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宗教改革は、ルターから始まったのではない――ヤン・フスは、教会の負債を告発した

おはようございます。長坂総研です。

宗教改革は知っている。ルターも大学の時に知った。カルヴァンは世界史の勉強の時に覚えた。

だけど、ヤン・フスは佐藤優氏の著作を読むまで知らなかった。

宗教改革ということで、ルター、カルヴァンの前にヤン・フスを入れることにした。

ヨーロッパでは多くの地域で宗教改革が起こった。キリスト教は多くの枝に分かれているので、良く分かりません。



かのんです。洗濯は大変。

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宗教改革というと、多くの人はルターを思い浮かべる。

しかし、ルターが現れる前に、すでに教会制度への不信は積み上がっていた。

今回はヤン・フスを通して、宗教改革を「救済を誰が保証するのか」という制度の信用危機として見ていく。

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宗教改革と聞くと、多くの人はマルティン・ルターを思い浮かべる。

免罪符。九十五か条の論題。信仰義認。聖書中心主義。

もちろんルターは重要である。宗教改革がヨーロッパ全体を揺らす巨大な運動になったのは、ルターの登場以後である。佐藤優氏も『宗教改革の物語』の中で、「一般に世界史において宗教改革の起源は、十六世紀ドイツの宗教改革者マルティン・ルターに求められる」と書いている。

これは、多くの人が持っている宗教改革の一般的な理解だと思う。

しかし、宗教改革をルターから突然始まった出来事として見ると、見落とすものがある。

それは、教会という制度に対する不信が、ルター以前からすでに蓄積していたということである。

今回見るのは、ルターよりおよそ百年前に現れた宗教改革者、ヤン・フスである。

ただし、厳密に言えば、フスの前にはイングランドのジョン・ウィクリフがいる。フスもウィクリフの思想から影響を受けている。だから、フスを「宗教改革の完全な出発点」と言い切るのは正確ではない。

それでも今回フスを取り上げるのは、教会制度への批判が、ボヘミアという共同体の問題になり、火刑と戦争へつながったからである。

思想が、制度にぶつかった。

そして制度は、改革ではなく排除を選んだ。

ここに宗教改革の大きな前史がある。

キリスト教の宗教改革を、単なる神学論争として見ると分かりにくい。教義の違い、聖書解釈の違い、教皇権への批判、免罪符への反発。もちろんそれらは重要である。

しかし、私の信用・負債制度起源論から見ると、一つの問いが浮かび上がる。

救済を誰が保証するのか。

キリスト教は救済の宗教である。人は罪を抱え、死を抱え、不安を抱えて生きている。その人間に対して、救いはあるのか。あるとすれば、それは誰によって保証されるのか。

中世のカトリック教会は、その救済を管理する巨大な制度だった。

洗礼、告解、聖餐、結婚、葬儀。人の一生は教会の制度の中に組み込まれていた。教会は神と人間の間を媒介し、信徒は教会を通して救済に近づくものとされた。

つまり教会は、単なる宗教団体ではなかった。

教会は、救済の信用を預かる制度だった。

しかし、制度が大きくなればなるほど、そこには負債が生まれる。救済を語るなら、その言葉は返済されなければならない。聖職者が神の代理人として振る舞うなら、その行動は信徒から見て信用できるものでなければならない。

ところが、教会が富と権力を持ち、聖職者が特権化し、教皇や高位聖職者が政治と結びついていくと、信徒の側には疑問が生まれる。

この制度は、本当に救済を返済しているのか。

その問いを、ルターより前に突きつけた人物がヤン・フスである。

フスは、十五世紀初頭のボヘミア、現在のチェコに生きた神学者である。

佐藤優氏は、フスが生きた時代について、「十五世紀は、まさに中世と近代の双方にまたがった過渡期なのである」と述べている。

ここは重要だと思う。

フスの問題は、単に中世教会の内部問題ではない。そこには、近代、民族、国家につながる問いがすでに含まれていた。

フスの時代、カトリック教会は大きな混乱の中にあった。ローマとアヴィニョンに教皇が並び立ち、さらに別の教皇まで擁立される。いわゆる教会大分裂の時代である。

教会が唯一の救済制度であるはずなのに、その教会自身が分裂していた。

これは制度論から見ると、非常に大きい。

救済を保証する制度そのものが、自分自身の正統性を保証できなくなっていたのである。

そのような時代に、フスは教会を批判した。聖職者の腐敗を批判し、教会のあり方を問い直した。

重要なのは、フスが単に「悪い聖職者がいる」と言っただけではないことだ。

問題は、腐敗した聖職者や教皇が、それでもなお神の権威を代表できるのかという点だった。

もし教会が救済の制度であるなら、その制度は信徒に対して信用を返済し続けなければならない。ところが、制度の側が腐敗し、分裂し、権力化しているなら、信徒は何を信じればよいのか。

