見出し画像

読めるAI小説はあった。それでも、なろうは線を引いた

こんにちは、長坂総研です。

「小説家になろう」が、AI利用に関する規約改定を発表しました。

正直に言えば、最初に思ったのは、
「ああ、来たか」
でした。

今回の改定では、本文として掲載されるテキストの全文がAIによって生成されたものが禁止対象に加えられます。また、実際のAI利用状況とは異なる虚偽の設定を行うこと、投稿後や更新時にAI利用方法を変更したにもかかわらず適切に申告しないことも禁止行為になります。さらに、商業化やメディア化、コンテスト参加などの場面では、AI利用状況などを出版社や企業に開示・提供できるという規定も追加されます。

小説家になろうグループ公式ブログ
「利用規約改定の予告」
https://blog.syosetu.com/article/view/article_id/5145/

今回の改定は、単純なAI排除ではありません。

ここを間違えると、話がかなり雑になります。

なろうが線を引いたのは、AIを使うことそのものではなく、全文AI生成の投稿、虚偽申告、そして創作工程が見えないまま作品だけが流通していく状態です。

つまり問題は、作品単体の出来だけではない。

投稿空間全体の信用です。

わたくしは、なろうへの投稿をやめることにした

まず、自分の話からします。

わたくしは、AIをかなり使っています。

記事の構成を考える。
論点を整理する。
文章の叩き台を作る。
それを読んで違和感を直す。
必要なら、もう一度組み直す。

そういう形で、AIを制作チームのように使っています。

だから、今回のなろうの規約改定を読んで、わたくしは、なろうへの投稿はやめることにしました。

理由は単純です。

今のわたくしの制作方法と、なろうが今後求める作品投稿のルールが、あまり噛み合わないからです。

もちろん、AIを使ったから即アウト、という話ではありません。
しかし、本文全体をAIと作り、それをそのまま投稿するような運用は、かなり危うくなる。

ならば、無理にそこへ合わせるより、最初から投稿しない方がよい。

これは撤退というより、場のルールに合わせた判断です。

読めるAI作品は、たしかにあった

ただし、ここで単純に「AI作品が消えるならよかった」とは思いません。

ここは、少し厄介です。

AIが全文を書いたと思われる作品でも、読めるものはありました。

設定の入り方がうまいもの。
テンポがいいもの。
なろう的な快感をよく分かっているもの。
読者が欲しい展開を、かなり正確に出してくるもの。

そういう作品は、たしかにありました。

「これは人間が書いていないから読む価値がない」とは、わたくしは思いません。

読めるものは読める。
面白いものは面白い。

そこは認めた方がいい。

AIが作った文章だから全部だめだ、という話にしてしまうと、現実からズレます。すでにAIは、一定レベルの物語文を作れます。特に、定型展開、テンプレート、ジャンルのお約束、読者の期待に沿う構成では、かなり強い。

だからこそ、今回の話は単純ではないのです。

読めるAI作品はあった。
それでも、投稿サイトは線を引かなければならなかった。

ここに今回の問題があります。

作品単体の面白さと、場全体の信用は別である

作品単体で見れば、読めるAI作品はある。

しかし、投稿サイト全体で見た場合、話は変わります。

全文AI生成の作品を大量に投稿できる状態になると、ランキングが変質します。

ランキングは、ただの順位表ではありません。

読者にとっては、作品を探すための導線です。
作者にとっては、見つけてもらうための入口です。
出版社にとっては、商業化候補を探すための目安です。

つまりランキングは、投稿空間の信用装置でもあります。

そこに、AIで大量生成された作品が流れ込む。

しかも、それがAI利用を明示しないまま投稿される。
あるいは、実際とは違う利用状況で申告される。

そうなると、ランキングがなにを示しているのか分からなくなります。

読者の支持なのか。
更新頻度なのか。
生成量なのか。
AIによる量産能力なのか。

ここが曖昧になると、ランキングの信用が傷つきます。

一つひとつの作品が読めるかどうかとは別に、場全体が信用できるかどうかの問題が出てくるのです。

今回の改定は、AI作品の排除ではない

今回の規約改定を、AI作品の全面排除と見るのは少し違うと思います。

むしろ、なろうがやろうとしているのは、AI利用の可視化です。

AIを使ったなら、使ったと申告する。
途中で利用方法が変わったなら、適切に申告する。
全文AI生成だけで本文を構成することは認めない。

この線引きです。

だから、問題にされているのは、AIを使った創作そのものではありません。

問題にされているのは、全文AI生成を作品本文としてそのまま出すこと。
大量投稿によって場を埋めてしまうこと。
AI利用を隠すこと。
商業化やメディア化の段階で、制作工程が不透明なまま残ること。

