短編小説『記憶と恋の調整』
放課後の帰り道に流す、曲。
渚は、音楽デバイスを手放せない。
いつも音楽を聴いて生きている。
ここ数日は、聴いていても聴こえない。響かない。つまらない。
自分で書いた歌詞なのに、まるで他人の心臓を聴いているみたいだ。
♪ 最初から スキだった
その一節が流れるときだけ、喉の奥がきゅっと縮む。
ラボは、街のはずれにある白い建物だった。
看板には、やわらかな書体でこう書かれている。
ノックス記憶調整センター
中は静かで、消毒液の匂いではなく、紅茶の香りがした。
人々はここに来て、忘れたい記憶を預ける。
預けた記憶は、復元が可能だ。
カウンセリングの一環として、気楽に記憶を調整する。
「渚さん、どうぞ」
ナナさんは今日も、同じ椅子に座っていた。
人間と変わらない姿。まばたきも、呼吸のリズムも自然すぎて、時々手を伸ばして触れたくなる。
ナナさんは百年以上前から生きているらしい。
最初に聞いたとき、笑ってしまった。
おばあちゃんより、おばあちゃんですね。
そういったら、ナナさんはそうなのよ、って優しく頭をなでてくれた。
近い距離感に戸惑ったけど、何だか嬉しかった。
何でも話せる、私のお姉さんみたいな存在。
でも、今はナナさんの前でも笑えない。
「今日は……消してほしくて」
声がうまく出ない。
ナナさんはすぐに端末を起動しなかった。
指先をテーブルの上に静かに置いたまま、渚を見る。
「どの部分を?」
「全部。初めて会った日のことも、一緒にアイス食べたのも。
あ、あとディズニー行った日も。
それから…….『彼女できた』って言った時のあの顔。無神経すぎる。
ほんと、むかつく」
少し間があった。
「おすすめしないな」
珍しい返答だった。
いつもはすぐに記憶を調整してくれるのに。
「え、なんで?」
ナナさんは、ほんのわずかに視線を落とす。
その動きは、見とれるほど美しくて、人間らしかった。
「叶わない恋心は、苦しいよね。
圧縮されて、胸の奥で台風みたいに暴れて、めちゃくちゃにしていく。
呼吸を荒げて、思考を奪う。視界を狭くする。世界の音を奪う」
まるで歌詞をなぞるような言葉。
「でも、それは、あなたが誰かを思った証拠」
渚は唇をかむ。
「証拠なんて、いらない。こんなの早く忘れたい。
忘れられれば、明日も笑って学校に行ける」
「消せば、楽になるよ」
「楽になりたい。もう、充分味わったよ。おなかパンパンで吐きそう」
「でも、消してしまったら。
渚さんの中から“誰かを本気で好きになれた自分”も、少し消えてしまう」
部屋の空気が静かに震えた。
ナナさんは続ける。
「恋は、完成しなくても、存在するの。失敗でも、間違いでもない。
届かなくても、意味がある」
「意味って、何」
「渚さんの場合は、歌かな」
渚は目を見開く。
あのラストが頭の中で流れる。
♪ 好きだったよ
♪ ちゃんと好きだったよ
「自分の曲も、理解できなくなる」
渚の視界がにじむ。
「でも、つらい…」
「ええ」
ナナさんは、迷いなくうなずいた。
「つらいよね」
その肯定が、やさしかった。
「どうしようもなくなったら、デバイスで連絡して。
すぐに行くから。いつでも」
「……わかった」
ナナさんは、少しだけ微笑んだ。
「終わらせる方法は、“削除”だけじゃない」
渚は端末に触れかけた手を、ゆっくり下ろす。
恋は、まだ痛い。
胸の奥で、ざらざらと音を立てている。
でも。
その痛みが、自分のものだと、ちゃんとわかる。
「……持って帰ります」
「お預かりは、いつでも可能だからね。
今日から三日間、自分をめいっぱい、甘やかしてごらん」
ナナさんの声は、静かな子守歌みたいだった。
渚がラボを出ると、夕暮れの空がきれいだった。
世界は音を失ってなんていない。
ただ、自分が聞こえなくなっていただけ。
音楽デバイスをつけ直す。
♪ ねえ お願い
♪ 終わらせてよ
曲はまだ終わらない。
でも、次の曲もきっと、どこかにある。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
一度作ったMV、完成させないままでした。
リクエストありがとうございます。
今回のテーマは「現実と虚構」。そしてふわふわの犬を愛でる。
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次のMV作品は、サイバーパンクシリーズ!
お楽しみに! ↑没になったー😢
曲:SunoAI 動画:Midjourney, DomoAI, Seedance2
