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ゆかりが入っていない豆餅は、少し白い

スーパーの餅売り場で、透明な袋に入った豆餅を見た。
豆はちゃんと入っていた。
でも、袋の中が少し白かった。

ゆかりが入っていない豆餅を見ると、
今でも少し色が足りない気がする。
それが間違っているとは思わない。
ただ、私の中では少し白すぎる。

子どもの頃に見ていた豆餅には、
豆の黒と、ゆかりの紫が入っていた。
たぶん、青のりも入っていた。
紫と緑が混じるせいか、
白い餅の横では少し灰色っぽく見えた。

それを、私は豆餅だと思っていた。
でも、それがうちの豆餅だった。
そうじゃない豆餅があるなんて、考えたこともなかった。

後になって、豆餅って別にそういうものでは
なかったらしいと知った。
そうだったのか、と思った。
それだけの話でもあった。

豆が入っていれば、豆餅なのだと思う。
でも、スーパーの透明な袋の中にある豆餅を見たとき、
目だけがまだ昔の色を基準にしていた。

きれいな紫ではない。
白い餅の横にあった、
豆の黒とゆかりの紫と青のりの緑が混ざった、
あの濁った色。

知識は直ったのに、豆餅の色だけは直らなかった。

子どもの頃、お正月になると、
おばあちゃんの家で餅をついていた。
餅つきは、家の中ではなく、庭でやっていた。
外にかまどを準備して、そこでもち米を蒸す。
白い湯気がふわっと立ち上がる。

私は、かまどに木を入れていた。
正月初めだった。
庭は寒かったはずだけど、かまどの火があった。

餅つきは、木の臼と杵でやっていた。
ぺったん、ぺったんと、もち米をついていく。
米の粒が少しずつ消えて、だんだん餅になる。

つき上がった餅は、おばあちゃんが形にしてくれた。
白い餅があったのは、はっきり覚えている。
その横に、豆餅があった。

ゆかりと青のりが混ざったやつだ。
灰色っぽい餅の中に、
豆の黒と、ゆかりの紫と、青のりの緑があった。
豆が入っているから、白い餅ほどなめらかではなかった。

味も匂いも、もうはっきりとは思い出せない。
でも、忘れた順番で言えば、色はいちばん最後だった。

白い餅の横だけ、少し色が濁っていた。
それを見ても、何も変だと思わなかった。
正月には、そういうものが並ぶ。
豆餅には、ゆかりが入っている。
私の中では、それで終わっていた。

子どもの頃の豆餅は、
透明な袋の中にあるものではなかった。
庭で火を見ながら待っていたら、出てくるものだった。

だから、ゆかりの入っていない豆餅を見ると、
間違っているとは思わない。
ただ、私の豆餅より、少し白い。

餅つきは、いつしか機械になった。
それから少しずつ回数が減って、
やがてやらなくなった。
庭で火を見ながら餅を待つことも、
いつの間にかなくなった。
かまどに木を入れることもない。

それでも、豆餅のことは残っていた。
おばあちゃんが形にしてくれた白い餅。
その横にあった、少し濁った豆餅。

味も匂いも、もう遠い。
でも、色だけは残っている。

スーパーの透明な袋の中で、豆餅はちゃんと豆餅だった。
豆餅という名前より先に、
私の目はまだ、少しだけ紫を探している。



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