教皇なのか。公会議なのか。聖職者なのか。それとも、神の言葉そのものなのか。

ここでフスの問いは、後のルターにつながっていく。

宗教改革は、単に「教会が嫌いだ」という反抗ではない。救済の信用先をどこに置くのかという問いだった。

教会制度に救済の信用を預け続けるのか。聖書と信仰に立ち返るのか。それとも、自分たちの共同体の中に救済の根拠を見出すのか。

この問いが、ヨーロッパを揺らしていく。

なぜ宗教改革が、民族や国家の問題につながるのか。

それは、救済の信用が教会だけで処理できなくなった時、人々が別の共同体を必要とするからである。

ローマ教会に従うだけでは、自分たちの信仰も救済も守れない。そう感じたとき、人々は自分たちの言葉、自分たちの地域、自分たちの共同体に救済の根拠を見出そうとする。

ボヘミアの人々にとって、フスは単なる神学者ではなかった。

彼は、自分たちの共同体の救済をめぐる象徴になった。

佐藤優氏は、フスを受け継いだ人々について、「個人と自らの共同体の救済のために命をかけてカトリック教会と闘うのである」と書いている。

ここに、宗教改革を見るうえで大事な点がある。

人は、抽象的な教義のためだけに命をかけるわけではない。

もちろん神学は重要である。しかし、信徒にとってそれは、単なる言葉の違いではない。自分は救われるのか。家族は救われるのか。自分たちの共同体は神の前に正しいのか。

その問いがあるから、人は動く。

つまり宗教改革とは、救済をめぐる信用危機である。

教会が救済を語る。
しかし、その教会が腐敗し、分裂し、権力化する。
信徒は問う。
この制度は、本当に救済を返済しているのか。

フスは、その問いを言葉にした。

しかし、制度はその問いに対して、改革ではなく処刑で応じた。

1415年、フスはコンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された。

佐藤優氏は、コンスタンツ公会議について、当時のカトリック教会における最高意思決定機関であり、教会の混乱を解決するための場だったと説明している。教会は、自らの分裂を処理する場で、フスという批判者を裁いたのである。

ここには、制度の反応がよく現れている。

制度は、自分の負債を告発されたとき、二つの対応を取ることができる。

一つは、負債を認めて返済すること。つまり改革することである。

もう一つは、告発者を排除し、負債そのものをなかったことにすることである。

フスに対して、教会制度は後者を選んだ。

だが、告発者を焼いても、負債は消えない。

むしろ、負債は怒りとして残る。

フスの死後、ボヘミアではフス派運動が広がり、やがてフス戦争へとつながっていく。これは単なる宗教戦争ではない。教会が返済しなかった負債が、共同体の怒りとして噴き出したのである。

信用・負債制度起源論から見ると、ここに宗教改革の原型がある。

フスは、教会の負債を告発した。

教会は、その負債を返済せず、告発者を火刑にした。

しかし、その火刑によって問題は消えなかった。むしろ、救済をめぐる信用危機は、ボヘミアの共同体に深く刻まれた。

だから宗教改革は、ルターから突然始まったのではない。

ルターは、爆発点である。

その前に、フスという告発者がいた。
その前に、教会の信用危機があった。
その前に、救済を語りながら、救済を返済できなくなった制度があった。

ルターが免罪符を批判したとき、ヨーロッパはすぐに燃え広がった。

なぜなら、火種はすでにあったからである。

次回は、ルターを見る。

免罪符とは何だったのか。なぜ紙切れが救済の問題になったのか。そして、救済の信用先は、教会からどこへ移されたのか。

宗教改革は、ここからヨーロッパ全体を作り替えていく。

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