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財政は、負債から始まる――国の借金を見る前に、政府が何を約束したのかを見る

おはようございます、長坂総研です。

政府財政は、税金を集めるところから始まるのではありません。
政府財政の始まりは、政府が国債を発行して借金をして、公務員を雇い、公共事業とかを始めるところから始まります。

でないと、何もしてくれない政府かもしれないのに、税金を納める人はいませんよね。
企業も最初は資本調達から始まります。これも大きく言えば借金です。財務諸表では負債になります。


花音です。笑顔はどうですか?

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記事の概要

政府財政の話になると、すぐに「国の借金」という言葉が出てきます。
けれど、その言葉だけで見ていると、政府が何を約束し、何を実行しようとしているのかが見えにくくなります。
今回は、財政を「負債を信用に変えられるか」という視点から考えてみます。

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「国の借金」という言葉を聞くたびに、少し引っかかる。

国債は負債である。

そこを否定したいわけではない。

ただ、その言葉だけで財政を見てしまうと、何か大事なものが抜け落ちる。

政府は、なぜ国債を発行するのか。

何をするために、負債を発生させるのか。

ここを見ないまま、「借金が増えた」とだけ言っても、財政を見たことにはならない。

国債は、政府が発行する。

それを市場が引き受ける。

金融機関が持つこともある。国民の金融資産の側に回ることもある。日銀が保有することもある。

ここを雑にすると、話がおかしくなる。

だから最初に分けておきたい。

政府は国債を発行する。

国債は誰かに保有される。

そして、その仕組み全体を支えているのは、国家という共同体の信用である。

財政は、負債から始まる。

そう書くと、危ない話に見えるかもしれない。

しかし、ここで言いたいのは「国債をいくら出してもよい」という話ではない。

政府が未来に向けて何かを約束し、それを実行するために負債を発生させる。

そこから財政は始まる、という話である。

ここでいう負債は、国債残高だけではない。

政府が語った約束。

先送りされた課題。

あとで誰かが支払うことになるツケ。

そういうものも含めて、私は負債と呼んでいる。

もちろん、会計上の負債と、社会に残る負債は同じではない。

国債と、放置された橋は違う。

政策の約束と、金銭上の債務も違う。

違うものを一緒にしすぎると、かえって見えなくなる。

それでも、共通しているものはある。

どれも、未来に向けて何かを残している。

ここを見たい。

政府が「この社会を支える」と言う。

その言葉は、ただの説明ではない。

聞いた側に期待を生む。

期待が生まれれば、そこには負債が発生する。

あとは、その言葉に見合う行動があるかどうかである。

行動があれば、信用になる。

行動がなければ、不信になる。

これは、人と人との関係でも同じである。

約束しただけでは信用にならない。

約束したあとに何をしたのか。

そこで信用は決まる。

政府財政も、まったく同じではないが、似た構造を持っている。

政府には税がある。

法律がある。

通貨制度がある。

個人の約束とは規模も仕組みも違う。

だから、乱暴に同一視してはいけない。

ただし、政府もまた、言葉だけでは信用を作れない。

予算を組んだ。

国債を出した。

それだけではまだ信用ではない。

それによって何が実行されたのか。

そこが問われる。

財政赤字を見たとき、「借金が増えた」と考えるだけでは足りない。

その負債によって、政府は何をしようとしたのか。

そして、それは本当に実行されたのか。

ここを見る必要がある。

橋を直さないまま先送りする。

これは、会計上は支出を抑えたことになるかもしれない。

しかし、別の場所に負債を残している。

見えにくいだけである。

あとで誰かが困る。

あとで余計に金がかかる。

あとで信用が削れる。

緊縮財政には、そういう面がある。

もちろん、緊縮がすべて悪いわけではない。

無駄な支出を止めることで、かえって信用が戻ることもある。

ただ、帳簿の上の負債だけを減らしても、社会の側に別の負債を積み上げているなら、それは本当に健全なのか。

そこは考えた方がいい。

逆に、積極財政も万能ではない。

金を使えば、それだけで信用になるわけではない。

作れる物がないところへ金だけを流せば、物価が上がることがある。

それは別の形で、国民の負担になる。

だから、問題は負債があることではない。

その負債が信用へ変わったかどうかである。

この視点で見ると、財政の話は少し変わる。

黒字か赤字か。

国債残高が多いか少ないか。

もちろん、それも大事である。

しかし、それだけでは足りない。

政府が発生させた負債は、どのような行動に変わったのか。

国民が「たしかに意味があった」と思えるものになったのか。

そこを見なければ、財政の評価はできない。

国家財政を家計簿で語る説明は、分かりやすい。

だから広がりやすい。

けれど、分かりやすい説明ほど、見えなくするものがある。

家計は、自分の収入の範囲で暮らす。

しかし政府は、制度を動かす側にいる。

通貨も扱う。

民間の経済活動にも影響を与える。

家計と政府は、同じではない。

この違いを忘れると、財政はただの節約話になる。

財政は、節約の話だけではない。

政府が、未来に向けて何を約束し、何を実行するかの話である。

負債は悪ではない。

ただし、負債で終わってはいけない。

政府が発生させた負債は、行動によって信用へ変わらなければならない。

財政は、負債から始まる。

けれど、その負債が何に変わったのか。

そこを見ないまま、「借金が多い」とだけ言っても、私たちは財政を見たことにはならない。

私たちは、政府に何を約束させたいのか。

そして、その負債をどんな信用に変えてほしいのか。

財政の話は、本当はそこから始めた方がいい。

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