これは、創作の自由を完全に閉じる話ではなく、投稿空間の信用管理です。

わたくしは、ここをかなり重要だと思っています。

AI時代には、完成した文章だけでは足りなくなります。

その文章が、どう作られたのか。
どこまで人間が書いたのか。
どこからAIが関与したのか。
作者は、なにを考え、どこを選び、どこを直したのか。

こうした制作工程そのものが、作品の信用情報になっていく。

今回のなろうの改定は、その流れの一部だと思います。

虚偽申告が一番危ない

今回、特に重いのは、虚偽申告の禁止です。

AIを使うことそのものより、AIを使っていないふりをすることの方が危ない。

これは、かなり制度論的な話です。

人間社会では、行為そのものだけでなく、申告と実態が一致しているかが信用の土台になります。

「AIを使いました」と言っているなら、読者も出版社も、その前提で判断できます。
「使っていません」と言いながら、実際には使っていた場合、問題は文章の出来だけでは終わりません。

作者の信用が崩れる。
サイトの信用が崩れる。
ランキングの信用が崩れる。
商業化判断の信用も崩れる。

これは、作品の品質以前の問題です。

だから、なろうが虚偽申告を規約上の禁止行為に入れたのは、かなり自然です。

AI時代の問題は、「AIか人間か」だけではありません。

「それを正直に示しているか」です。

AI大量投稿は、場の呼吸を変える

もうひとつ、今回の改定で大きいのは、大量投稿への影響です。

AIを使えば、文章を大量に作ることができます。

人間が一作を書く時間で、何作も作れる。
一話を書く時間で、何話も作れる。
設定を少し変えれば、似たような作品をいくつも出せる。

これがランキングや新着欄に流れ込むと、場の空気が変わります。

投稿サイトは、ただ作品が置かれている倉庫ではありません。

読む人がいて、書く人がいて、探す人がいて、評価する人がいる。
そこには、ある種の共同体があります。

大量投稿は、その共同体の呼吸を変えてしまう。

人間の作者が、時間をかけて更新している作品が、AI生成作品の波に埋もれる。
読者は、どれを信じて読めばいいのか分からなくなる。
ランキングは、面白さの指標なのか、投稿量の指標なのか分からなくなる。

これは、作品単体の問題ではありません。

場の問題です。

それでも、惜しさは残る

ただ、繰り返しますが、AI作品を全部消せばいいとは思いません。

読めるAI作品はありました。
なろう的な快感をうまくつかんでいるものもありました。
人間の作者でも、途中で飽きてしまう作品はあります。
AI作品でも、そこそこ読ませる作品はあります。

だから、今回の線引きには、少し惜しさもあります。

おそらく、今後はランキングも多少変わるでしょう。
大量投稿していた人は、投稿をやめるか、運用を変えるかもしれません。
AIを前提にしていた作品群は、減っていく可能性があります。

その結果、読みやすかったAI作品の一部も消えるかもしれない。

そこは、少し惜しい。

しかし、それでも投稿サイトとしては、線を引かざるを得なかったのだと思います。

読める作品があることと、場全体がその方式を許容できることは別です。

この区別をしないと、AI創作の議論はすぐ雑になります。

作品は、本文だけでは信用されなくなる

これからの創作では、作品本文だけではなく、制作工程も見られるようになると思います。

AIを使ったのか。
どのように使ったのか。
本文生成なのか。
下書きなのか。
校正なのか。
アイデア出しなのか。

その違いが、読者にも、運営にも、出版社にも意味を持つようになる。

これは面倒です。

しかし、避けられない流れでもあります。

AIが文章を作れるようになった以上、「完成した文章」だけを見ても、その成立過程は分かりません。

だからこそ、申告が必要になる。
表示が必要になる。
ルールが必要になる。

今回のなろうの規約改定は、AI時代の創作空間において、作品の信用をどう守るかという問題に踏み込んだものだと思います。

AI作品を排除する話ではない。
人間作者だけを守る話でもない。
商業化だけの話でもない。

投稿空間そのものの信用をどう守るか。

そこが本質です。

わたくし自身は、なろうへの投稿をやめることにしました。
しかし、それはAI創作を否定するからではありません。

自分の制作方法と、なろうの新しい制度が噛み合わないと判断したからです。

AIで読める作品はある。
けれど、全文AI生成を大量に流し込める場を、そのまま維持することは難しい。

今回の規約改定は、その現実を示したのだと思います。

読めるAI小説はあった。
それでも、なろうは線を引いた。

その線は、AIと人間の境界ではなく、
作品単体の面白さと、投稿空間全体の信用の境界だったのだと思います。

あなたは、この記事のどこに一番引っかかりましたか。

#小説家になろう
#生成AI
#AI創作
#創作と信用
#AIプロデューサー
#note
#長坂総研
#制度論
#ランキング
#創作論

いいなと思ったら応援しよう!