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神は、返せない借りから生まれたのか――起源論から見た宗教

おはようございます。長坂総研です。

信用・負債制度起源論の肉付けとして、人間社会のいろいろな活動を見ていきたい。ということで、「理論肉付けシリーズ」とでも名付けるべきでしょうか。

人間社会におけるいろいろな活動には、もちろんそれぞれ名称がついています。

今回は、その中から宗教という活動を取り上げてみました。

信用・負債制度起源論から見た宗教とはどのようなものなのか。それを読み解いていこうと試みています。

うまくいくかどうかは分かりませんが、このシリーズを通して、信用・負債制度起源論をさらに昇華していければと考えています。



花音です。信仰とは何でしょうか?

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宗教とは、救済なのか。それとも共同体の記憶なのか。

信用・負債制度起源論から見ると、そのさらに手前に「返す相手の見えない負債」があるように思える。

人間は自然から何かを受け取り、その背後に行為者を見た。そこから神や祖先との関係が生まれ、祈り、供物、戒律、そして救済へと宗教は発達していったのではないだろうか。

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人間は欲がなければ生きられない

信用・負債制度起源論は、欲から始まる。

人間は食べたい、生きたい、安全でいたいという欲を持つ。欲があるから行動し、その行動が他者の欲を満たせば価値が生まれる。

欲そのものは悪ではない。

むしろ、人間が生きるために必要なものだ。

ところが欲には限度がない。

自分が必要とする以上に欲し、自分の欲を満たすために他者から奪い始めれば、共同体の中に一方的な負担が生まれる。

宗教が欲張ることを戒めてきた理由の一つは、ここにあるのではないだろうか。

欲をなくすためではない。

欲によって共同体そのものが壊れないようにするためである。

雨を降らせたのは誰なのか

ここで宗教の起点を考えてみる。

人間同士なら、誰かに何かをしてもらえば相手が分かる。

食べ物をもらった。助けてもらった。

その行為を受け取った側が認め、「いつか返そう」と考えれば、そこに負債が生まれる。

ところが自然は少し違う。

雨が降って作物が育った。病気から回復した。災害の中で生き残った。

これらは本来、自然現象でしかない。

しかし人間が、

「何者かが雨を降らせてくれた」

と考えた瞬間、自然現象の背後に行為者が現れる。

ここが重要だと思う。

自然現象そのものは行為ではない。

しかし、人間がそこに意思を見いだせば、それは「誰かがしてくれたこと」になる。

すると、その恩恵には相手がいる。

相手がいるなら、何かを返さなければならない。

しかし、その相手は見えない。

ここから神、祖先、精霊といった存在が必要になったのではないだろうか。

宗教とは最初から救済だったのではなく、まずは、

返す相手の見えない負債を扱うための制度

だったのかもしれない。

祈りと供物は返済になる

返す相手が見えなくても、何もしなくてよいとは限らない。

そこで祈る。供物を捧げる。祭りを行う。

何をすれば返したことになるのかを共同体で決める。

やがて、その方法は世代を越えて伝えられる。

「われわれはこの神に守られてきた」

「この土地は祖先から受け継いだ」

こうした物語が神話となり、儀礼として繰り返される。

ここで宗教は、共同体の記憶になる。

何を受け取ったのか。

誰に借りがあるのか。

そして、その借りをどう返すのか。

宗教は、それを忘れないための制度でもあったのではないか。

宗教は欲を消さない

宗教が発達すると、戒律が生まれる。

他者から奪うな。嘘によって利益を得るな。困っている者には与えよ。

宗教によって内容は違うが、欲を無制限に他者へ向けることを抑えようとする考え方は見られる。

ここでも宗教は、欲そのものを否定しているわけではない。

人間から欲をなくせば、人間は生きられない。

だから欲を別の方向へ向ける。

自分だけの富ではなく施しへ向ける。

自分だけが得るのではなく、共同体の中で返す。

宗教とは、欲を消す制度というより、欲を共同体の中で処理できる形へ変える制度だったのではないだろうか。

そして救済が必要になる

しかし、人間は戒律を完全には守れない。

欲を抑えられないこともある。約束を破ることもある。

つまり、宗教によって「何を返すべきか」「何をしてはいけないか」が決められるほど、それを守れなかった人間も生まれる。

ここから罪や穢れ、そして救済という問題が出てくる。

返せない者をすべて排除すれば、共同体は維持できない。

だから宗教の一部は、返済不能になった人間との関係をどう修復するのかを考えるようになった。

赦し、悔い改め、儀礼。

宗教によって形は異なるが、救済とは、

返せなくなった人間との関係を、それでも終わらせない仕組み

として見ることができる。

宗教とは救済なのか。

それとも共同体の記憶なのか。

おそらく、どちらか一つではない。

返す相手の見えない負債から始まり、その負債を記憶し、欲を制御し、やがて返せなくなった人間をどう扱うのかまで考えるようになった。

そうやって宗教という制度は、長い時間をかけて大きくなっていったのではないだろうか。

そして皮肉なことに、欲を制御するために発達した宗教も、組織として巨大になれば、自ら土地や財産、権力を欲するようになる。

ここから先は、また別の話になる。


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