猫が来て、2年4ヶ月。
大切な人を見送った。この2ヶ月弱、彼女がこの世界から少しずつ離れていく様子を傍で見つめていた。冷静であろうと努めても心は揺れ動き未熟な自分を責めたけれど、振り返ればもっと感情のままに全てを伝えておけば良かったと後悔が募る。伝えたいことがあっても、もうこの世には居ないのだから。
最期の時間を共に過ごせたことで、以前とは物事の見え方が変わったと感じる。せっかく故人がくれたチャンスを活かして、今後の生き方を見つめ直したい。「生き方を見つめ直す」なんて大仰な言葉、普段なら照れ臭くて使えたものではないけれど、人ひとりの存在が世界から消えた今、私がすべきことはこれだと強く感じる。せっかく生かされているのだからもっと幸せに、もっと自由に、私らしくありたいものだ。
猫はこの間、ずっと通常運転。飼い主のストレスが伝染して猫もごはんを食べなくなってしまった話とか、悲しみに暮れる飼い主にそっと寄り添いにくる猫の話なんかを見かけて、うちの猫もそんな特別な行動を見せるのか?!猫に悪影響があったらどうしよう…と少し心配したものの、堂々たる「いつも通り」でした。メンタル安定型のパートナーの協力もあってのことでしょう。私がメソメソしてても、イライラしてても、思い悩んでいても、我が家の中は暗くなり過ぎず一定のテンションが保たれておりました。ありがとう猫、ありがとうパートナー。



一人でいるとやっぱり気持ちが落ち込むこともあって、そんな時はネフリに頼りました。映像コンテンツは目と耳の両方を持ってかれるので、他のことできないし考えられなくていい。生きるだ死ぬだ、生き方だ人生だと深刻な気持ちに支配され過ぎないように選んだのは「ル・ポールのドラァグレース」。もし「クィア・アイ」があったらそっち見てたかもだけど、新シーズンが配信されてないのでね。
ドラァグレースの方も元々好きで観てはいたけど、2009年から始まったこの大人気リアリティショー、既に16シーズンだかあって(オールスターまで含めたらもっと!)最初の数シーズン一気に観たら飽きてしまって、先に進めてなかったのだ。ド派手なメイクと衣装、時に下品なジョークに当てられるけど、暴力的な差別や身近な人の無理解に傷つきながら自己表現をやめず、さらに上を目指そうと戦うクィーンたちを好きにならずにいられない。自分らしくあるってこういうことなんだな、と元気が出る。浮世を忘れる華麗なルックにも釘付け。シーズンが進んでファッションがより洗練されて目に楽しい。
こちらがテレビを見てばかりだと、猫は不満げだ。少し離れたところにお座りして私をじっと見つめていたり、こちらを見据え大きな声で鳴いたり、ソファの上にぴょんと飛び乗ってまとわりついたり、お腹に乗っかったり。猫に注目しろ、構えアピールがとんでもなく可愛い。季節が巡って気温も湿度も上がり、猫はあまり人間の寝床に来なくなったけど、飼い主の視線や撫でが欲しい時はどんどんくっ付いてくる。甘えたが加速してる。猫も私より先にこの世界を去っていくのだろう。だからって、今からそんなことくよくよ考えても意味がない。毎日うんと可愛がって撫でて、世界一仲良しで幸せな猫と飼い主になっておくだけだ!



