借りを感じる心――負債は金銭より前にある
おはようございます。長坂総研です。
第4回目は負債について書いています。
少し会計学の言葉は入ってしまいますが、十分に普通にわかる言葉です。
負債、資産、借り、貸し、これだけで良いです。
言葉と行動の相互の応酬。そこに相互の信用という資産が築かれていく。
これが共同体の支える柱になる。
言行一致、言行不一致。
この理論では非常に重要な言葉でもあります。

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第4回は、借りと負債について考えます。
前回は、価値について書きました。
価値とは、物そのものに最初から入っているものではなく、人間の欲を満たす行動の結果として生まれるものではないか。
そして、その価値を他者が認めたとき、共同体の中に価値が立ち上がる。
今回は、その次です。
価値を受け取った人間は、なぜ返そうとするのか。
なぜ、人は借りを感じるのか。
そこから負債について考えます。
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負債というと、多くの人はお金を思い浮かべる。
借金。ローン。未払い。返済。利息。
たしかに、現代社会では負債は金銭と強く結びついている。銀行から金を借りる。住宅ローンを組む。クレジットカードの支払いが残る。会社が社債を発行する。国家が国債を発行する。
負債と聞けば、まず金額で表示されるものを想像する。
しかし、負債は本当に金銭から始まったのだろうか。
私は、そうではないと考えている。
もっと手前にある。
それは、借りを感じる心である。
誰かに水を分けてもらった。
危険を知らせてもらった。
火を守ってもらった。
怪我を手当てしてもらった。
不安な夜に声をかけてもらった。
自分一人では生き延びられなかった場面で、相手の行動によって助かった。
そのとき、人は思う。
これは返さなければならない。
この感覚が、負債の始まりである。
負債とは、金を借りたことだけではない。
過去に受け取った価値ある行動が、未来の自分の行動を促すことである。
もっと言えば、過去に受け取った行動が、未来の自分を拘束することである。
ここで大事なのは、価値を受け取っただけでは、まだ共同体は安定しないということである。
相手から水をもらった。食料を分けてもらった。危険を知らせてもらった。そこで「助かった」と思うだけなら、まだ一回限りの出来事で終わるかもしれない。
しかし、「返さなければならない」と感じた瞬間、その出来事は未来へ伸びる。
過去の行動が、未来の行動を呼び出す。
ここに負債が生まれる。
この負債は、最初から帳簿に書かれていたわけではない。契約書があったわけでもない。貨幣で数えられていたわけでもない。
それでも、人は覚えている。
誰に助けられたのか。
誰から受け取ったのか。
誰に返していないのか。
この記憶が、初期の負債を支える。
ただし、借りは言葉だけでは返せない。
「ありがとう」と言うことはできる。感謝を伝えることは大切である。だが、それだけで借りが消えるわけではない。
相手が行動で助けてくれたなら、こちらも行動で返す必要がある。
水を分けてもらったなら、次は自分が見張りに立つ。
火を守ってもらったなら、次は自分が食料を探す。
怪我を手当てしてもらったなら、次は自分が危険を知らせる。
不安な夜に声をかけてもらったなら、次は自分が相手を支える。
借りは、返済行動によって償却される。
ここで、信用・負債制度起源論の中心にある考え方が出てくる。
言葉は負債である。
行動は返済である。
「助ける」と言うだけでは、まだ返済にならない。
「返す」と言うだけでは、まだ返済にならない。
「今度やる」と言うだけでは、まだ返済にならない。
言葉は未来へ向けた約束であり、期待であり、負債である。だが、その負債を返すには、行動するしかない。
行動だけが、負債を返済する。
これは、私自身がこの理論でかなり重視している部分である。
人間は言葉を使う。
しかし、人間は言葉だけを見ているわけではない。
むしろ、人は言葉と行動が一致しているかを見ている。
「助ける」と言った人が、本当に助けたのか。
「返す」と言った人が、本当に返したのか。
「一緒に行く」と言った人が、本当に隣を歩いたのか。
「裏切らない」と言った人が、本当に逃げなかったのか。
ここで信用が判断される。
だから、借りを感じる心は重要である。
借りを感じる人は、未来のどこかで返そうとする。返すために行動する。その行動を相手が見る。そして、相手は少し信用する。
逆に、借りを感じない人は、関係を食い潰す。
助けてもらって当然だと思う。
受け取れるものだけ受け取る。
返すつもりはない。
相手が弱ったら離れる。
こういう人との関係は、長く続きにくい。
なぜなら、その人は共同体の中に価値を戻さないからである。
共同体は、一方的な受け取りだけでは維持できない。
誰かが与え、誰かが受け取る。受け取った者が、また別の行動で返す。その返済行動が続くことで、関係は維持される。
貸し借りとは、価値ある行動の応酬である。
そして、返しきれていない価値が残っている状態が、負債である。
もちろん、すべての借りがすぐに返されるわけではない。
むしろ、人間関係の中では、完全に精算されない借りも多い。
親に育ててもらった借り。
友人に支えてもらった借り。
誰かに励ましてもらった借り。
苦しい時期に黙ってそばにいてもらった借り。
それらは、きれいに金額へ換算できない。何をどれだけ返せば終わりなのかも分からない。
だが、だからこそ人は行動する。
いつか返そうとする。
同じ相手に返せないなら、別の誰かに返そうとする。
受け取った価値を、共同体の中に戻そうとする。
ここに、負債の広い意味がある。
負債とは、金銭の問題に閉じ込められるものではない。
人間が誰かから価値ある行動を受け取り、それを返さなければならないと感じた瞬間に、負債はすでに始まっている。
なろう系の異世界転移ものでも、この部分はよく描かれる。
助けられた主人公が、相手に借りを感じる。
助けた相手が、主人公に恩を感じる。
その借りを返すために、次の行動が起きる。
この貸し借りの応酬が、関係を深めていく。
一度助けたから仲間になるのではない。
一度助けられたから信用されるのでもない。
助ける。返す。また助ける。また返す。
その繰り返しの中で、相手は本当に信用できるのかが見えてくる。
負債は、信用の敵ではない。
むしろ、返済される負債は信用を生む。
借りを感じ、行動で返す。その姿を相手が見る。そこに信用が積み上がる。
だから、負債とは単なる重荷ではない。
共同体をつなぐ力でもある。
問題は、負債があることではない。
返す意思がないこと。
返す行動がないこと。
返せない負債が積み上がり続けることである。
借りを感じる。
返そうとする。
行動する。
その行動を相手が見る。
ここで、信用が生まれる。
次回は、この信用について考える。
信用とは、言葉で宣言するものではない。
行動によって築かれる資産である。
