問題は消えません。

資本家を追い出しても、経営会議は残ります。


自由を守る。ただし世間も信用しない

ミルは『自由論』で、国家や社会が個人の自由へ介入できるのは、原則として他人への危害を防ぐ場合だけだと考えました。

本人が愚かな選択をしても、本人のためになるという理由だけで強制してはならない。

失敗する自由も認めるべきだ。

一方で、ミルが恐れたのは国家だけではありません。

民主主義になっても、多数派が少数派へ価値観を押しつけることがあります。

王様を追い出しても、今度は世間が王様になる。

これが「多数者の専制」です。

自由主義者ミルは、政府も信用しない。

しかし国民も、最後までは信用していません。


男女平等。ただし投票権は段階制

ミルは女性参政権を主張しました。

男女の不平等は自然ではなく、法律と慣習が作ったものだと批判しました。

ここは率直に評価すべきです。

しかしミルは、すべての成人が無条件に同じ一票を持つ制度には賛成しませんでした。

読み書きができることや、一定の納税能力を投票権の条件とし、その上で、学歴、職業、専門知識、試験などによって能力が高いと認定された者には、複数票を与えようとしました。

ミルが恐れたのは、数で勝る無教育な労働者階級が、多数派として政治を支配することでした。

しかし、ここから新しい問題が始まります。

どの知識を政治的能力とみなすのか。

どの職業なら二票なのか。

試験問題を誰が作るのか。

経済的事情や性別によって教育機会を奪われた者は、どうなるのか。

血筋による貴族制を壊しても、学歴、職業、試験、納税によって票の重さを変えれば、新しい身分制が生まれます。

貴族だから二票ではない。

能力があると認定されたから二票。

言葉は近代的になりましたが、特権を作る構造は残っています。


なぜ一人一票なのか

現代の民主主義が一人一票なのは、全員の判断能力が同じだからではありません。

賢い人も一票。愚かな人も一票。大学教授も一票。大学へ行けなかった人も一票。

誰が優秀かを国家が決め始めると、その判定制度そのものが権力になるからです。

学歴、試験、職業、財産。

どれを基準にしても、基準を作る側が自分たちに有利な「優秀さ」を定義できます。

一人一票は、能力差を否定した制度ではありません。

能力を測る者へ、特権を渡さない制度です。

もちろん、一人一票にも問題はあります。

扇動、組織票、情報操作、同調圧力。

多数者は普通に間違えます。

それでも、特定の階層の優位を法律で固定しません。

選挙ごとに批判し、交代させ、やり直す余地があります。

多数投票者は間違える。

そして、優秀者を選ぶ者も間違える。

ならば全員一票にして、多数の人間を参加させ、定期的にやり直す。

民主主義版の「神の見えざる手」です。

かなり雑です。

しかし、雑だからこそ壊れにくい。


発行:長坂総研
編集:西尾経済編集部
取材協力:脳内一人一票審査委員会、ChatGPT

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