欲から始まる共同体――人はなぜ行動するのか
おはようございます。長坂総研です。
今日の朝から5回にわたって毎朝、信用・負債制度起源論の最初の論点で、今の時点でのまとめをしていきます。
最初は貸し借りから始まったこの理論も、価値から始まり、共同体を入れ、信用を入れ、言葉を入れ、そして欲を入れた。
この理論の大元となったのは、物々交換社会は本当にあったのか?という思考実験からです。
そこに、なろうでテンプレの一人で森への異世界転移も思考に入れることで、人間の根源が見えてきたような気がします。
人間=欲、そして欲を満たすための言葉と行動は手段でしかありません。
欲を満たすための物すべてが手段でしかないのです。

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信用・負債制度起源論について、ここまでいろいろ考えてきました。
文字、通貨、国家、制度、信用、負債。いろいろな言葉を使ってきましたが、今回はその一番手前に戻ります。
人間社会は、どこから始まるのか。
そんな話です。
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人間社会の始まりを、国家や市場や通貨から考えると、たぶん見誤る。
もっと手前にあるものから考えたい。
それは欲である。
人間は欲を持つ。欲というと、どこか悪いもののように聞こえるかもしれない。だが、ここでいう欲は、もっと根源的なものである。
食べたい。水を飲みたい。眠りたい。寒さを避けたい。危険から逃れたい。生き延びたい。
これらはすべて欲である。
人間の根源には欲がある。中でも、生存欲はもっとも基本的な欲である。人はまず、生きようとする。生きようとするから、水を探し、食料を探し、安全な場所を探し、寒ければ着る物を求め、危険があれば身を守ろうとする。
欲があるから、人は行動する。
水が欲しいから、水場を探す。腹が減るから、木の実を拾い、獲物を追い、畑を耕す。寒いから火を起こす。雨風をしのぎたいから、洞窟を探し、家を作る。
行動とは、欲に押されて世界へ手を伸ばすことである。
ただし、一人でできることはあまりにも限られている。
一人で水を探し、一人で食料を集め、一人で火を守り、一人で寝床を作り、一人で外敵を警戒する。それは不可能ではないかもしれない。だが、あまりにも不安定である。
もし怪我をしたらどうするのか。
もし病気になったらどうするのか。
もし眠っている間に危険が来たらどうするのか。
もし食料を探しに出ている間に、火が消えたらどうするのか。
人間は動けなくなる可能性を持っている。だから、一人では危うい。一人では限界がある。
ここで、他者が必要になる。
これは、なろう系の異世界転移ものではよくある物語の始まりである。
主人公が見知らぬ土地に放り出される。そこには現代の通貨も、身分証も、スマホも、コンビニも、国家の保護もない。あるのは、空腹と不安と危険である。
そのとき、主人公はまず生き延びなければならない。
水を探す。食料を探す。安全な場所を探す。服や道具を整える。そして、誰かと出会う。
この構造は、物語の都合だけではない。
人間社会の最小単位を考えるときにも、かなり分かりやすい。
もちろん、これは実際の人類が一人で始まり、そこから共同体を作ったという話ではない。そうではなく、社会を最小単位まで分解したとき、何が残るのかを考えるための思考実験である。
国家を消す。市場を消す。通貨を消す。文字を消す。法律を消す。会社を消す。学校を消す。
それでも人間には、欲が残る。
水を飲みたい。食べたい。眠りたい。安全な場所にいたい。生き延びたい。
そして、その欲を満たすために行動する。
だが、一人では限界がある。
だから、他者を求める。
ここで注意しなければならないのは、人が近くにいるだけでは、まだ共同体ではないということである。
ただ同じ場所にいるだけなら、それは群れである。
水場に集まる。洞窟で雨宿りをする。危険を避けるために近くにいる。そこには一定のまとまりがある。しかし、まだ互いの生存を引き受ける関係にはなっていない。
群れは、空間を共有しているだけである。
共同体は、生存に関わり始めた関係である。
では、群れはどこで共同体へ変わるのか。
そこにあるのが、言葉である。
誰かが声をかける。
「水がある」
「危ない」
「一緒に行こう」
「火を守ってくれ」
「ここで休もう」
ここでいう言葉は、必ずしも現代のような複雑な言語である必要はない。声でもよい。合図でもよい。身振りでもよい。
重要なのは、そこに他者への呼びかけがあることである。
言葉とは、ただの音ではない。
自分の欲を他者に伝えることである。
自分一人では満たせない欲を、相手に向けて開くことである。
そして、相手の未来の行動を求めることである。
「火を守ってくれ」と言うとき、その言葉は相手の未来の行動を求めている。「明日もここに戻ろう」と言うとき、その言葉は相手の未来を少しだけ拘束している。
だから、言葉は軽いものではない。
言葉は、未来に向けて差し出される。
そして、その言葉を受けた者が行動で返したとき、関係が始まる。
水があると言われた者が、水場へ行く。危ないと言われた者が、身を守る。火を守ってくれと言われた者が、火のそばに残る。一緒に行こうと言われた者が、隣を歩く。
ここで、言葉と行動が結びつく。
言葉を発する。
相手が受け止める。
行動で返す。
その行動を見る。
相手を少し信用する。
この応酬が始まったとき、ただの群れは共同体へ近づいていく。
人間社会は、国家から始まったのではない。市場から始まったのでもない。通貨から始まったのでもない。文字から始まったのでもない。
もっと手前に、欲がある。
欲があるから行動する。
一人では生き抜けないから、他者を求める。
他者に言葉をかける。
言葉を受けた者が、行動で返す。
そこに最初の関係が生まれる。
この小さな関係こそが、共同体の始まりである。
共同体とは、人数の多い集団のことではない。二人でもよい。言葉を交わし、行動を共にし、互いの生存に関わり始めたなら、そこにはすでに共同体の芽がある。
ここから、信用と負債の物語が始まる。
次に考えるべきことは、その行動の結果である。
水を見つけたこと。火を守ったこと。危険を知らせたこと。一緒に歩いたこと。それらは、ただの動きではない。
そこに価値が生まれる。
では、価値とは何か。
次回は、そこから考えたい。
