キリスト教が国家になったとき、反ユダヤ主義は制度になった――なぜ同じ神を信じる者同士が敵対したのか
おはようございます。長坂総研です。
私の宗教、歴史における大きな疑問の一つに、反ユダヤ主義というものがあります。
それほど大きくはない宗教ユダヤ教、それに対し世界の歴史で中心をなしてしまうような反ユダヤ主義。
なぜ反ユダヤ主義は発生したのか?
その疑問を解き明かしたいと思っています。

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キリスト教は、ユダヤ教から神、聖書、預言、契約を受け継いで生まれました。
しかし新しい契約の正統性を主張するには、元の共同体を「乗り越えられた古い契約」の側へ置く必要がありました。
その宗教上の評価が国家権力と結びついたとき、違いは法や身分による排除へ変わっていきます。
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キリスト教はユダヤ教の内部から生まれた
イエスはユダヤ人でした。
弟子たちもユダヤ人であり、初期のキリスト教は、最初から別の宗教として始まったわけではありません。
イエスを救世主と信じる、ユダヤ教内部の運動として始まりました。
しかし、多くのユダヤ人はイエスを救世主とは認めませんでした。
一方、イエスを信じる人々は、その死と復活によって神との新しい契約が始まり、救済が民族を越えて開かれたと考えるようになります。
こうして、同じ神と聖書を共有しながら、誰が契約を正しく継承したのかをめぐって、二つの共同体は分かれていきました。
古い正統を否定しきれない
キリスト教は、ユダヤ教を完全には否定できません。
ユダヤ教の神、預言者、聖書を否定すれば、イエスが救世主であるという説明の土台まで失うからです。
その一方で、ユダヤ教が神との正しい契約共同体として、そのまま残るなら、新しい共同体としてのキリスト教の正統性も曖昧になります。
そこでキリスト教は、古い契約を偽物とはせず、イエスによって完成されたものと位置づけました。
これは、中国の易姓革命と少し似た論理です。
新王朝は、天命という仕組み自体を否定しません。前王朝もかつては天命を受けていたが、徳を失ったため、その資格が新王朝へ移ったと説明します。
ただし、大きな違いがあります。
易姓革命では、前王朝は政治的に退場します。
ところがユダヤ教は、キリスト教が新しい契約を宣言した後も消えませんでした。キリスト教の継承物語を認めない共同体として、そのまま存在し続けたのです。
異教徒は、キリスト教の外部にいました。
しかしユダヤ人は、キリスト教の神、聖書、預言を共有しながら、イエスによる契約の完成だけを認めませんでした。
キリスト教にとってユダヤ人は、単なる異教徒ではありません。
自分たちの正統性を承認しない、生きた前制度でした。
イエスの死は、誰の責任になったのか
イエスを処刑したのは、ユダヤを支配していたローマの権力でした。
しかし後のキリスト教社会では、福音書の受容、教父の議論、説教、民衆感情などが重なる中で、ユダヤ人全体がイエスの死に責任を負うという考えが広がっていきました。
ここで個人の行為だったはずの責任が、共同体への所属によって引き継がれるものへ変わります。
信用・負債制度起源論で見れば、これは返済不能な負債を、共同体そのものへ固定する仕組みです。
イエスを救世主として認めない限り、その責任は解消されない。
本人が処刑に関わったかどうかは関係なく、ユダヤ人であり続けることによって、未履行の責任を引き受けさせられる。
時代や地域によって強さは異なりますが、その負債から逃れる方法として改宗が求められることもありました。
そこには、救済や終末をめぐる宗教的確信と、説教を通じて育てられた感情も重なっていました。
ユダヤ人であり続けること自体が、返済を拒む行為として扱われるようになったのです。
迫害された宗教が、国家の宗教になった
初期のキリスト教徒も、ローマ帝国から迫害されました。
この段階では、キリスト教とユダヤ教の争いは、主として二つの宗教共同体の正統性争いでした。
しかし四世紀に、状況が大きく変わります。
313年、コンスタンティヌス帝らによるミラノ勅令によって、帝国内で信仰の自由が認められ、キリスト教も公認されました。
ただし、この時点では、まだキリスト教だけが国家の宗教になったわけではありません。
380年、テオドシウス一世のもとで、ニカイア派キリスト教が帝国の正統信仰とされます。
ここからキリスト教は、迫害される少数派ではなく、何が正しい信仰なのかを決める側へ移っていきました。
「われわれこそ神との契約を正しく継承した共同体である」
という宗教上の主張に、国家の権力が加わったのです。
ただし、国教化された瞬間に、すべての差別制度が完成したわけではありません。
その後、帝国法、教会法、地方権力、説教、民衆感情、社会慣行が複雑に重なりながら、ユダヤ人を劣位へ置く仕組みが少しずつ作られていきました。
キリスト教が国家の宗教になったことで、宗教上の評価が法や身分へ接続される道が開かれたのです。
生き残る境界が、排斥の理由になる
ユダヤ人はキリスト教社会の中でも、食事、安息日、婚姻、教育、礼拝を守り続けました。
第1回で見た通り、それは国家を失っても共同体を残すための制度です。
しかし多数派となったキリスト教社会から見れば、それらは別の契約を守り続けていることを示す、目に見える違いになりました。
同じ神の物語を共有し、同じ地域に暮らしながら、キリスト教へは同化せず、イエスを救世主とは認めない。
その存在自体が、キリスト教の正統性を承認しない共同体が、今も残っていることを示します。
共同体を生き残らせた境界が、今度は排斥の理由として使われたのです。
必要としながら、劣位へ置く
中世のキリスト教社会では、ユダヤ人の土地所有、公職、ギルドへの参加などが、地域や時代によって制限されました。
その一方で、広域交易のネットワーク、都市経済の発達、キリスト教社会における利子取得への規制など、複数の条件が重なり、一部のユダヤ人は交易、金融、租税の仲介、医療などの仕事へ進みます。
制限と経済上の需要が重なって、特定の仕事へ偏りやすい状況が作られ、その仕事が後に差別の理由として使われました。
多数派社会は、その機能を必要としました。
しかし、徴税や借金に伴う怒りは、その制度を作った王や領主ではなく、目の前で実務を担うユダヤ人へ向けられます。
ユダヤ人には、その役割を主権や政治力へ変える武力も国家もありませんでした。
必要とされている。しかし、守られているとは限らない。
保護する権力者の判断が変われば、財産の没収、追放、暴力の対象になり得る、不安定な立場だったのです。
違いだけでは迫害は起きない
ユダヤ人が独自の共同体を守ったことは、多数派社会との摩擦を生む一因にはなりました。
しかし、違いがあるだけで迫害が起きるわけではありません。
戦争、疫病、飢饉、借金、政治不安。
社会が処理できない怒りや負債を抱えたとき、内部にいながら異なると見なされた少数派は、責任を押しつけやすい相手になります。
キリスト教は自らの正統性を確立するため、ユダヤ教を古い契約の側へ置いた。
国家は、その宗教的な評価を法と身分へ接続した。
社会は、そこで作られた境界を利用し、自らが抱えた負債をユダヤ人へ転嫁した。
反ユダヤ主義は、一つの教義や一度の決定から生まれたのではありません。
正統性争い、国家権力、宗教的感情、職業制限、社会不安が長い時間をかけて重なり、制度として定着していったのです。
そして近代になると、宗教上の反ユダヤ主義は、人種、民族、国家を使った新しい形へ変化します。
次回は、長く蓄積された排斥と負債転嫁が、なぜナチス・ドイツによるホロコーストにまで進んだのかを見ていきます。
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