短編小説『おとなのする仕事』
プロカメラマンのアシスタントとして働いている。スタジオは車の撮影が専門で、ありがたいことに仕事の依頼も途切れず、新しい照明やらレールやら、よくわからないけど高そうな機材もどんどん入ってきて、景気は良いはずだった。
段ボールを開けたときの新品の匂いというのは、どうしてあんなに未来の匂いがするんだろう。その日も搬入されたばかりの機材チェックをしていると、プロカメラマンがぽつりと、
「もう仕事したくない」
とか言い出した。
いきなり何を言い出すんだと思ったけれども、冗談を言っている感じでもなかったので、おれはレンチを置いて話を聞く体勢に入る。
プロカメラマンは三脚にもたれかかって、珍しく深いため息をついた。
「昨日さ、友達と飯食いに行ったんだよ」
「いいですね」
「そしたら隣のテーブルでアムウェイの勧誘やっててさ」
ああ、あれか。声だけやたらポジティブで、「成功」「自由」「仲間」とかいう空疎な単語が飛び交うやつだ。おれは仲間という単語を使う人間を基本的に信用しない。仲間の範囲を想定する人間は、必然的に仲間の外側も想定しているからだ。
「最初はみんなでさ、うわーきついなー、家族にも言えない仕事だよなー、とか言って笑ってたんだけどさ」
プロカメラマンはそこで一拍置いた。
「冷静に考えてさ、俺たちの仕事もけっこう恥ずかしくない?」
「そんなことありませんよ」と即座に否定した。反射的だった。
カメラマンは「そうかなあ」と言って、少し考える顔をしてから、
「この前の、あの仕事覚えてるか。あの自動車メーカーのカレンダー用写真の撮影」と訊いてきた。
覚えているもなにも、つい先月終えたばかりの大口の仕事だ。
森の中に車を何台も運び入れて、きれいに間隔をあけて隊列を組んで走らせるところを撮った。「まともな大人のすることじゃないだろ、あれ」とカメラマン。
雪中を颯爽と走るカットも撮ったけれど、結局スタックして、みんなでスコップを持って右往左往した。「なんの撮影だよって思わなかったか?」
海の見える崖の上に、車を停めての撮影もした。「どういう状況だよって話だよな」風で飛ばされそうになるレフ板を抑えるのは大変だった。
海沿いの道を走る車の背後に、虹を合成するカットにいたっては、先方から何度もリテイクを要求された。「テメエの頭の中に架かってる虹なんて知らねえから、勝手にやりやがってください、だよ」カメラマンはそう言って、はあ、とため息をついた。
「なんかさ、馬鹿馬鹿しくないか。いい年した大人がさ、何でこんなことしてるんだろうって、急に思っちゃってさ」
プロカメラマンは笑っていたけれど、その笑いはどこか乾いていた。
「そもそも、おれ車に全然興味ないし」
愚痴は終わらなかった。
最初に買ったマイクロフォーサーズのカメラで撮ったカーレースの写真が、たまたまバズってプロの世界に入った。車には、実はまったく興味がない。速いとも遅いとも思わないし、かっこいいとも思わない。
言われてみれば、彼の口から、エンジン音がどうとか、トルクがどうとか、そういう話を聞いたことは一度もなかった。
聞きながら、もっともなことだなあと思う。興味のないものを撮り続けるのは、そりゃしんどい。しんどいだろうけれども仕事だ。投げ出させるわけにはいかない。その報酬がまわりまわって、おれの給料になるのだから。
「今日の仕事、車の展示会ですよ」
プロカメラマンは露骨に嫌そうな顔をした。
「でもほら、新車だけじゃなくて、コンパニオンの綺麗なお姉さんたちもいますし。車の写真撮って、ついでにお姉さんの写真でも撮ったら、ちょっとは元気出ませんか」
我ながら雑な励ましだなと思ったけれども、カメラマンは少し笑った。
「そういう問題かなあ」
「そういう問題ですよ」
言いながらおれは、カメラバッグを持ち上げた。恥ずかしい仕事かどうかは、正直どうでもいい。でも、今日は展示会だし、車は並んでいるし、届いたばかりの機材も使ってみたい。
「新しい機材、今日試すんでしょ。まだ箱から出したばかりの匂いが残ってますよ」
「まあ、それなら行くか」
カメラマンはそう言って立ち上がる。カメラバッグの慣れ親しんだグリップの感触を確かめるように、「……このレンズ、重いんだよなあ」などとぼやきながら、足はもう出口に向かっている。
完全に解決したわけじゃないけれど、とりあえず今日はシャッターを切ってもらえそうだった。
